2部 - 2「六羽のカナリア」
男が、花と同じ赤い仮面を押し上げ、声を張り上げた。
「これより、各地から仕入れてまいりました、カナリアの競りを始めます!」
客席に、感嘆のさざ波が広がった。
「今夜は、全部で六羽。よくご覧いただくために、二羽ずつご紹介いたします」
檻が、黒い服の男たちによって引きずり出される。
中には薄手の羅紗布を着せられ、麻袋を頭にかぶせられた子どもが、一人ずつ入れられていた。
檻が並んだ。
黒い服の男たちが柵の中に手を差し入れる。
麻袋を取った。
左右の檻の中に、黒い髪が現れた。
客の誰もが子どもをよく見ようと仮面の穴をずらし、舞台を覗き込む。
あちらこちらから、ため息が聞こえた。
「ああ、どのカナリアも美しい。いいですか? 皆さま、手に入れたければ挙手を。そしてあなたが、カナリアの価値を作るのです」
檻の中の子どもは、仮面の穴から己を凝視する、無数の目に、震えていた。
しかし、できるだけ客席から遠ざかろうと檻の中で後ずさりするたび、黒い服の男の手によって客の方に引き出される。
俯けば顎を掴まれ、前を向かされた。
「では左のカナリア、一ステラスから。四ステラス、五ステラス」
男の声が劇場にこだまする。
客席から次々に手が挙がる。
「おお、七ステラス。もうないですか? 八ステラス。他には。ない。それでは、八ステラスで決まりました。ご購入のお客様、競りが終わりましたらご案内いたします。ぜひ、最後までお楽しみを。それでは右のカナリア。よくご覧ください。肌がとても良いですよ」
黒い服の男が檻に手を差し入れて、長い袖を持ち上げた。
細い腕が露わになる。
「皆さま、あまり乗り出さないで。ぜひあなたのものにして、たくさん愛でてください。こちらは三ステラスから。おお! いきなり九ステラス!」
熱狂する客席を見下ろしながら、ルクスが鼻を鳴らした。
「あれに九ステラスも出すなんてね」
「これまで競りを見た事がない者も多いのです」
赤い仮面の男が首を横に振る。
そして、ルクスの顔を下から覗き込んだ。
「閣下のように目が肥えていないのですよ」
「慎みなさい、犬」
「ひっ」
ルクスは人差し指と中指を揃えて、長く伸びた爪を赤い仮面の男の首に突きつけた。
「ここで、呼ぶな」
「も、申し訳、ございません」
ルクスの爪が触れた男の首筋は、薄く皮膚が裂けていた。
よたよたと後退すると、赤い仮面の男は膝をつき、首を垂れる。
ルクスは、興味を失ったように男から目を逸らし、爪の汚れを、抱いている少女の布で拭った。
そして、再び少女の腕を柔らかくなでた。
「青い髪の子どもがいるのだろう」
「……は、はい」
「楽しみだね。赤と、黒と、緑は、もう持っているからね」
抱いている少女の髪は、赤い色をしていた。
ルクスは、再び舞台を覗き込んだ。
「ほうら、お前も見るといい」
男は、人形のようになった少女の身体を、舞台が見えるように押し出した。
競り落とされた二人の檻が舞台裏に引き上げられ、次の二人の檻が現れた。
麻袋が外された。
髪の色は黒色と亜麻色だった。
「お前も、ああやって檻の中で泣いていたよ。愚かだったねぇ。私の元へ来れば、こうやって私に愛され、食事も、寝る所も、何不自由なく暮らせるのに」
ディスンは、舞台を見つめる少女の赤い後ろ頭を見た。
少女は、ぴくりとも動かなかった。
うなずきもしない。首を振りもしない。
「五ステラス! 他には?」
四人目が競り落とされた。
黒髪の少年が檻の中で泣き叫んでいた。
ルクスは、にんまりと笑った。
「ああ。ぞくぞくするねぇ」
「いよいよ次ですよ。ああ、でも先に紫色の目の子どもが」
「……紫?」
ディスンは、細く息を吸った。
ルクスが首をねじり、膝をついたままだった男を見下ろした。
男は跳ね起きて、ルクスに駆け寄った。
「そうです! そうなんです」
赤い仮面を押し上げ、男は、手に持っていた紙をルクスの前に広げ、掲げてみせた。
「……見たことがないな。そんな瞳の色は」
「ええ。ええ。本日集まった中にも、この噂を聞いた客が多くいるはずです」
ディスンは舞台を注視した。
檻が、運ばれてきた。
一人の子どもは立ち上がり、檻から出ようと暴れていた。
そして、もう一人の子どもは横になっていた。
黒い服の男が、檻に手を入れ、寝そべっている子どもを引き起こす。
子どもはおとなしく膝を抱えて座り直した。
「皆さま、いよいよこちらが本日最後のカナリアです。お聞きの方もいるでしょう。一羽は海のように青い髪。そして、もう一羽は、世にも珍しい、紫の瞳のカナリアです!」
客は、どよめいた。
麻袋が取られた。
青色の髪の少女と、銀色の髪の少年が現れた。
どちらも、美しかった。
だが、しかし――
客は、身を乗り出し、首を傾げた。
前方から、徐々に、波のようにざわめきが広がった。
「瞳の色が違うぞ?」
「銀色ではないか」
客のざわめきを聞き、黒服の男がにんまりと口を歪めた。
「ああ、皆さま、どうかそう焦らず……添え書きによれば、この瞳は水に浸かると紫色に変わるそうです。本来なら、この瞳の変化を楽しめるのは、手に入れたお客様だけ――」
「確かめずに買えというのか」
「どんな色かも分からず、金を出せというのか」
男は待っていたと言わんばかりに、口を歪めた。
「ええ。そう仰ると思っておりました。ですから、盥を準備しております!」
奥から、別の黒い服の男が、水を張った小さな盥を持って舞台上へ姿を現した。
司会をしていた男は、少年の檻に手を突っ込んだ。
先ほどまでおとなしかった少年が、素早く飛び退った。
顎を掴もうと伸ばした男の手が、空振りする。
「おい!」
違う隙間から手を突っ込む。
その手が届かない辺りに、少年はうずくまった。
追いかけて掴もうとするたび、少年はまるで計算したように、その手がちょうど届かないところへ身体を移動させる。
どこかで、客が笑った。
すると、客席から、次々に笑い声が上がり、波になった。
仮面に覆われていても分かるくらい、男の顔は真っ赤だった。
追っても、逃げる。
それほど広くもない檻で、少年は男を翻弄した。
銀色の毛先をかすめることしかできない男が、足を踏み鳴らし、怒鳴った。
「ふざけるな! おとなしくしろ! 目ン玉くりぬいてやるぞ、このガキが!」
「見苦しい」
ルクスの声が、舞台に向かって降り注いだ。
客席が、しん、と静まり返った。
少年を追い回していた男が、飛び上がり、舞台上に這いつくばった。
ルクスは、隣に立つ赤い仮面の男の手から紙を引き抜き、ひらひらと振った。
「お前は添え書きを読まなかったのかい」
「い、いえ……」
「なんて書いてあった」
「特に、湖で溺れかけると、紫色に光ると……」
「では、なぜそうしないのかな」
這いつくばっていた男が、ゆっくりと顔を上げた。
仮面の下の口は、半分開いたまま、強張っていた。
「もっと大きな桶で水を準備しなさい。それから、手枷を持っておいで」
「手枷、を」
「檻から出して、頭から沈めればいい」
「!」
ルクスの言葉に、男がのけぞった。
客席も、水を打ったように静まり返った。
ルクスは、笑った。
「皆さまもご覧になりたいでしょう? 紫色の瞳を」
ルクスが首を巡らせ、ゆっくりと客を見回した。
凍りついていた客席が、ひとつ、融けた。
「見たい」
誰かが呟いた。
次々に、氷が融けて、場内がどよめきに満たされる。
「見たい」「見たい」「見せろ」
「しかし! 万が一本当に溺れてしまったら……」
舞台の男は客席の濁流に負けないよう、声を張り上げた。
「構わないではないか」
ルクスは赤い唇の端を高く持ち上げた。
「鳥が一羽、死ぬだけだよ。……でも、そうだねぇ」
ルクスは檻に向かって首を伸ばした。
銀色の髪の少年が、檻の底に張り付き、まっすぐにルクスを見上げていた。
「ああ、お前は美しい。青い髪が良かったが、銀色もまだ持っていない。愛してやっても良い。五アストラスで買おう」
ルクスは、懐から分厚い札の束を出した。
「これ以上出す方は、いるかね?」
土地と、家が買える。
桁違いの金額に、観客が息をのんだ。
手を挙げる者など、誰もなかった。
ルクスは、札束を舞台に投げ落とした。
「これで私のものだ。たとえ瞳の色が何色でも、綺麗なものが歪むのは心が弾む。さぁ、さぁ、早く水に沈めよう」
客席が、わっと沸き立った。
舞台上の男たちが、準備に駆け回る。
「ああ。楽しみだねぇ」
「今すぐやめさせろ」
「……!」
ディスンは、ルクスの背中にぴたりとついて、言った。
後ろで靴音が鳴った。
ディスンは、素早く腰の後ろから短刀を抜き、刃をひらめかせて、ルクスの脇腹に突きつけた。
駆け寄ろうとしていた二人の黒い服の男が、動きを止めた。
首をねじったルクスの仮面の穴の奥で、茶色い目が揺れていた。
客席では、裏へ引き揚げた男たちを煽るように、客が吠えていた。
踊っている人もいた。
誰一人、金を出した男など見ていなかった。
舞台上に錘のついた手枷を持った男が戻ってきた。
少年が起き上がり、後ずさりした。
男の口は、笑っていた。
「もう一度言う。今すぐやめさせろ」
ルクスは、ディスンをじっと見て、首を傾げた。
そして、身体ごとゆっくりと振り返った。
ルクスは少女を滑らせるように、自分とディスンの間へ入れた。
ディスンは刃を引いた。
正面からディスンを見つめると、ルクスは鼻から息を吐いて、肩をすくめた。
「刺せたよ、今」
「それが目的ではない。だが、用意はある。これが最後だ。やめさせろ」
ルクスは仮面の奥で目を瞬かせた。
「なぜ?」
「人殺しだからだ」
「小鳥が死ぬだけだよ」
「人だ」
ディスンの声が低くなった。
ルクスは、白けた顔で、命令した。
「誰か、こいつをつまみ出せ」
その時、客席の狂騒を破砕するような、大きな声が響いた。
「宰相の命による、違法売買の取り締まりだ! 全員捕まるぞ!」
一瞬の静寂。
悲鳴。
怒号。
ルクスの口が「まさか」と刻んだ。
少女を突き倒すと、勢いよく首を巡らせ、赤い仮面の男を振り返った。
男は腰を抜かし、床に尻餅をついていた。
声も出せず、首を振り、手を振り、懸命に己の無実を訴えていた。
ディスンはその光景をしっかりと目に焼き付けた。
――疑いは、確信に変わった。
「ふうん」
ルクスの肩から、力が抜けた。
「誰か来るか、扉を見ていなさい」
背後で固まっていた黒い服の男たちは、ルクスの一言で金縛りが解けたように動き、扉の脇に張りついた。
「違うねぇ」
ルクスは、階下に視線を巡らせ、出入り口の扉に群がっている客を見ると、仮面の奥から冷えた目をディスンに向けた。
「あの男は、証拠を逃したりしない。……小賢しいことをしたねぇ」
「目的が違う」
「お前は甘いよ。考えもね」
「火だ!」
階下から叫び声が聞こえた。
ディスンは客席を見た。
壁にあった燭台を持った男が、客席に火を移していた。
「花だ! 花が咲いている! 水をやらなくては」
奇妙な笑い声。
泣いている者。
怒鳴り声。
火に向かって飛び込もうとしている者。
焚かれていた薬が、混乱の中で効果を現していた。
「綺麗なものを見たい客もいれば、現実を見たくない客もいるのさ」
ルクスが、楽しそうに笑った。
火は赤い布を走り、木製の座席を呑み込んだ。
悲鳴が、客席に溢れた。
ルクスはその光景に背を向けた。
倒れた少女の腕を乱暴に掴み、立たせる。
少女の顔が歪んだ。
ルクスの唇が、恍惚を刻む。
「その子は置いていけ」
「なぜ? 私が買った、私の所有物だよ」
「……」
「でも、あっちは死ぬね」
ルクスは首を伸ばし、舞台を覗いた。
「!」
ディスンは息をのんだ。
舞台に、檻を二つ残したまま、黒い服の男たちは消えていた。
――鍵は、かかったままだ。
最前列はすでに炎で塞がれていた。
正面から舞台へは行けない。
「焼けたらもう顔が見れない。残念だねぇ。あっちは置いて行こう」
赤い仮面の男が、ディスンにとびかかってきた。
躱して、足をかけた。
勢いよく転がったその向こう。
青い仮面ばかり、三人。
「五目」
「炒飯」
答えた男が、最後尾の男を振り向きざまに肘で打ち倒した。
ディスンは、残った男の懐へ入った。
腕を掴んで背負い投げる。
「後ろだったので、うろちょろしました。余計でした?」
「いい判断だ」
ルクスは隠し階段の前で、足を止めていた。
「どこかで聞いたことがある声だと思った。――あの完全主義の男が、ダーティスを玉座に据えた理由が分かったよ。担ぐには、うるさすぎるねぇ、お前は」
背後の熱が増した。
ルクスの唇が、余裕を刻んでいた。
――時間を奪うつもりか。
「のんびりしていて良いのか? 宰相は、俺より甘くないんだろう?」
「勝ったつもりかな」
「少なくとも、今は」
「需要があれば、供給は起こるものだよ。終わりになど、できないさ」
「終わらせる」
ルクスは笑い、少女を抱えて悠々と階段を降りていく。
赤い仮面の男は、倒れている男たちを叩き起こし、その後を追った。
「追わなくていい」
「ええ。目的が違う、でしょう?」
青年は、ディスンの横をすり抜け、開口部から二階席を見下ろして、仮面を押し上げた。
「誰もあなたを追いかけるどころじゃなくなりました。自分は客の方に行きます」
言うが早いか、躊躇わず、枠を超えて、客席に身を躍らせた。
覗き込むと、青年はあっという間に客席の間に倒れていた客の元へ駆け寄り、担ぎ上げた。
もう一人、椅子に座ったまま失神していた客も反対側の肩に担ぐ。
向こうから、頬の辺りが発光している男が来た。
青年は抱えた一人を渡し、別の客を拾う。
ディスンは舞台の方を見た。
炎は舞台まで迫っていた。
アンバーはまだたどり着いていない。
他の子どもたちの救出が終わっていないのだろう。
その時、ゴトンと重い音を立てて、鍵が落ちた。
少年の檻が開いた。
「よくやった」
裏口の方は、まだ火が回っていない。走れば助かる。
――また、紫色の目ではなかった。
だが、あの子どもは大丈夫だと思った瞬間、銀色の髪が翻った。
(……どこへ行く!)
少年は、隣の檻の扉に齧り付いた。
青い髪の少女が、中で倒れている。
少年は檻を揺さぶり、力一杯引こうとしていた。
檻がかすかに動いた。じり、じりと移動する。
だが、火の勢いが強い。
舞台の縁を焦がし、這い上がると、少年の方へ迫っていく。
身を乗り出して叫ぼうとしたとき、上から、アンバーが舞台に向かって飛び降りたのが見えた。
ディスンは身をひるがえして部屋を飛び出し、階段を駆け飛ばして一階へ下った。
裏方用の狭い通路は物置きになっていた。
障害物をまたぎ、乗り越えて、舞台の袖に回る。
ちょうど、舞台から青い髪の少女を抱えたアンバーが飛び出してきた。
「銀髪のは」
「後ろ」
アンバーが裏の出口へ駆け出ていく。
すでに煙が舞台上に充満していた。
黒い煙をかき分けて子どもが出てくる。
そう思ったのに、姿が見えない。
(……もう行ったのか?)
いや。
アンバーは後ろだと言った。
煙が一瞬薄くなった。
まだ、檻の前に少年がいた。
「何をやっている!」
少年がハッと顔を上げた。
時間が、止まった。
――大きく見開いた銀色の瞳の奥に、薄紫が燃えていた。
(……まさか)
確かめる前に、また少年の姿が煙に閉ざされた。
熱気に煽られ、煙が渦を巻く。
ディスンは躊躇わず、煙の中へ踏み込んだ。
檻を引いた拍子に巻き込んだのか。
少年は、檻の下に噛み込んだ服の裾を引き抜こうともがいていた。
ディスンはその裾を掴み、力任せに引き裂いた。
「走るぞ!」
少年は、少し身を引いて、ディスンの差し出した手を見た。
「何をしている。掴め!」
「!」
ディスンは答えを待たずに少年の手首を握り、裏口へ走った。
扉をくぐった時、背後で何かが崩れ落ちた。




