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八百万ライフ*わたしたちの日常* 第1巻「里山の巻」  作者: 天鈿ひかり(うずめひかり)


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第3話 「里の人々」

 神社の境内を出ると、すぐそこに里があった。


 茅葺き屋根の家が十数軒、緩やかな斜面に沿って並んでいる。畑には大根や芋が植わり、井戸端では女性たちが洗い物をしていた。どこからか子どもの声がして、鶏が呑気に鳴いている。


 ごく普通の、静かな里だ。


 ひかりは蓬生のそばを力也に任せ、一人で里へ下りた。神の姿では話しかけられないので(と言うか普通の人間には姿は見えないので)、旅の人に見えるよう気を整えて。


「すみません」


 井戸端の女性たちに声をかけると、三人が振り返った。


「はい?旅の方ですか」


「ええ、少し道に迷ってしまって。あの、少し聞いてもいいですか。あの山道のわきにある古い神社のことなんですが」


 女性たちの表情が、わずかに曇った。


「あぁ…あの神社ですか」


 一番年かさの女性が、洗い物の手を止めた。


「昔はよく行ったんですよ。病気の時とか、子どもが生まれる時とか。薬の神様が祀られてるってうちのばあさんが言っててね」


「じゃあ、今は?」


 女性たちは顔を見合わせた。


「今は…なんというか」若い女性が少し言いにくそうに続けた。「新しい病院が町にできてから、だんだん行かなくなって。町で薬は手に入るし、病院へ行けば悪いとこ診てもらえるからね」


「道も荒れてしまってねえ」もう一人が続けた。「去年の大雨で山道が崩れて、それからは誰も近づかなくなってしまって」


 ひかりは静かにうなずいた。


 誰かが悪いわけじゃない。時代が変わった。道が崩れた。それだけのことだ。ただそれだけのことが、積み重なって――あの小さな神社から、人の足を遠ざけた。


「あの神社、昔は賑やかだったんですか?」


「そうそう」年かさの女性が少し遠い目をした。「秋になったら里の人みんなでお祭りをしてねえ。御神酒おみきを供えて、子どもたちが走り回って。賑やかだったよ。ばあさんから聞いた話だけど」


「あなたは行ったことは?」


「わたしは…ないねえ。生まれた時にはもうあまり行かなくなってたから」


 井戸端から少し離れたところで、お爺さんが縁側に腰かけてひかりたちの話を聞いていた。ひかりが目を向けると、お爺さんはゆっくりと立ち上がってこちらへ歩いてきた。


「あんた、あの神社のことを聞いてるのか」


「はい」


「わしはガキの頃、よく行ったよ」お爺さんは遠くを見るような目をした。「腹が痛い時、熱が出た時。母ちゃんに連れられてお参りして、不思議と治ったもんだ。気のせいかもしれんがね」


「気のせいじゃないと思います」ひかりは静かに言った。


 お爺さんはひかりをじっと見た。


「…あんた、変わった目をしてるね。旅の人にしては」


「よく言われます」


 お爺さんはしばらくひかりを見てから、ふっと笑った。


「あの神社、まだ誰かいるのかい」


 ひかりは少し迷ってから、答えた。


「います。ちゃんと、います」


 お爺さんは黙ってうなずいた。何かを確かめるように、もう一度うなずいた。


 神社に戻ると、力也が蓬生の隣に座っていた。無口な男神と小さな神がならんで座っている様子は、なんとも不思議な絵だった。


「どうだった」力也が聞いた。


「病院ができて、道が崩れて、人が来なくなった。誰が悪いわけでもない」


 ひかりはそう言って、蓬生の前にしゃがんだ。


「蓬生、里にね、あなたのことを覚えているおじいさんがいたよ。子どもの頃にお参りしてたって」


 蓬生は少し目を見開いた。


「…覚えてる人が、いるの?」


「いるよ」


 蓬生はしばらく黙っていた。膝の上で、細い指をぎゅっと握った。


「…忘れられたんじゃないんだ」


 その声は小さかったけれど、さっきよりも少しだけ、温かかった。


 ひかりは力也を見た。力也は何も言わなかったが、その目が静かに語っていた。


 ――やることが、見えてきた。


 神社の古い鳥居の向こうで、里の夕暮れがゆっくりと広がっていった。




ーーー第4話へ続く。

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