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二十三

 昴が差し入れに来てくれた次の日からも、しばらく午前中は学校、午後は稽古へという日々を送っていた。

 学校を午後は休むといっても、午後の授業は少ないのでそこまで大きな問題はないが、水鳥宮神社への往復の移動時間が長いせいで、稽古ができる時間が短いし、何より睡眠時間が大幅に削られた。それが問題ではあった。問題とはいっても、奈々世は大して問題ではないと感じていたが、それは意図せぬ形で事故へと繋がってしまった。

 事故が起こったのは、過去に祓われたあやかしとその祓った時のことについて調べ、まとめる学習の授業の時間だった。図書室の中をどの文献を参照しようかと歩いていると、たまたま杏花の近くに通りかかる。すると、「奈々世さん」と杏花に手招きされた。


「一番上の棚にある本が取れないんです。取っていただけませんか?」


「どの本?」


「この赤い背表紙のものです」


 杏花が懸命に背伸びをして指差した本を、奈々世は手に取った。その瞬間、急に目の前がくらりとして、体のバランスを崩し、思いきり転倒してしまった。


「大丈夫ですか!?」


「大丈夫。杏花は、怪我してない?」


「私は大丈夫です」


「よかった」


(避けてくれなかったら巻き込むところだった)


「あ、これ、本」


「ありがとうございます」


 杏花は、丁寧に両手で本を受け取った。杏花に本を手渡したので、立ちあがろうと、本を持っていなかった左手で地面を押すと、とてつもない痛みが走った。


「い"っっ!!!!」


「奈々世さん、大丈夫ですか?」


 奈々世が悲鳴をあげると、杏花は奈々世の目の前に座り込んで、心配そうに奈々世を見つめた。


「これはやばいやつかも」


「保健室に行きましょう。案内します。手貸しましょうか?」


「一人で立ち上がられるから大丈夫」


 図書室内に響いた奈々世の悲鳴を聞き、美愛と和泉が駆けつけて来てくれたが、その二人に保健室に行く旨を伝え、また岡先生にも同様にした。

 そして、杏花の後についていき、保健室に行った。保健室には、学校専用のお医者さんがいて、そのお医者さんに診てもらった結果、奈々世は手を捻挫してしまったということが判明した。

 普段はそんなに焦ることのない奈々世だが、流石に今回ばかりは、不安と焦りがどっと襲ってきた。水鳥宮祭りの舞が控えている大事な時期に、手を捻挫してしまうなんて、いくらなんでも不注意がすぎる。

 奈々世は、特に心配してくれた杏花、それから杏花以外でよく心配してくれた美愛と和泉、そして他のクラスメイトたちにも、なんてことはないように振る舞ったが、内心は水鳥宮祭りの舞のことでいっぱいだった。

 隠してもどうしようもないので、午後学校を早退し薺と合流して早々、左手を捻挫したこととそうなった経緯を説明し、深く謝罪した。薺がたまに千鶴に怒号を飛ばしているように、自分も薺に怒られると思ったし、それが当然だと考えていたが、予想は裏切られた。


「そうか。お医者様は、どのくらいで治るとおっしゃっていた」


「一週間くらいかな。一応本番には間に合うけど……」


(練習に支障が出るし、佐々芽さんや舞の準備を手伝ってくれてる人とかに申し訳ない……)


「ならば問題ないだろう。振りは頭に入っているのだ。無理の無い範囲で練習をすれば良い。怪我をしてしまったことは、仕方がない。本番に間に合わせることだけに専念しろ」


「分かった。本当にごめんなさい」


「謝罪は一度聞いたから、もういい。それに、奈々世が謝るべきは、私ではないだろう」


「確かに……」


 よく考えたら一番謝らなくてはいけないのは、水鳥宮神社に勤めている人、稽古をつけてくれている先生、佐々芽だ。

 いつもは水鳥宮神社に着いてすぐ稽古を受けている場所へ向かうが、今日は初めに、薺と一緒に水鳥宮神社のそこそこ偉い立場の、祭りの責任者に謝罪をした。彼は、気遣いの行き届いた人で、困ったような顔や嫌な顔一つせず、本番に間に合うのなら問題ないと言ってくれた。

 そして、いつも稽古を受けている場所へ向かった。稽古をつけてくれている先生にも謝罪をしようとしたが、今日は二人で自主練習の後、稽古がつく予定らしく、まだ先生は来ていなかった。なので、奈々世はまず佐々芽に謝罪をすることにした。


「私が粗相をしてしまって、左手を捻挫してしまいました。舞の用意をしている大事な時期に、本当に申し訳ありません」


 奈々世は、深く頭を下げた。ちなみに、この言葉は、さくらさんの振る舞いとして相違がないよう、薺に事前に指示されたものだ。言葉は借り物だが、そこに宿る謝意は確かに本物だった。

 奈々世が頭を上げると、佐々芽は初めて会った時と同じように、心配そうな顔をしていた。そして、鎖骨の真ん中あたりに自分の両手を当てて、深く目を瞑った。手の辺りから、ほわほわと、蛍のような小さく淡い光が微かにあふれては、上へ向かって消えていく。少し経って目を開けると、


「微力やけど、少しは回復の手助けになると思う」


 と佐々芽は言った。


(もしかしてツカサビトの力かな?薺さんにツカサビト全員について少しだけ聞いてあるけど、佐々芽さんの専門は健康だって言ったし)


「ありがとうございます」


「このくらいやったら二日くらいで叶えられるさかい、ほんまは治るように願えたらええねんけどなぁ、最近依頼者さんのために三週間くらいつこてるさかいそうもいけへんの。かんにんな」


(ツカサビトは、一日で願い事を叶えることもあれば、願い事の大きさによって、何日かに分けて願うこともあるって言ってたな。大きい願い事には力を使うから、疲れやすいとかも聞いた気がする)


「いいえ、ありがとうございます。佐々芽さんのお心遣いが嬉しいです」


「おおきになぁ」


 佐々芽が力を使ってくれたので、気になって、捻挫した左手を意識してみる。プラシーボ効果なのかもしれないが、先ほどまでとても痛かったのが少しマシになった気がする。


「佐々芽さんのおかげで少し良くなった気がします。佐々芽さんは、やっぱりすごいですね」


「すごない。すごいのは、この力やで。わたしは、すごない」


「それは……」


 奈々世は、何と返せばいいのか分からなかった。自分に力を使ってくれたことは、やらない選択もできるのに佐々芽は選んでやってくれたから、それは佐々芽自身のおかげだと思ったし、こんな力がある佐々芽はすごいとも思った。だからというのもあるし、実際さくらもそう言いそうな気がしなくもなかったので、佐々芽のことをすごいと言った。しかし、力がすごいというのも本当で、ただ力がすごいだけで佐々芽自身がすごいわけではないという言い分も、間違ってはいない気がした。


「わたしは、夢も目標も、好きなことも熱心に打ち込めることものうて、力があるってことに流されたってるだけやさかい、すごない」


 首を振った佐々芽の表情はどこか息苦しそうで、切なげにも見えた。奈々世は、その表情から、佐々芽にとってそれが大きい悩みなのだろうことを察した。


(どうしよう、何言えばいいんだろう……さくらさんは、絶対他人を捨てない人だから、何か言ってあげると思うけど、自分はそういうの思いつかないし……いや、でも何か言うしかないか)


 奈々世は必死に考えて、さくらが何と答えるか正確には分からないまま、自分の考え混じりに、変な沈黙をつくらないうちにと、佐々芽の吐露に返事をする。


「私は、夢や目標、やりたいことがないことは、悪いことではないと思います。なきゃいけないと決まっているわけではないですし。それに、そういうのがなくてもツカサビトになって、人のために毎日頑張っていることは褒められていいことだと思います」


(自分だったら、やりたいことがない選択肢から、他人のために頑張るようなこと、選ばないと思うし。社会に出たら、みんなそういうことするのかもしれないけど、佐々芽さんは、自分より年下なのに、誰かのために働いてるってすごいと思う)


「そう思う?」


「思います」


 奈々世が頷いてみせると、「そっか」と小さく呟いた。その顔は、解けない問題のヒントをもらった子どものような表情をしていた。佐々芽は、言われたことを飲み込もうとしているようだった。自分なりに、自分とは違う考えを受け止めているのかもしれない。少しした後、「おおきに」と、佐々芽は穏やかな柔い笑みをのぞかせた。

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