八
千鶴と玄関へ行くと、郁と美愛が一足先に着いて待っていた。
「どこ?」
と尋ねた郁に「この山の中」と答えて、地図を見せる千鶴。郁は少し見て確認した後、地図から目を離す。
「地図持ってるなら先頭歩いて」
「あいあいさー」
千鶴は地図を見ながら歩き出した。そこに郁が続く。奈々世も続こうとしたが、近くにいた美愛が動かないため、美愛のことを少しの間よく見ると、瞼が小刻みに震え、瞳は曇り空のように十分な光が入らなくなり、唇の色も少し白みを帯びていた。
「……大丈夫?」
「あ、ありがとう!平気平気!」
美愛はそう笑って、ガッツポーズをしてみせる。奈々世にはこじつけたような笑みに見えたが、「本人が平気って言ってるなら大丈夫か」と思い、郁の後ろに続いた。
しかし、岡先生の言っていたあやかしの元へ着いてすぐ、
「いっやああああ!!!」
と、美愛はあやかしの元から逃げ出し、離れたところから見ていた奈々世の近くまでやってきた。
(今から祓うんじゃないのか……?)
奈々世は、あやかしの近くの木陰で立っている郁、あやかしに触ろうと手を伸ばしては空ぶってを繰り返す千鶴、逃げてきた美愛の様子を見て、この前の昴のようにやらない三人に疑問を抱いていた。
「これ飛ぶから触れるのむずいなー。なかみあー、反対からストレートパンチやってみてよ。板挟み作戦」
「う……わ、分かったわ」
美愛は、小刻みに震える肩を押さえながら、またあやかしの方へ戻って行く。そして、あやかしにこぶしを向け、反対方向から、千鶴が手を伸ばす。すると、あやかしは真上へ上がった。真上へ上がった瞬間、また美愛は奈々世の方へ戻ってきた。
「さっきから何してるの?」
「っ、こ、こわいの!!だから、つい逃げ出しちゃうの。粘液かけられるかもしれないし……」
「ふーん。粘液かけられる前に、祓えばいいんじゃないの?」
「そんな簡単な話じゃないのよ。はあっ、戻らなきゃ」
「なかみあー、何回か試して体力の消耗狙ってみよー」
「分かったわ」
この前の昴のように、簡単にいかないことを不思議に思いながら、奈々世は二人が何度も板挟みで触れようとする様子を見守る。同様に、郁も二人を眺めていた。郁は、二人を見ているだけで特に何もしない。途中で飽きたように、爪を眺めている時もあった。
「……はぁっ……んー、全然当てられそうにないねー」
「はぁはぁっ……少しくらいへばりなさいよー」
そんなに時間は経っていないはずなのに、二人とあやかしのいる辺りの草は枯れてしまっていた。粘液は、どうやら一度落ちると広範囲を枯らすようだ。それを理解したからか、郁は前より二人から距離をとったところに移動していた。一方、二人はというと、肩を上げ下げして呼吸をし、眉を不快そうに寄せていて、とても疲れていそうな様子だった。
「これ以上闇雲にやっても意味ないかなー。何か別の作戦を……」
そう喋っていた千鶴は、急に力が抜けたように、ふっと座り込んだ。
「え」
「千鶴!?大丈夫!?」
「あー……なんか足に力入らない」
「えっ嘘!?うぁ、千鶴の足……!!」
美愛がそう声を張り上げたので、全員が千鶴の足に視線を向けた。その足は、よぼよぼとしていて、まるで老人の足のようだった。よく見ると、手も同じように老化していっている。その豹変さに特にたじろぐ様子もなく、千鶴は自分の足を見た後すぐ、周りの様子をじっと見回した。
「……もしかして、粘液が撒かれた周辺のものを枯らすのかな……草木だけじゃなくて、人間の肉体も枯らすってこと?」
「中峰の手足も変わってきてるし、そうかもな」
「嘘!?なんでそういうこと早く言わないのよ!」
「言ったところで動揺するだけだろ。一旦戻った方がいいんじゃない。このまま肉体が衰えていったらまずい」
「そうだね。その方がいいかも。身体がこうなってくると、祓おうにも祓えないし。立ち上がれるかなー、なかみあ手貸してくれる?」
「よいしょっ、っと」
美愛と立ち上がった千鶴は、一旦草や花が枯れている辺りから離れてきて、奈々世のところまでやってきた。郁も、草や花が枯れている粘液が撒かれたところや、あやかしの周辺を避けて合流する。
「追ってこないみたいだな」
「不幸中の幸いだー」と言いながら、千鶴は勢いよく地面に寝転んだ。
「攻撃したら避けるけど、粘液は地面に撒き散らすだけで、わたしたちにかけることもなかったし、好戦的なタイプじゃなさそう。自分の身を守るために攻撃してくることは、多分ないのかなー」
「分析は後でいいだろ」
「えーー歩けない」
「さっきまで歩いてただろ」
「酷くなる前に脱しようと必死だったから、歩けただけ。火事場の馬鹿力ってやつ。おぶってよ」
「無理」
「門倉なんか貧弱だから、できっこないわよ。わたしができたらいいんだけど、今のわたしじゃおぶれなさそう……手足の力あまり入らないし……」
「じゃー奈々世」
「分かった」
「いいの?」
「え、だって歩けないんでしょ?自分のやることは千鶴の補佐だし、いいよ」
「ではお言葉に甘えて」
奈々世が千鶴をおぶると、美愛はじっとりと憐れむような視線を郁に向ける。
「あんたも、ちょっとは見習った方がいいわよ」
「何を」
「良心を」
その美愛の言葉に、郁は美愛と少し見つめあった。奇妙な沈黙の中に、郁は特に返事を形にして投げることなく、学校の方へ歩き出した。美愛は、あり得ないとでも思っていそうな顔をした後、郁を追いかけていく。二人が先に行ったのを見て、奈々世は、千鶴にぽつりと思ったことをこぼす。
「なんか、もっとあやかし祓うのって簡単なのかと思ってた」
「あー、すばりーの見たもんね。すばりーは、ぱぱーっと祓ってたけど、あやかしってそんな簡単に祓えるものじゃないんですなー、実は」
「そうなんだ?」
「弱らせた状態じゃないと、祓えないんだよね。だから、まずは攻撃して弱らせないといけない。その状態まで持っていって、やっと祓えるんだよ」
「なるほど」
(だから、千鶴と中峰さんは、何度も触れたりパンチみたいなのしようとしたりしてたのか)
「あれ、でも、二階堂さんって……」
「ツカサビトは、弱らせなくても祓えちゃうんだよねー。一応わたしの能力もそういうタイプ」
「さっき苦戦してなかった?」
「触れればいけるんだよ」
千鶴は特に悔しそうな様子もなく、淡々とそう言った。
「でも、まぁ次はぱっと祓うよ。お姉ちゃんだしいいところ見せないと」
(……あ、家族設定か)
「千鶴はさ……なんで家族にこだわるの」
「そうだなー……奈々世に、絶対的な居場所をあげたかったのかも」
「居場所……」
「言葉も通じない、どこかも分からない、あやかしなんて変な生き物がいる世界で、助けて居場所をくれたのがさくらんだったんだ。その時の経験があるから、奈々世がわたしみたいな思いしないといいなー、居場所があると安心できるかなー、みたいな」
「赤の他人に?」
他人にそれくらいしてくれる人がいること自体は、奈々世は理解していた。しかし、千鶴がそこまで自分を思ってくれることが不思議だった。そういう人がいるという事実が分かっていても、目の前の人に実際そうされると、なぜそこまで自分のことを考えてくれるのか、難解に思えた。
「わたしもそんな出来た人じゃないよ。他人のこと考えられないところあるし。正しいと思うことをそうするだけ」
穏やかに流れる川のようにすらすらと、千鶴は言葉を進ませていった。そして、
「それに、他人じゃなくて"家族"だからね」
と念を押した。そう言った後、小さく笑いをこぼした千鶴に、奈々世は笑い返すことはできなかった。
(もし自分が、家族の中でもっと愛してもらえる人だったら、違うこと思ったのかな……)
自分に優しくしてくれる千鶴の言葉に、頷いて笑うことのできない自分が後ろめたく感じられた。家族という名前がつけられた関係が嫌なわけじゃないけれど、まだ喜べない自分がいた。
下向いた目から見える、伸びた二つの影は重なっている。しかし、奈々世の視点から見た影と千鶴の視点から見た影は違うように、家族という名前の関係で重なった二人の"家族"を見つめる感情は、近づかない。




