2部 - 3「空欄に何を入れる」
隠れ宿に戻ってきた。
ディスンは、少年を椅子に座らせ、改めて顔を見た。
(……やはり見間違いだったか)
どの角度から見ても、銀色の瞳だ。
ディスンは、小さく息を吐いた。
また、振り出しだ。
少年は時々咳き込んだ。
「大丈夫か」
「はい」
居心地悪そうに肩をすぼめながら、しかし、銀色の目は物珍しそうに部屋の中を見回していた。
その時、窓が開いた。
アンバーだった。
部屋は、三階だ。
少年が目を丸くした。
アンバーは、窓枠を飛び越えて入ってきた。
「全員逃がした」
「行儀よく入ってこい」
「ちゃんと足を揃えて入ったわ」
「真似をしたらどうする」
「したいならすれば。 ねぇ、あんた、あたしの手下になる?」
「お前な……」
ディスンが呆れたその横で、少年が立ち上がった。
そして、アンバーに深々と頭を下げた。
「助けてくださって、ありがとうございました」
アンバーが、その勢いにたじろいだ。
「あたし、あんたを助けた覚えないんだけど」
「隣の……青い髪の子を助けてくれたでしょう? 間に合って、本当に良かった」
少年は、心底ほっとした顔で胸に手を当てた。
ディスンは、その横顔を見て眉を寄せた。
「お前は自分で檻を開いたな」
「はい。鍵が少し緩んでいました」
少年は身体をディスンに向けて、はっきりと頷いた。
「舞台が燃えていたのは、見えていたか?」
「はい。見えました」
「燃えていない場所はあったか?」
「後ろの方がまだ燃えていませんでした」
重ねて頷いた少年の前髪が、揺れた。
ディスンの声が、低く響いた。
「ならば、なぜ檻を出て、火の方に飛び込んだ」
少年がはじかれたように顔を上げた。
「……ごめんなさい」
「それは質問の回答じゃない。俺はなぜと訊いたんだ。理由を答えろ」
少年は、唇を戦慄かせた。
わからないと返すか。
少女を助けたくて。
かわいそうで。
……身体が勝手に。
あるいは――
「八十秒あったからです。火が到達するまでに」
「なに?」
「急ぎましたが、計算は誤っていないはずです」
銀色の瞳が、まっすぐにディスンを見ていた。
ディスンは深く息を吸い、さらにそれを見返した。
「その八十秒で、どうするつもりだった?」
「助けようと……」
「助けられると?」
「……!」
少年が、息をのんだ。
みるみる青ざめていくのを見て、ディスンは、机にあった紙と鉛筆を取った。
少年に差し出す。
「火の到達時間を計算したと言ったな。お前は檻ごと引こうとしていた。引きずっていくつもりだったんだろう。そうやって、助けられると考えた。その見込みはどうやって計算した? 計算式を書いてみろ」
「――」
少年はディスンの手から、静かに鉛筆と紙を取った。
床に膝をつき、紙を広げる。
数式を書いていく。
手が、止まった。
ディスンは覗き込んだ。
「その空欄は?」
「檻を引く力の、数値です」
「不明な値か? そんなことはないだろう。走り寄ったのはお前だ。自分の腕力を入れればいい」
少年は俯くと、弱々しい字で空欄を埋めた。
「八十秒に足りるか?」
「足りません」
「それでは人が死ぬ。お前も、死ぬ」
「……」
少年は肩を落として、再び俯いた。
ディスンは息を吐いた。
「その空欄には、何を入れればよかった」
「何を……」
鉛筆を取って。
下ろして。
握って。
離して。
少年は静かに数式を見ていた。
ディスンは少年の前から離れた。
「いつでもいい。考えて、答えが出たら教えてくれ」
銀色の瞳が、頼りなくゆらゆらと揺れていた。
「お前の正解が知りたい」




