初恋
五人の会談から数日後。
学内では、ある一つの大きな噂が急速に広まっていた。
これまで特定の令嬢を傍に置くことを避け、一定の距離を保ち続けていたクロード・フォン・ヴァルテンベルクが、母方の従姉妹であるエレノア・フォン・ブロンディエル伯爵令嬢を伴って行動する姿が頻繁に目撃されるようになったのだ。
「いよいよヴァルテンベルク侯爵家とブロンディエル伯爵家の婚約が正式に決まるらしい」
「やはり、クロード様の隣に立てるのはエレノア様しかおられないということだな」
「そういえば一時期、小汚い平民の娘を近くに置かれていたが……やはり、ただの気まぐれだったのだろう」
すれ違う男子生徒たちの口から零れ落ちる不躾な噂話。
その一つひとつが、コレットの胸を鋭い針のように突き刺していた。
(分かって……いたはずなのに)
自分はただの従属学生で、身分も何もない平民に過ぎない。
唐突にバルタザールの助手へ戻るよう告げられた時も、受け入れるしかなかった。
そんなある日の午後、コレットはバルタザールから頼まれた書類を手にして、西区画のサロンを訪れていた。
大柄な彼の姿を探してサロンの扉をそっと押し開けたコレットは、その場で息を呑み、足の踏み場を失ったように立ち尽くした。
サロンの中央、光の挿し込む豪華なソファには、息をのむほど美しい光景が広がっていた。
洗練された佇まいで優雅に立ち振る舞うクロード。
そのすぐ隣には、溢れんばかりの誇りと喜びに満ちた笑顔を浮かべ、親しげに彼の腕に手を添えるエレノアの姿があった。
金の髪をなびかせ、光を纏う高貴な二人の並び立つ姿は、一枚の美しい絵画のようで、付け入る隙などどこにも存在しなかった。
周囲を取り囲む男子生徒たちの賑やかな声や、遠巻きに見守る数少ない令嬢のひそひそ声が、容赦なくコレットの耳に届く。
「おい見ろよ、本当にお似合いじゃないか」
「ああ、最初から決まっていた未来のようだな」
「……ええ、あの方々こそが本物ですわ」
完璧な二人を称える声が、絶え間なく波のように寄せては返す。
コレットの視界が、胸の奥からの激しい痛みとともに歪んでいった。
(あんなに、綺麗で……お似合いな方なんだわ……)
エレノアを見るクロードの瞳は、穏やかで何一つ波風が立っていないように見えた。
その瞳に映る自分の影など、どこにもない。
胸の奥が締め付けられ、息がうまく吸えなくなる。
抗おうとすればするほど、あの個人サロンの静寂の中で彼と交わした、あまりにも濃密で甘い記憶が鮮烈に脳裏を駆け巡った。
コレットの唇の輪郭を確かめるような、深いキス。ハニーブロンドの柔らかい髪に滑り込んできたクロードの長い指の感触。
何度も角度を変えて重ねられる熱い体温に、息がうまく吸えなくて胸が苦しいのに、あまりの甘さに溶けてしまいそうだった。
(どうして……こんな時に、思い出してしまうの……っ)
あの熱い吐息も、髪を撫でる優しい指先も、自分に囁いてくれた甘い言葉も。
すべては、自分のような平民に与えられた一時の気まぐれに過ぎなかったのだと、目の前の現実を冷酷に突きつけていた。
(最初から……身分も違う私が、相手にされるわけなんてなかった……。分かってた……分かってたはずなのに……ッ。私、いつの間にか、クロード様の事を……!)
一度芽生えてしまった切ない恋心は、冷たい現実によって完膚なきまでに打ち砕かれていく。
涙が零れ落ちそうになるのを必死で耐えながら、コレットは抱えていた書類を固く胸に抱きしめ、逃げ出すようにその場を後にした。




