ライナー3
資材倉庫の一件から数日後。
コレットは、学園の広大な敷地の奥深くに位置する「薬草園・第一実験棟」へ足を運んでいた。
従属学生であるコレットの日常は、こうした雑務の連続だ。通常、教養課程の生徒が足を踏み入れることのない上級エリアだが、清掃や備品整理の要員として出入りを許可されていた。
(ここは上級課程の人たちが使う場所だから、粗相のないようにしないと……)
緊張感を持ってガラス温室の棚を拭いていた、その時だった。
「——おい、貴様! そこで何をしている!」
鋭い怒声とともに、どたどたと足音が響き、教員助手のような男たちが数人なだれ込んできた。
何事かと目を白黒させるコレットに対し、男のひとりが激しい手つきで管理台帳を突きつけてくる。
「シオン草の濃縮抽出液……劇薬に分類される試薬が丸々一瓶紛失している! 監視記録によれば、今日この部屋に入ったのは貴様だけだ! 毒物を横領して何に使う気だ、平民め!」
「え……!? ど、毒物!? 私、そんなもの触ってもいません!」
「とぼけるな! ほら見ろ、台帳の出庫記録に貴様の署名が記されている! 退学だけでは済まんぞ、即刻『学術監獄』へ引き渡してやる!」
必死に弁明しようとするコレットだったが、高圧的な男たちに腕を掴まれそうになり、青ざめて縮こまった。
「やめてください! 私は本当に——」
「——騒々しいな。僕の研究の邪魔をするなと言ったはずだが?」
冷涼で、鈴の音のように透き通った声が温室内に響き渡った。
現れたのは、白銀の髪を美しく切りそろえた華奢な少年だった。
ライナー・フォン・ロゼンタール。
わずか16歳にしてモルダウ公国の毒物・薬草学の頭脳と称され、上級課程に在籍するエリートである。
仕立ての良い制服を完璧に着こなし、腕を組んだまま、氷のように冷たい眼差しで大人たちを見下ろしていた。
「ら、ライナー殿……! しかし、この平民が劇薬を盗み出し——」
「ハッ……おめでたい頭だな」
男の言葉を途中で遮り、ライナーは可哀想なものを見るような目で吐き捨てた。
「僕の目の前で、そんな杜撰で不細工な捏造が通用するとでも思っていたのかい?」
「ね、捏造……!?」
ライナーは不機嫌そうに鼻で笑うと、コツン、と上質な革靴の音を立てて歩み寄り、男の手から管理台帳をひったくるように奪い取った。
「シオン草の抽出液は揮発性が高い。もし今日開栓されたのなら、この室内に独特の甘い香気が残っているはずだ。だが、ここにあるのは土と肥料の匂いだけ。……それに、この台帳のインクの発色を見ろ。書かれてからせいぜい三十分といったところだな。彼女がここに入ったのは一時間前だ。時間が矛盾しているだろう?」
ライナーは軽蔑しきった視線で男たちを射抜いた。
「僕の使用する実験棟で、僕の許可なく低俗な劇を演じないでほしいな。不快だ」
ライナーは軽蔑しきった視線で男たちを射抜くと、冷ややかな笑みを浮かべた。
「……当然、これで終わりだと思わないことだね。僕の領域で虚偽の報告を行い、管理台帳を不正に改ざんした罪は重い。僕直々の不信任状とともに、教務局へ報告させてもらう。明日には君たちの助手資格は剥奪、当然相応の処分が下るだろう」
「ひ、ひいっ……! ら、ライナー殿、どうかそれだけは……!」
「見苦しい。失せろ」
正論と冷酷な通告に、男たちは顔を蒼白に引きつらせ、絶望に震えながら逃げるように走り去っていった。
「ふう……まったく、くだらない害虫の処理で骨折り損だ」
静かになった温室で、ライナーは面倒そうに息を吐き、組んでいた腕を解いた。
命拾いをしたコレットは、胸を撫で下ろしながら深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございました、ライナー様……! 助けていただけて、本当に助かりました……!」
「勘違いしないでくれよ?」
ライナーはちっとも嬉しそうにせず、顎を少し上げてコレットを見下ろした。
「僕はただ、僕の領域で無能どもが好き勝手な真似をするのが許せなかっただけだ。……そもそも、君みたいに鈍い平民が、シオン草なんて高度な劇薬を扱えるわけがないだろう。盗む価値すら理解できるはずがない」
「うっ……それは、まあ……そうかもしれませんけど……」
「……怪我はないのかい?」
コレットが驚いて顔を上げると、ライナーは視線をあらぬ方向へ逸らしていた。
「乱暴でもされているようなら、また僕の手間が増えるからね。……本来、上級エリアは君のように無知で無防備な人間が一人で歩いていい場所じゃないんだ。作業をするなら、なるべく僕の目の届く範囲にいるように」
(冷たい言い方だけど……本当は優しい人なんだわ)
「はい、気をつけます。ありがとうございます、ライナー様」
とコレットが素直に微笑むと、ライナーは一瞬言葉を詰まらせ、耳たぶをほんのり赤くした。
「……ふん。分かればいいんだ」
高く鼻を鳴らしてそっぽを向く年下のエリートの姿に、コレットは少しだけ緊張をほぐされるのだった。
(……しかし、何のためにこんな事を?単に僕の領域を侵された不快感だけでは片付けられないな。少し調べてみるか)
一生懸命作業を続けるコレットの背中を見ながら、ライナーは怜悧な瞳を静かに輝かせた。




