第17話 切望
―――それを、考えなかった訳がない。
魔王軍幹部として新しく生を受け5年間、何もない空っぽの器が自分だと教え込まれ、そう認識していた。自分というものは何もないと。しかし、言葉遊びのようになってしまうが、言ってしまえば自分というものは、確かにあったのだ。空っぽの自分というものが。
しかし、スードは感情も記憶もなにも無い自分を自分として確立する事はできなかった。そしてそのまま人間界へと向かう。
【再現】を使った。体が変わり、脳みそが変わり、魂が変わってゆく。それを肌で感じながら、記憶を、感情を存分に味わった。最初は初めてのそれに興奮したが、のちに冷静になって思った。
―――実際にこの感覚を味わってみたい。
どこまで完全に再現できても記憶は記憶。その喜びを、悲しみを、怒りを実際に肌で感じる事は出来ない。
騎士団訓練生になり、様々な人と出会った。感情が豊かな奴や、優しい奴、可愛かったり、嫌な奴だったり。色々なものに触れ、それが一度壊れかけた。
「スード。あなたは何者なの?」
魔王様の命令を遂行する事が最優先で、レフィリカを本当に殺そうとした。しかしその必要はなくなり、彼女の命は消えずに済んだ。
殺さないでよかったと、本気で思えた。でも、奥底でスードはこの時、すでに分かっていたのだ。
いくら感情を感じれるようになっても、それは記憶を元に作り出した他人。だって、どれだけの人を【再現】し、記憶を貯めようと、感情を感じることができないスードが本体なのだから。
感情的な自分を、心の奥底から静かに、そして冷徹に感情のないスードはずっと見つめていた。
◇
「スード!」
夕陽に照らされた栗色の髪のレフィリカがこちらに走ってくる。でももう、それを見て心が動く事はない。
ゼルファも援軍は予想外だったのか、「チッ、もう少しで完成ですのにねぇ。」と舌打ちをし、彼女を殺そうと動く。だが、
「オメェの相手は俺だ!クソ魔族!」
「私もいるぞ。2対1は少し卑怯な気もするがな。」
猛々しく吠えるドーラと、蒼髪の綺麗な髪をなびかせるキティがゼルファの前に立ちはだかる。
「次から次へとぉ。だから人間は嫌いなのですよぉ。」
2人の騎士と1人の魔族がぶつかり合う様を横目に、小柄な少女は目的へと辿り着く。
「こっちにくるな!それ以上近づいたら殺すぞ!」
思いもよらぬ怒号に、彼女の肩が跳ねた。
「俺は、もういい。お前らも魔族も、全員殺して、俺も死ぬ。だから、近づけば今お前も殺すぞ。」
少し見ない間に以前の見る影もなくなったスードを見て、彼女は困惑している。
「な、なんで、スード、あなたは…。」
何故そんなことを、とでも言うのだろうか。馬鹿馬鹿しい。俺は魔族なのに。お前たち人間の、明確な敵だ。
全て真実をぶちまけたら、その可愛らしい顔はどれほど哀しみと怒りに溢れるだろうと考え、それを実行しようとしたが、先に彼女が口を開いた。
「なんであなたは、そんなに悲しい顔で泣いてるの?」
―――は?泣いている?俺が?嘘をつくな。
何を言っているのだと、その意味のわからない嘘を暴いて攻め立ててやろうと頬に指を当てて確認する。
「……ぇ?」
頬に当てた指に、ツーッと一筋の涙が伝った。
―――俺は、この期に及んでまだ演技をするのか?この子とみんなと、自分すら騙して。心なんて、どこにもないのに。
「くっ…そっ!なんだよ、なんなんだよこれ!俺は!悲しんでなんかない!お前らの事を大事だと思った事もない!セルが死んだ事も…悲しいなんて、思ってない…。」
涙声は掠れ、目が充血したスードの中の、『何か』が爆発した。
「お前らニンゲンは!全滅するんだよ!近いうちに!1人残らずな!今に見てろ!あの2人も必ず死ぬ、死ぬんだ!」
両手を広げ、まるで自分が力のある生き物で、間違いなどないかのように振る舞う。
「あの2人が死ねば、今度はお前だ!無惨に殺されて、騎士団も街の人たちも、みんなみんなみんな!
……死ぬんだよ。」
「俺は、どうする事も出来ない。やろうともしなかった。感情が、心が無いからって言い訳して…。ただ状況に流されてただけのクソ野郎だ。」
「お前たちの前で見せたものも、全部ぜんぶ!…偽物の演技だ。俺は史上最悪の魔族なんだよ…。」
スードの叫びを聞き、レフィリカは息を呑んだ。その瞬間、どんな思いと、決意があったかは分からない。だが、彼女は動いたのだ。
前へ踏み出し、小さい体でスードを思いっきり抱きしめた。
「ごめんね、スード。ずっと1人にさせて。苦しかったんだね。辛かったんだね。分かってあげられなくて…ごめんね。」
「……は?」
彼女の行動の意味がわからない。俺は自分が魔族だと伝えた。人間を滅ぼすと伝えたはずだ。なのに、なんだこいつは。
「…は、はなせ!はなせよぉ!!」
彼女の抱擁を振り解こうとするが、がっちりと捕まえられ離すことができない。なら、このまま殺してやろうか。
「離さないよ、絶対。…スードはさ、やっぱり魔族だったんだね…。」
「そうだ…!だから、手を離せよ!」
「ううん、絶対に嫌だ。だって、こんなにも悲しんで、私達を大切に思ってくれてるんだもん。」
さっきの話を聞いていたのか?思ってなどいないと、全て演技だと、そう言ったはずなのに。
「あなたがどんな風に生まれて、元がどうだったかは私は知らない。でも、偽物じゃないよ。スードにはちゃんと心があって、魂がある。」
「ないって、言ってるだろ!?」
荒々しく声を出すスードに、彼女は優しく、温かく言葉を返す。
「じゃあ、なんで泣いてるの?なんで、私を遠ざけようとしたの?私が、私たちが大切だったからだよね?」
何を言っている。自惚にも程がある。大切だなんて、本心では思ってなんか…ない。
「そう思ってないなら、なんで今私を殺さないの?」
なんてずるい質問だ。人間は本当に陰湿で、ずる賢い。
「スードの心臓の音、聞いたら分かるよ。あなたは人間を殺そうとなんてしてない。そして、心はあるの。魔族だとか、関係ない。私は信じてる。」
本気で言っているのだろうか。魔族を信じるなんて。それを返そうとする心なんて、俺にはないのに。
彼女は俺の胸に耳をあて、鼓動を聞いた後、俺の顔を見て、にっこりと笑った。
「ほら、スードは私達人間と何も変わらない、仲間思いの魔族だよ!」
感情など、心など本当は無いと、そう思っていた。そう言われた。でも、それならなんだ?この心臓の鼓動は。彼女に触れ、笑いかけられ、なぜか甘く、辛く締め付けられるこの胸は。
これが、感情でないと言うなら一体なんなのだ。
「ちゃんと思い出して。私達の過ごした日々を。辛くても助け合ったみんなを。思い出してくれたら、一緒に戦おう?人間と魔族が戦わなくて済むように。」
―――俺に、感情はあった。ただ、見えないようにされ、自分でも蓋をして。それをこの子が気づかせてくれた。
だが、本当のところは分からない。でも、例え本当にこれが偽物だったとしても、もう迷わない。こう思わせてくれた君達を、もう誰も死なせない。
「レフィリカ、ありがとう。俺はもう大丈夫だ。もう君達を、誰も殺させない。」
正気を取り戻し、そう宣言したスードに、レフィリカは大きく綺麗な茶色の瞳から涙を流す。また、彼女に苦しい思いをさせてしまった。…だから。
―――どうか、お願いします。この感情が自分のものでなくてもいい。ただ、彼女達にいずれ訪れる暗く、悲しい未来を救いたい。そして、どうかその先も幸せに生きていて欲しい。
そう、スードはただひたすらに切望した。
◇
スードが決意を固めたその時、一際強い存在感が、今も横で続いている戦いに参入した。
「すまねぇ、遅れた。あとは任せろ。」
金髪で赤眼を持つ、最強の騎士レオニスがそこに到着したのだった。




