阿呆星3
夜が明けると、白い斑点の様に見える月が幾つか、青空の中に浮いているように見えた。変わり映えのしない食事を済ませ。変わる事のなさそうな風景の中を、車酔いをしながら進む生活。思えば、必死に助手席に固定されたバーを掴み、目の前に広がる荒涼とした景色が、何時無くなるのだろうとばかり気にしていた私は、頭上に大きく広がる空にもまた、この惑星らしい景色が有ることをすっかり忘れていたようだ。
ようやく4日目にして、景色が変わった。しかも唐突に。車は、深い谷の縁で止った。車から降り、崖の縁に立つと眼下に細長い大きな湖が広がっているのが見えた。湖面は、青く透明だ。そして深い谷間がその湖の両端に伸びていた。上流と思われる方には、名も知らぬ高山が連立していた。湖の下流側はいずれ海に流れ込むのだろうが、それは遠すぎて確認することは出来なかった。
そして、遠目にでも、その湖畔には、小さい建物が幾つか建っているのが見えた。その建物の近くでは人影らしいものが動いているのが確認できた。
「凄い渓谷だな。ここを降りるのかい?」私は、辺りを見回したが、降りるための道路も整備された遊歩道の様なものはない。
「そうだ」とリックは、車の荷台から二つのバックパックを下ろし、そこに荷物を詰め込み始めた。その姿を見て思わずぞっとした。この崖を下るというのか? 最近まで自分がここに骨でも埋めようと思っていたことを忘れそうになった。怖いはのは嫌だ。命がけというのは嫌いだ。思わずため息がでた。
リックは、荷物の中から二つのハーネスを取り出し、一つは自分に、もうひとつを私に装着した。二つのハーネスの間に、ザイルと言うには心許ない紐が結ばれた。
やがてリックはパックを背負い、もうひとつを私に背負えと言った。嫌という選択肢は無さそうだし、彼は優秀なガイドらしいので従う以外ない
私は、彼の背中を見ながら歩き始めた。崖の中に足を踏み入れると、足の幅分の道があるのが解った。ただ、とんでもないトラバースだ。油断をすれば谷底に向かって転げ落ちるのが良く解る。それと共に、もう一つの不安があった。例え、このまま下に降りることができたとしたも、また車に戻るために、ここを登る必要がある筈だ。帰る時にこの急坂を登ることを考えると気分がさらに落ち込んだ。
右を見れば、深い谷底、左を見れば、寄りかかれそうな礫だらけの壁がある。しかし、どちらも余り見たくないし、足元を踏み外したく無かったので、自分の足を置く位置だけを見つめ続けた。
崖に付けられた道は、つづら折りに下り続け、私のひ弱な膝は笑いを堪えていた。体力的な辛さと、長く足下に集中し続けた精神的な疲れから、目を足下から周りの景色に移して歩いたところ、唐突に小さな石ころを踏みつけ、バランスを崩した。しまったと思った時には、足がとっかかりの無い浮いた礫の斜面を滑り出し、手が何かを掴もうとして宙を泳いだ。幾つもの礫が私より早く落下していった。落ちて死ぬか大怪我をすると思った時、突然からだが止った。
「気を付けろ」リックが、私の上で踏ん張っていた。心許ないザイルが、どうやら私とリックを結びつけていたようだった。私は、両手両足を使って這い登り、リックは上でザイルを引っ張った。ようやく彼の足元まで登ると、岩壁に寄りかかった。
「疲れたか?」彼が、心配そうに訊いた。
「膝が笑っている。」私は、息を荒げながら答えた。
「そうか気がつかなくて悪かった。しかし残念ながらゆっくり休憩できる場所はない」リックは、詫びた。
「見れば解る。」私は、左肘に痛みを覚えたので、そこを見れば、擦り傷ができて血が流れていた。
「数分だけ、このまま休憩しよう」とリックは言うと、ウェストベルトに付いている小物入れから、小さい傷バンを取り出した。そして、パックにポケットに挿していた、ボトルの水で傷を軽く洗い、傷バンをそこに貼った。
「下に人が住んでいるのだね」私は、彼に訊いた。
「この惑星に流された者は、先ずここに辿り付くのさ」彼は、煙草をとりだしマッチで火を付けた。火が消えたマッチは金属のケースに放り込まれた。
「宇宙港で10日分の食料と水、地図、栽培できそうな種を貰ってね。」と煙を吐き出した。その煙草を見ればフィルターの無い、お手製のような紙巻き煙草だった。
「たどり着けなければ?」
「乾きか飢えで死ぬことになる。」
「そう…」眼下にすむ者たちは、そういう苦難を乗り越えてきた強者ということだろう。
「この道は、流された者が作ったものだ。」彼は、そう言って暫く黙ったまま、口から煙を吐く動作を続けた。やがて小さくなった煙草の先の火を近くの石でもみ消して、それも金属のケースに入れた。
「さぁ、行こうかサトーさん」
本当に短い休憩だった。しかし再出発の後、私は神経を尖らせ続けながら歩いた。自分が谷間のどの辺にいるかさえ考えなかった。次の一歩を置くべき場所だけを見つめた。それでさえ、時折急斜面の上に堆積している小さい小石や砂のため、靴底はグリップを失いずるりと、足が流れる。その都度体勢を持ち直しては足を止め、冷や汗をかいた。
草木が足元に見えた時やっと、下に着いたように思えたが、そこは、ちょっとした岩棚だった。リックはそこで、二度目の休憩を与えてくれた。やっと腰を下ろす事が出来た。靴の中で幾つかの皮が剥けたらしく、ひりひりと痛みを覚えた。
リックは、パックから水筒を出し、私は靴の紐を緩めてしばしの開放感を楽しんだ。
ここからは、下の方をのぞき込む事はできなかったが、対岸ははっきりと見えた。こちら側と同じ様だと思っていたが、崖の斜面はとてもゆるやかで、うっそうとした木々が地面を覆っていた。
「流刑された人々は皆此所で生きているのかい?」私は彼に訊いた。リックは、カップに何かの粉と水を入れてかき混ぜていた。
「いや、ここから更に奥に行く方が多いな。狭い谷だから多くは暮らせない」彼は、カップを私に渡した。飲んでみると、甘酸っぱい飲料だった。そのとき彼の携帯電話が鳴った。彼は、面倒臭そうに取ると、頷く一方の会話を続けていたが、やがて私の顔を見てから電話を切った。
「ガイドの客が増えた。」携帯をウェストバッグに仕舞いながら彼は、私に詫びるように言った。「いいかい?」
「構わないですよ。でも、迎えに行くのですか?これから?」この崖を、登るのは御免被りたかった。
「常連さんでね、放っておいても、こっちのルートは知っているから勝手に来ると思う」リックは、空を見上げた。「なので、今夜は此処で野営をすれば、朝には合流してくるだろうね」
翌朝、衝撃波の音で目が覚めた。なんだと思って慌ててテントから出て、空を見上げると、既にリックが食事の支度をしていた。
「常連さんだよ」リックは、地面を見たまま言った。
やがて、機影が空を過ぎるのが見えた。それは、高度を落としながら旋回を繰り返していた。やがて、戦闘機にロケットエンジンを無理矢理つけたような機体が、すれすれに飛んだかと思うと、大きなバックファイアの音が響いた。
「常連さんですか…あれが」
「そう…」
私とリックが斜面の上で食事をしていると、やがて長いロープが上から降ろされた。そして人影が、そのロープを伝って斜面を勢いよく直線的に降下してきた。
そのとき、大きな爆音がしたかと思うと、先ほどの機体が上空に昇って行った。
人影は、あれよあれよと私達の居る場所に降下してきて、食事が終わる頃には、合流を果たしていた。
「あんた、暇じゃあないだろ。」リックの声は迷惑そうだった。
「暇ってのは、自分で作るもんだ。それより俺に内緒で、勝手に楽しい旅にでるのは許さないぞ」と言う男の顔を見て私は驚いた。
「あんたは、第10ステーションの管制官アーチボルト・クーパーさんでは?」思わず、声がうわずった。
「それが何だ。」クーパーは、筋肉質な体をぐっと私に寄せた。「管制官が遊んで悪いか」
「あ、いや、そういう訳では」
「お願いだ、客を威圧しないでくれ」リックが、クーパーの肩をぽんぽんと叩いた。
「威圧はしていない」クーパーはそう言って、身を引いた。そして笑みをリックに向けた。「何処に行く気だ?」
「毎度のガイドコースだ」リックは、ぶすっと言った。「あんたの好みのハードな場所には行かないからな」
「それでも、俺は構わないぞ」クーパーは、笑みを見せた。
「食事は、二人分しかない」
「それは自前で持ってきている」
「分ったよ、あとで料金をソフィアに払ってくれ。そして、あんたの場合は、護衛扱いになるからボディガード代も上乗せするぞ」
「自分の身は、自分で守るから心配するな」クーパーは、不敵な笑みを見せて腕の筋肉を盛り上げた。
「ダメだ。あんたは接近戦には強いだろうが、弾丸とは戦えないだろ」
私は、二人のやりとりが不思議なものに思えた。方や、ステーションの一番の偉いさんでもう一人は、怪しげなガイドだ。
「サトーさん行こうか」リックは、荷物をまとめ始めた。「あんたもだ、クーパー」
「よし、行こう、行こう」クーパーは、大きなバックパックを背負い、大きな顔に笑顔を見せた。
リックはガイドなので当然ではあるが、飛び入りのクーパーも、非常に慣れた足取りで、急斜面を下り、私は、二人にどんどん遅れをとった。リックは、そんな私のガイドである手前、常に私のペースに併せていた。しかしクーパーに至っては、じれったくなったのか、急斜面を突然走り出してしまった。
「凄い人ですね」私は思わず口に出した。
「自分の立場ってのをわきまえていないんだ。くれぐれもあいつの真似はしないように…」
「いや、無理ですって、あんな真似、しかし、あの人、管制官ですよね?」私は、再度確認した。
「ああ、そうだ」リックの返事はそっけないものだった。
「ステーションの要の人ですよね。副管制官の人が大変でしょうね」
「いや、それほどでもない。奴の仕事ぶりは、遊びよりもっと凄い。おかげで中央からきたキャリア連中は、直ぐに送り返される始末だ。」
「話によれば、唯一自治が許されているとか?」
「中央が許可なんか出すかい、名目上はあくまでも地球による直轄だ。しかし実情は、クーパーが自治制度を敷いている。それに中央が口を出せないというだけさ」
「中央軍とか、来ないのですか」
「反乱が起きない限り、出せないだろうな。」息を切らしながらも、世間話を続けていれば、多少気が紛れるので、なんとか疲れを多少和らげることは出来たが、その分時折浮き石に靴を乗せてしまうという、不注意にも繋がり、何度かリックと私を結ぶ紐がピンと張る事になった。




