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レーテー・イストリア  作者: 鈴
第2章 ディスンの章
11/24

2部 - 2「六羽のカナリア」

男が、花と同じ赤い仮面を押し上げ、声を張り上げた。


「これより、各地から仕入れてまいりました、カナリアの競りを始めます!」


客席に、感嘆のさざ波が広がった。


「今夜は、全部で六羽。よくご覧いただくために、二羽ずつご紹介いたします」


檻《おり》が、黒い服の男たちによって引きずり出される。

中には薄手の羅紗布《らしゃぬの》を着せられ、麻袋を頭にかぶせられた子どもが、一人ずつ入れられていた。


檻が並んだ。

黒い服の男たちが柵《さく》の中に手を差し入れる。

麻袋を取った。


左右の檻の中に、黒い髪が現れた。

客の誰もが子どもをよく見ようと仮面の穴をずらし、舞台を覗き込む。

あちらこちらから、ため息が聞こえた。


「ああ、どのカナリアも美しい。いいですか? 皆さま、手に入れたければ挙手を。そしてあなたが、カナリアの価値を作るのです」


檻の中の子どもは、仮面の穴から己を凝視《ぎょうし》する、無数の目に、震えていた。

しかし、できるだけ客席から遠ざかろうと檻の中で後ずさりするたび、黒い服の男の手によって客の方に引き出される。

俯けば顎を掴まれ、前を向かされた。


「では左のカナリア、一ステラスから。四ステラス、五ステラス」


男の声が劇場にこだまする。

客席から次々に手が挙がる。


「おお、七ステラス。もうないですか? 八ステラス。他には。ない。それでは、八ステラスで決まりました。ご購入のお客様、競りが終わりましたらご案内いたします。ぜひ、最後までお楽しみを。それでは右のカナリア。よくご覧ください。肌がとても良いですよ」


黒い服の男が檻に手を差し入れて、長い袖を持ち上げた。

細い腕が露わになる。


「皆さま、あまり乗り出さないで。ぜひあなたのものにして、たくさん愛でてください。こちらは三ステラスから。おお! いきなり九ステラス!」


熱狂する客席を見下ろしながら、ルクスが鼻を鳴らした。


「あれに九ステラスも出すなんてね」

「これまで競りを見た事がない者も多いのです」


赤い仮面の男が首を横に振る。

そして、ルクスの顔を下から覗《のぞ》き込んだ。


「閣下のように目が肥えていないのですよ」

「慎《つつし》みなさい、犬」

「ひっ」


ルクスは人差し指と中指を揃えて、長く伸びた爪を赤い仮面の男の首に突きつけた。


「ここで、呼ぶな」

「も、申し訳、ございません」


ルクスの爪が触れた男の首筋は、薄く皮膚が裂けていた。

よたよたと後退すると、赤い仮面の男は膝をつき、首を垂れる。

ルクスは、興味を失ったように男から目を逸らし、爪の汚れを、抱いている少女の布で拭った。

そして、再び少女の腕を柔らかくなでた。


「青い髪の子どもがいるのだろう」

「……は、はい」

「楽しみだね。赤と、黒と、緑は、もう持っているからね」


抱いている少女の髪は、赤い色をしていた。

ルクスは、再び舞台を覗き込んだ。


「ほうら、お前も見るといい」


男は、人形のようになった少女の身体を、舞台が見えるように押し出した。

競り落とされた二人の檻が舞台裏に引き上げられ、次の二人の檻が現れた。

麻袋が外された。

髪の色は黒色と亜麻色だった。


「お前も、ああやって檻の中で泣いていたよ。愚かだったねぇ。私の元へ来れば、こうやって私に愛され、食事も、寝る所も、何不自由なく暮らせるのに」


ディスンは、舞台を見つめる少女の赤い後ろ頭を見た。

少女は、ぴくりとも動かなかった。

うなずきもしない。首を振りもしない。


「五ステラス! 他には?」


四人目が競り落とされた。

黒髪の少年が檻の中で泣き叫んでいた。

ルクスは、にんまりと笑った。


「ああ。ぞくぞくするねぇ」

「いよいよ次ですよ。ああ、でも先に紫色の目の子どもが」

「……紫?」


ディスンは、細く息を吸った。

ルクスが首をねじり、膝をついたままだった男を見下ろした。

男は跳ね起きて、ルクスに駆け寄った。


「そうです! そうなんです」


赤い仮面を押し上げ、男は、手に持っていた紙をルクスの前に広げ、掲げてみせた。


「……見たことがないな。そんな瞳の色は」

「ええ。ええ。本日集まった中にも、この噂《うわさ》を聞いた客が多くいるはずです」


ディスンは舞台を注視した。

檻が、運ばれてきた。

一人の子どもは立ち上がり、檻から出ようと暴れていた。

そして、もう一人の子どもは横になっていた。

黒い服の男が、檻に手を入れ、寝そべっている子どもを引き起こす。

子どもはおとなしく膝を抱えて座り直した。


「皆さま、いよいよこちらが本日最後のカナリアです。お聞きの方もいるでしょう。一羽は海のように青い髪。そして、もう一羽は、世にも珍しい、紫の瞳のカナリアです!」


客は、どよめいた。

麻袋が取られた。

青色の髪の少女と、銀色の髪の少年が現れた。


どちらも、美しかった。

だが、しかし――


客は、身を乗り出し、首を傾げた。

前方から、徐々に、波のようにざわめきが広がった。


「瞳の色が違うぞ?」

「銀色ではないか」


客のざわめきを聞き、黒服の男がにんまりと口を歪めた。


「ああ、皆さま、どうかそう焦らず……添え書きによれば、この瞳は水に浸かると紫色に変わるそうです。本来なら、この瞳の変化を楽しめるのは、手に入れたお客様だけ――」


「確かめずに買えというのか」

「どんな色かも分からず、金を出せというのか」


男は待っていたと言わんばかりに、口を歪めた。


「ええ。そう仰ると思っておりました。ですから、盥《たらい》を準備しております!」


奥から、別の黒い服の男が、水を張った小さな盥を持って舞台上へ姿を現した。

司会をしていた男は、少年の檻に手を突っ込んだ。

先ほどまでおとなしかった少年が、素早く飛び退《すさ》った。

顎を掴もうと伸ばした男の手が、空振りする。


「おい!」


違う隙間から手を突っ込む。

その手が届かない辺りに、少年はうずくまった。

追いかけて掴もうとするたび、少年はまるで計算したように、その手がちょうど届かないところへ身体を移動させる。


どこかで、客が笑った。

すると、客席から、次々に笑い声が上がり、波になった。

仮面に覆われていても分かるくらい、男の顔は真っ赤だった。

追っても、逃げる。

それほど広くもない檻で、少年は男を翻弄した。

銀色の毛先をかすめることしかできない男が、足を踏み鳴らし、怒鳴った。


「ふざけるな! おとなしくしろ! 目ン玉くりぬいてやるぞ、このガキが!」

「見苦しい」


ルクスの声が、舞台に向かって降り注いだ。

客席が、しん、と静まり返った。

少年を追い回していた男が、飛び上がり、舞台上に這《は》いつくばった。


ルクスは、隣に立つ赤い仮面の男の手から紙を引き抜き、ひらひらと振った。


「お前は添え書きを読まなかったのかい」

「い、いえ……」

「なんて書いてあった」

「特に、湖で溺れかけると、紫色に光ると……」

「では、なぜそうしないのかな」


這いつくばっていた男が、ゆっくりと顔を上げた。

仮面の下の口は、半分開いたまま、強張っていた。


「もっと大きな桶で水を準備しなさい。それから、手枷《てかせ》を持っておいで」

「手枷、を」

「檻から出して、頭から沈めればいい」

「!」


ルクスの言葉に、男がのけぞった。

客席も、水を打ったように静まり返った。

ルクスは、笑った。


「皆さまもご覧になりたいでしょう? 紫色の瞳を」


ルクスが首を巡らせ、ゆっくりと客を見回した。

凍りついていた客席が、ひとつ、融《と》けた。


「見たい」

誰かが呟《つぶや》いた。


次々に、氷が融けて、場内がどよめきに満たされる。


「見たい」「見たい」「見せろ」

「しかし! 万が一本当に溺れてしまったら……」


舞台の男は客席の濁流《だくりゅう》に負けないよう、声を張り上げた。


「構わないではないか」


ルクスは赤い唇の端を高く持ち上げた。


「鳥が一羽、死ぬだけだよ。……でも、そうだねぇ」


ルクスは檻に向かって首を伸ばした。

銀色の髪の少年が、檻の底に張り付き、まっすぐにルクスを見上げていた。


「ああ、お前は美しい。青い髪が良かったが、銀色もまだ持っていない。愛してやっても良い。五アストラスで買おう」


ルクスは、懐から分厚い札の束を出した。


「これ以上出す方は、いるかね?」


土地と、家が買える。

桁違《けたちが》いの金額に、観客が息をのんだ。

手を挙げる者など、誰もなかった。

ルクスは、札束を舞台に投げ落とした。


「これで私のものだ。たとえ瞳の色が何色でも、綺麗なものが歪むのは心が弾む。さぁ、さぁ、早く水に沈めよう」


客席が、わっと沸き立った。

舞台上の男たちが、準備に駆け回る。


「ああ。楽しみだねぇ」

「今すぐやめさせろ」

「……!」


ディスンは、ルクスの背中にぴたりとついて、言った。

後ろで靴音が鳴った。

ディスンは、素早く腰の後ろから短刀を抜き、刃をひらめかせて、ルクスの脇腹に突きつけた。

駆け寄ろうとしていた二人の黒い服の男が、動きを止めた。

首をねじったルクスの仮面の穴の奥で、茶色い目が揺れていた。


客席では、裏へ引き揚《あ》げた男たちを煽《あお》るように、客が吠えていた。

踊っている人もいた。

誰一人、金を出した男など見ていなかった。


舞台上に錘《おもり》のついた手枷《てかせ》を持った男が戻ってきた。

少年が起き上がり、後ずさりした。

男の口は、笑っていた。


「もう一度言う。今すぐやめさせろ」


ルクスは、ディスンをじっと見て、首を傾げた。

そして、身体ごとゆっくりと振り返った。

ルクスは少女を滑らせるように、自分とディスンの間へ入れた。

ディスンは刃を引いた。

正面からディスンを見つめると、ルクスは鼻から息を吐いて、肩をすくめた。


「刺せたよ、今」

「それが目的ではない。だが、用意はある。これが最後だ。やめさせろ」


ルクスは仮面の奥で目を瞬かせた。


「なぜ?」

「人殺しだからだ」

「小鳥が死ぬだけだよ」

「人だ」


ディスンの声が低くなった。

ルクスは、白けた顔で、命令した。


「誰か、こいつをつまみ出せ」


その時、客席の狂騒《きょうそう》を破砕《はさい》するような、大きな声が響いた。


「宰相《さいしょう》の命による、違法売買の取り締まりだ! 全員捕まるぞ!」


一瞬の静寂。


悲鳴。

怒号。


ルクスの口が「まさか」と刻んだ。

少女を突き倒すと、勢いよく首を巡らせ、赤い仮面の男を振り返った。


男は腰を抜かし、床に尻餅をついていた。

声も出せず、首を振り、手を振り、懸命に己の無実を訴えていた。


ディスンはその光景をしっかりと目に焼き付けた。


――疑いは、確信に変わった。


「ふうん」


ルクスの肩から、力が抜けた。


「誰か来るか、扉を見ていなさい」


背後で固まっていた黒い服の男たちは、ルクスの一言で金縛りが解けたように動き、扉の脇に張りついた。


「違うねぇ」


ルクスは、階下に視線を巡らせ、出入り口の扉に群がっている客を見ると、仮面の奥から冷えた目をディスンに向けた。


「あの男は、証拠を逃したりしない。……小賢《こざか》しいことをしたねぇ」

「目的が違う」

「お前は甘いよ。考えもね」


「火だ!」


階下から叫び声が聞こえた。

ディスンは客席を見た。

壁にあった燭台《しょくだい》を持った男が、客席に火を移していた。


「花だ! 花が咲いている! 水をやらなくては」


奇妙な笑い声。

泣いている者。

怒鳴り声。

火に向かって飛び込もうとしている者。


焚《た》かれていた薬が、混乱の中で効果を現していた。


「綺麗なものを見たい客もいれば、現実を見たくない客もいるのさ」


ルクスが、楽しそうに笑った。


火は赤い布を走り、木製の座席を呑み込んだ。

悲鳴が、客席に溢れた。


ルクスはその光景に背を向けた。

倒れた少女の腕を乱暴に掴み、立たせる。

少女の顔が歪んだ。

ルクスの唇が、恍惚《こうこつ》を刻む。


「その子は置いていけ」

「なぜ? 私が買った、私の所有物だよ」

「……」

「でも、あっちは死ぬね」


ルクスは首を伸ばし、舞台を覗《のぞ》いた。


「!」


ディスンは息をのんだ。

舞台に、檻を二つ残したまま、黒い服の男たちは消えていた。

――鍵は、かかったままだ。

最前列はすでに炎で塞《ふさ》がれていた。

正面から舞台へは行けない。


「焼けたらもう顔が見れない。残念だねぇ。あっちは置いて行こう」


赤い仮面の男が、ディスンにとびかかってきた。

躱《かわ》して、足をかけた。

勢いよく転がったその向こう。

青い仮面ばかり、三人。


「五目」

「炒飯」


答えた男が、最後尾の男を振り向きざまに肘で打ち倒した。

ディスンは、残った男の懐へ入った。

腕を掴んで背負い投げる。


「後ろだったので、うろちょろしました。余計でした?」

「いい判断だ」


ルクスは隠し階段の前で、足を止めていた。


「どこかで聞いたことがある声だと思った。――あの完全主義の男が、ダーティスを玉座に据《す》えた理由が分かったよ。担ぐには、うるさすぎるねぇ、お前は」


背後の熱が増した。

ルクスの唇が、余裕を刻んでいた。

――時間を奪うつもりか。


「のんびりしていて良いのか? 宰相は、俺より甘くないんだろう?」

「勝ったつもりかな」

「少なくとも、今は」

「需要があれば、供給は起こるものだよ。終わりになど、できないさ」

「終わらせる」


ルクスは笑い、少女を抱えて悠々と階段を降りていく。

赤い仮面の男は、倒れている男たちを叩き起こし、その後を追った。


「追わなくていい」

「ええ。目的が違う、でしょう?」


青年は、ディスンの横をすり抜け、開口部から二階席を見下ろして、仮面を押し上げた。


「誰もあなたを追いかけるどころじゃなくなりました。自分は客の方に行きます」


言うが早いか、躊躇《ためら》わず、枠《わく》を超えて、客席に身を躍《おど》らせた。

覗き込むと、青年はあっという間に客席の間に倒れていた客の元へ駆け寄り、担ぎ上げた。

もう一人、椅子に座ったまま失神していた客も反対側の肩に担ぐ。

向こうから、頬の辺りが発光している男が来た。

青年は抱えた一人を渡し、別の客を拾う。


ディスンは舞台の方を見た。

炎は舞台まで迫っていた。

アンバーはまだたどり着いていない。

他の子どもたちの救出が終わっていないのだろう。

その時、ゴトンと重い音を立てて、鍵が落ちた。

少年の檻が開いた。


「よくやった」


裏口の方は、まだ火が回っていない。走れば助かる。


――また、紫色の目ではなかった。


だが、あの子どもは大丈夫だと思った瞬間、銀色の髪が翻った。


(……どこへ行く!)


少年は、隣の檻の扉に齧り付いた。

青い髪の少女が、中で倒れている。

少年は檻を揺さぶり、力一杯引こうとしていた。

檻がかすかに動いた。じり、じりと移動する。

だが、火の勢いが強い。

舞台の縁を焦がし、這い上がると、少年の方へ迫っていく。

身を乗り出して叫ぼうとしたとき、上から、アンバーが舞台に向かって飛び降りたのが見えた。

ディスンは身をひるがえして部屋を飛び出し、階段を駆け飛ばして一階へ下った。


裏方用の狭い通路は物置きになっていた。

障害物をまたぎ、乗り越えて、舞台の袖に回る。

ちょうど、舞台から青い髪の少女を抱えたアンバーが飛び出してきた。


「銀髪のは」

「後ろ」


アンバーが裏の出口へ駆け出ていく。

すでに煙が舞台上に充満していた。

黒い煙をかき分けて子どもが出てくる。

そう思ったのに、姿が見えない。


(……もう行ったのか?)


いや。

アンバーは後ろだと言った。


煙が一瞬薄くなった。

まだ、檻の前に少年がいた。


「何をやっている!」


少年がハッと顔を上げた。


時間が、止まった。


――大きく見開いた銀色の瞳の奥に、薄紫が燃えていた。


(……まさか)


確かめる前に、また少年の姿が煙に閉ざされた。

熱気に煽られ、煙が渦を巻く。


ディスンは躊躇わず、煙の中へ踏み込んだ。


檻を引いた拍子に巻き込んだのか。

少年は、檻の下に噛み込んだ服の裾を引き抜こうともがいていた。

ディスンはその裾を掴み、力任せに引き裂いた。


「走るぞ!」


少年は、少し身を引いて、ディスンの差し出した手を見た。


「何をしている。掴め!」

「!」


ディスンは答えを待たずに少年の手首を握り、裏口へ走った。


扉をくぐった時、背後で何かが崩れ落ちた。

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