クロード
学府の講堂に隣接する一般サロンは、今宵も華やかな熱気に包まれていた。
女性の入学自体が極めて珍しいこの学府において、サロンに集う数少ない高貴な女子学生は、申し合わせたように一箇所へと群がっている。
その中心にいるのは、学府きっての有名人『光の貴公子』と称されるクロード・フォン・ヴァルテンベルクだ。
「クロード様、先日の講義でのご発表、本当に素晴らしかったですわ」
「まあ、クロード様ったら。お上手なんですのね」
十九歳とは思えぬ気品と知性、サファイアを溶かし込んだような澄んだ青い瞳。眩い金髪をなびかせたクロードが優雅に微笑むたび、周囲の令嬢たちから黄色い悲鳴が上がる。
「ありがとう。君のような美しい人に褒められると、光栄だよ」
完璧な角度の微笑み、甘い声、隙のないエスコート。
神胤諸公国連合の筆頭たるレオポルド大公国の侯爵家嫡男でありながら、気取らずスマートに女性をあしらう姿は、まさに理想の貴公子そのものだった。
――だが。
(……はぁ。どいつもこいつも、同じ顔して群がってきて……本当に退屈だ)
社交用の微笑みを張り付けたまま、クロードの心は冷めきっていた。
自分に擦り寄ってくる女たちが望んでいるのは、クロード本人ではない。『ヴァルテンベルク侯爵家』という眩しい看板と、そこに繋がる己の欲望だ。
(家を継ぐ気なんてサラサラないってのに、群がってくる虫の多いこと……)
「すまない、少し風に当たってくるとするよ」
群がる令嬢たちをスマートにいなすと、クロードは足早にサロンの喧騒から離れた。
向かったのは、テラスへと通じる通路の脇にある物陰――パーティーの準備用品や予備の備品が乱雑に置かれた、誰も来ない備品整理スペースだ。
「ふぅ……」
誰も見ていないことを確認し、完璧だった貴公子の笑みをふっと消す。
うんざりしたように息を吐き出し、髪を軽くかき上げたその時だった。
「……う、ううっ……重い……! 落ちないで……っ!」
物陰の奥から、必死そうな情けない声が聞こえてきた。
眉をひそめて覗き込むと、そこには大量の厚い書類や名簿の山を抱え、小鹿のように膝をガクガクと震わせている一人の少女がいた。
(……なんだあれ?)
袖のない学士衣に振り乱した髪。華やかなサロンの雰囲気とはあまりにもかけ離れた、泥臭い姿の従属学生だ。
サロンに群がる女たちの、香水の匂いと計算された笑顔に嫌気がさしていたクロードの視線が、不意にその「異質」な少女の姿にとまった。
(そういえば、北部の豪商子息がゴリ押しで従属学生にした少女がどうのとか、あいつが言っていたな)
クロードは、唯一の『親友』と呼べる人物の言葉を思い出す。
そしてクロードは退屈しのぎに、いつもの「完璧で甘い社交用スマイル」を顔に貼り付けると、物陰からすっと姿を現した。
「手伝おうか? かなり大変そうだけれど」
サファイアの瞳を優しく細め、甘く洗練された声で語りかけながら、手を差し伸べた。
どんな高貴な令嬢でも、この笑顔と声で優しく囁けば、一発で頬を染めて舞い上がる。クロードにとって、それは呼吸をするように簡単に繰り出せる「いつもの手口」だった。
「ひゃいっ……!?」
突然の美しい声に驚き、コレットは弾かれたように顔を上げた。
そこにいたのは、光を纏ったかのような金髪と、信じられないほど綺麗な顔立ちをした青年。
一瞬、コレットはその異次元の美貌に息を呑み、目を丸くした。
(つ、つやつやの金髪……! すごく綺麗な人……! え、学府の貴公子、クロード様……!?や、ヤバい……!でもでも、 バルタザール様に『サロンに人が集まる前に受付に名簿を届けておけ』って言われてるのに、もう時間が……! また『このグズ!』って怒鳴られる……!!)
目の前にいるのが学府でも有名な超有名人だと気づき、コレットは一気にパニックになった。
「あ、あのっ! 滅相もありません!」
コレットは必死の形相でぶんぶんと首を横に振った。
「クロード様のようなお方のお手を煩わせるわけにはいきません! それに、そんなに高級そうなお召し物に紙のインクやホコリがついたら大変です! 私、急いでますので失礼しますっ……わわっ!?」
慌ててその場を立ち去ろうとしたコレットだが、抱えていた書類の山が傾き、パサパサと床に崩れ落ちそうになる。
「あぁっ! 名簿がっ! 順番が混ざっちゃう……!!」
コレットはクロードのことなど完全に視界から消し去り、なりふり構わず床にしゃがみ込むと、半泣きになりながら必死に書類を拾い集め始めた。
「……」
クロードは、差し伸べた手が空を切ったまま、呆然とその光景を見つめていた。
(……は?)
綺麗にスルーされた。
群がる女たちの媚びを含んだ視線や、計算高いアプローチに慣れきっていたクロードにとって、それは生まれて初めての経験だった。
(……面白い)
クロードの唇の端が、社交用の作り笑いとは違う、不敵で冷ややかな笑みへとゆっくり吊り上がった。
「うう、よしっ……! 順番は混ざってないはず……!」
床に散らばりかけた名簿の山をなんとか抱え直し、コレットは膝を払って立ち上がった。
息を整える間もなく、目の前に立つ金髪の青年に向かって、ペコリと深く頭を下げた。
「クロード様、お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした! 私、急ぎますのでこれで失礼します!」
自分の雑用に巻き込んでしまったことを申し訳なく思いつつ、一刻も早くバルタザールのもとへ走ろうと足を踏み出した、その時。
スッ……。
「……ッ!?」
すれ違いざま、コレットの細い手首が、冷たく滑らかな手によって力強く掴まれた。
「ひゃっ……!?」
振り払おうとしてもびくともしない、強固な握力。
驚いて振り返ると、そこには完璧な社交用スマイルを浮かべたクロードが立っていた。
しかし、そのサファイアブルーの瞳には、どこか逃げ道を塞ぐような暗い光が宿っていた。
「そんなに焦らなくても大丈夫だよ。……どうせあのバカなら、サロンの奥で酒を飲んで浮かれている頃だ」
「えっ……! ば、バカだなんて、バルタザール様は私の雇い主で……っ!」
コレットが目を丸くすると、クロードは掴んでいた手首をすっと解放し、代わりに彼女の頬にかかっていた蜂蜜色の毛先を、長い指先で優しく払ってみせた。
至近距離で見つめられる、息をのむほど美しい顔立ち。だが、そのスマートな仕草の裏には、どこか有無を言わせぬ圧倒的な強圧感が潜んでいる。
「君の名前は?」
「……え? あ、私……っ、コレットです……っ」
「コレット、か」
クロードはその名前を舌先で転がすように呟くと、満足そうに目を細めた。
「覚えておくよ、コレット。……さあ、大事な仕事なんだろう? 行っておいで」
「は、はいっ! 失礼します……っ!!」
解放された瞬間、コレットは真っ赤な顔でペコリと一度頭を下げると、逃げるようにパタパタと足音を立てて通路の奥へと走り去っていった。
……静まり返った物陰のスペース。
コレットの後ろ姿が完全に消えると、クロードの顔から「完璧な光の貴公子」の作り笑いが、すうっと綺麗に消え去った。
指先には、先ほど触れた少女の髪の、素朴で柔らかな感触だけが残っている。
(コレット……)
自分の思い描いたシナリオ通りに動かない「初めての存在」。
ふっ、とクロードの薄い唇が、冷酷で不敵な笑みの形に歪んだ。
退屈だったこの学府で、初めて見つけた「とびきり面白そうなおもちゃ」。
(僕の提示する条件や優しさに、君がいつまでその無関心を保てるか……試してあげるよ)




