第9話 「"盛り土"」
翌日の朝は、皮肉なほど快晴だった。
空気は澄み渡り、鳥の声がよく聞こえる。
木々の精霊たちも元気よく木々の間を走り回っている。昨日の祭りの余韻が、まだどこかに漂っているような朝だった。
しかし、四柱の神々の神気は重かった。
誰も、話さなかった。いや、話せなかった。
昨夜見たあの山の光景が、頭から離れない。緑がなかった。まるで黒く塗りつぶされたような山が、夜の闇の中に浮かんでいた。
あの山は東——
ひかりと力也が最初から目指していた、その山だ。最初の目的地が、すでにあの状態だとしたら、この先がどうなるか。考えるだけで気が重くなる。
ひかりでさえ、声を発せない。そんな空気だった。
最初に口を開いたのは、力也だった。
「蓬生、お前、これからどうする」
「どうするって?それはもちろん、ここにいるよ」
「そうか」
力也は少し間を置いた。
「いや、もし蓬生がいいって言ってくれるなら、その……俺らについてきてくれないかなと、思ったまでだ」
蓬生はしばらく黙った。
境内の木々が風に揺れる音だけが聞こえた。
「……確かに、"相棒"と別れてここに来てから、一度も外の世界に行ってない。行けることなら行ってみたい」
蓬生は続けた。
「でも、僕がいなくなったら、それこそ昨日お祭りを復活させた意味がないじゃない?」
「"等身大の神気"を本殿に置く」
「?」
「等身大の神気とは、簡単に言えば自分の分身のようなものだ。正式にはこれを"分け御霊"と呼ぶ」
「でもそれって、僕の分身であって僕自身じゃないよね?それはつまり、僕じゃないから——
僕はここにいないのも同然じゃない?」
「分け御霊を置く最大の利点は、それだ」
力也が静かに続けた。
「分け御霊は確かにお前そのものじゃない。言わば"器"のようなものだ。だから、この器さえ置いておけば、"いつでもお前自身の意識をその器に戻す"ことができるようになる」
「! ということは——僕自身はいなくても、意識すれば戻れるから、それはつまりその場にいてもいなくても変わらないってこと?」
「まぁそうだ。ただし、こちら側がやみくもに戻りたいと意識しても、戻れるのはたった数秒だ」
「じゃあ意味ないじゃん」
「だから神社には宮司がいる」
「?」
「宮司の最大の役割は、"神を呼ぶ"ことだ。だから宮司がいる」
「そうか!だからこの神社にも宮司さんがいたんだ。じゃあ宮司さんが呼んでくれたら僕もここに戻ってこれるのか!……今いないよ!」
「何も"宮司だけが"呼べるなんて言ってない」
「?」
「宮司や神職じゃない人間でも、呼びたい神の名を"三回"神社の祭壇で唱えれば、神はそこへ意識を飛ばせるようになる。……というか、強制的に飛ばされる」
「強制はちょっと……」
「まあ眷属に自分の神気を少しだけ預ければ、例え宮司の呼び掛けがあったとしても、眷属に預けた神気が反応して分け御霊のところへ行ってくれるし、自分が行きたきゃ飛べばいい」
「そうか!じゃあちょっとだけ神気を狛犬さんに預ける!」
「まあ、預けていても特殊な祝詞を唱えられたら飛ばざるを得んがな」
「なるほど、何となくわかった……とりあえず分け御霊を置けば、自分も力也たちについていけるんだね?」
「……そういうことだ」
「少もついてくるのか?」
森樹が聞いた。
「そりゃあ行きたいよ」
蓬生は迷いなく言った。
「友達の住む森があんなになってたら、どうにかして助けたいと思うでしょ?それに、僕はうずめさんが心配だ」
「別に心配するところなんてないよ!大丈夫!ねっ、力也?」
「……確かに、おとといの酔いを見れば心配になるわな」
「……! それは言わないで……!」
「私以外に三柱もいれば、原因くらいは分かるはずだ」
森樹が蓬生の方を向いた。
「少、そして天鈿さんと田力さん、どうかついてきてほしい」
森樹は頭を深々と下げた。
「そんな!顔を上げて!行くよ、僕。それに、森樹にはお世話になったし、その恩を返さなきゃ。だよね、力也!」
「あぁ、薬草の件があるしな。当然だ」
「そうか、分かった。ありがとう。よろしくお願いします」
森樹がまた丁寧にお辞儀した。
「いいの、いいの」
ひかりが手を振った。
「東の山の神様からちょうど文をいただいてて、そこに向かってたところだから」
森樹の表情に、少しだけ笑みが戻った。
それから蓬生は、ひかりと力也の手を借りながら分け御霊の儀式を済ませた。
分け御霊は、神事を行うごとにそこにとどまる期間が延びる。神事が途絶えると段々と効果が薄れ、終い(しまい)には分け御霊そのものが消えてしまう。今回はちょっとやそっと神事をやらなくても分け御霊が残るよう、特殊な儀式を施して安置した。もちろん、眷属には神気を少し預けた。
―――昼下がり、
四柱の神々はようやく神社を出発した。
蓬生は最後に九兵衛と別れの挨拶を交わした。といっても意識はすぐに戻れる。九兵衛はそれを分かっているのか分かっていないのか、いつものように穏やかな顔で送り出してくれた。
里を離れ、東へ向かう。
森樹の住む森までは一刻もあれば着く距離だという。
歩いていくうちに、辺りの様子がおかしくなっていった。
最初は気のせいかと思った。しかし、歩けば歩くほど、それは確かになっていく。
「ねぇ、なんか、変だね」
ひかりがぽつりと言った。
「なんというか、景色が"黒い"」
「そうだな」
力也も周囲を見渡した。
「まるで燃やされたあとの炭みたいな色だ」
「でも、燃えたにおいはしないよ」
蓬生が鼻をひくひくさせた。
「そうなんだ」
森樹が静かに言った。
「ただ枯れたんじゃなくて、まるで神気を放出し過ぎた神みたいにしおれてるんだ」
「あの時の力也みたいな感じか」
「そう、ほんとそんな感じ」
木々は黒ずみ、葉は一枚も残っていない。小川は干上がり、土は割れている。鳥も虫も、何の気配もしない。まるで、そこだけ時が止まって、そのまま朽ちていったような景色だった。
「なぁ」
力也が前方を見据えた。
「あの目の前のでっかい"盛り土"はなんだ?」
「あぁ、あれはね——」
森樹が答えようとした。
力也たちの目の前に、黒く巨大なものがそびえていた。遠目には盛り土のように見えた。ただの丘か、あるいは何かの廃墟か。しかし近づくにつれて、その輪郭がはっきりしてくる。
森樹の言葉を聞いて、ひかりたちは自分の耳と目の前の光景を、同時に疑った。
「——あれはね、"山"だよ」
―――第10話へ続く。




