嵐の前
高級課程の講堂から続く石造りの回廊は、昼下がり特有の静けさに包まれていた。
窓から差し込む斜光のなかを、二人の美青年が並んで歩いている。 ひとりは、圧倒的な存在感と威厳を纏い、すれ違う学生たちを自然と平伏させる男——クロード・フォン・ヴァルテンベルク。
そしてそのすぐ隣を、まるで影のように足音もなく歩いているのが、ルーク・フォン・ヴェルディエであった。
艶やかな黒髪に漆黒の瞳。パーツを拾い集めれば間違いなく一流の美形であるにもかかわらず、ルークには周囲の空間に溶け込んでしまうような不思議な特質があった。
どこか他者との関係を利害や使い道でしか判断できないクロードが、唯一なんの打算も裏切りも警戒せずに「親友」と認めている男。それがルークだった。
「——ところで、クロード」
歩調を合わせるでもなく、ごく自然に隣を歩いていたルークが、思い出したように口を開いた。どこか浮世離れした、落ち着いた声で。
「最近、お前らしくもない噂を聞くぞ。随分とあの平民の女の子を気に懸けているようじゃないか。……大丈夫なのか?」
視線は前方に向けたまま、淡々と投げかけられた問い。 クロードは歩みを緩めることもなく、いつもの完璧なポーカーフェイスを保ったまま横顔で応えた。
「……何の話だ。私は単に、学園の秩序と規範に従って行動しているに過ぎない。
……あの二人は、特例での入学ゆえに周りの生徒たちとの間に摩擦が生じやすい。後輩が無用なトラブルを起こさぬよう導き、監視するのも、私の役割だ。
……それに、あの二人はあまり他の生徒から好かれていないようだからな。ある程度の保護は必要だろう」
クロードの「正論」に対し、ルークは「ふうん」と短く息を吐いた。漆黒の瞳にわずかな笑みを浮かべ、飄々とした調子で頷く。
「まあ、さすがにそうだよな。お前に限って、個人的な感情で動くわけがないか。……それに、そもそもあの子——コレットちゃんは、あからさまにアイゼンヴァルドを慕っているみたいだしな」
「——……」
クロードの足が一瞬、ほんのわずかにピタリと止まりかけた。 コン、と石畳を叩くブーツの音がわずかに乱れる。
(アイゼンヴァルドを……慕っている?)
思考が一瞬で凍りつき、脳裏にコレットの姿が浮かぶ。 ——バルタザールの大きくて無骨な手に頭をぽんぽんと叩かれ、心底安心したように胸をなでおろしていた、あの表情。
自分の足元が揺らぐような初めての感覚。
顔に出ていないはずだった。表情の筋肉ひとつ動かしていない自信があった。 しかし、急激に体温が下がるような感覚と、内側から渦巻く得体の知れない泥のような感情を抑え込むのに、クロードは全神経を注ぐことになった。
その横で、ルークはあくまで他人事のような、相変わらずの飄々とした調子で忠告を続けた。
「しかしさ、クロード。やるならちゃんと最後までフォローしてやれよ? 世の中にはさ、本人は純粋な『善意』で悪行を働く奴だっている。……それに、そういう奴らの攻撃ってのは、大抵一番弱くて反撃してこない奴に向かうものだからな」
友人としてクロードを案じる、ルークからの鋭い警告だったが——。
「……ああ」
クロードの口から出た返事は、極めて短く、空虚なものだった。
ルークのせっかくの忠告は、クロードの耳を上滑りしていくだけだった。 脳裏を支配しているのは、ただひとつの言葉。
(あの子は、あからさまにアイゼンヴァルドを慕っている——)
胸の奥で黒く渦巻く嫉妬と執着の炎を、クロードは己の理性の下へと必死に押し込めようとしていた。しかし、その歪みは確実に、彼の完璧な冷徹さに亀裂を入れ始めていたのだった。




