二日目
朝、私はまだぬくもりを残してるゆたんぽを持って、ロビーに降りた。そこかしこに明りが戻っていたが、まだ寒かった。冷え冷えとした、ロビーのテーブルには女将と、昨日この宿を去ろうとした女が坐っていた。二人とも、押し黙ったまま俯いていた。
あまり話し掛ける雰囲気でないが、さりとてゆたんぽを持ってまた部屋に引き返すのも鬱陶しかったので、私は、そっと二人の坐るテーブルに近づいてありがとうございましたと、湯たんぽを差出した。すると、女将は私に向かってちょっとあんたも座りな。と沈んだ声で言った。
「はぁ?」訳も分からないまま、わたしはゆたんぽを、テーブルの上に置いて坐った。そして、しばらく私の顔を見て、ため息をついた。
「頼みがあるんだが・・」彼女はそう言った。
「なんですか?」こういう状況は苦手だ、私は自分でも嫌なるくらい断り下手なのだ。当然頼み事を聞いて、思わず力を貸したくなる類いではない、頼み事を断るための口実をひねり出す能力にかなり欠けているだけだ。
「この娘さん、妊娠していてね。今、3月目なんだよ、しかも生憎このステーションはボロで、通常の1Gの擬似重力はとてもだせる状況で無いのさ、わかるだろ?だから下界に下ろしてあげるしかないのさ、低重力じゃあ子供をお腹の中で育てるには危険すぎるし、そもそもここには産婦人科も産婆も居ない」
「産むしかないけど、ここでは産めないってことですね。」私は、うつむいたままの女性を見た。涙がぽろぽろと落ちている。
「本当なら産みたくないんです」上ずった涙声が女性の口から漏れた
「え…?」
「相手が分からないんです、船が出なくて、お金が無くて、女がこんなところで滞在費を稼ぐには、体を売るしかなかったんです」
「そうか」私は、同情以外にしてあげられる事がなかった「堕すところも無いの?」
「あるさ」と女将は鼻息荒く言った。「いくらでもあるさ」
「検査の結果、メトセラ因子が陽性だったんです」女性が小さい声で言った。「私、知らなかったんです。自分にそんな遺伝子が混ざっていたなんて、母も父も話してくれなかった」
「堕胎が出来ないのさ、生まなければならない、そしてあんたも子供もお上の命令でトレーサーをつけることになるけどね」女将は、女性に向かって言った。「しかし、その代償として、幾許かの生活費が政府から給付されるから、悪い事だけじゃないよ。」
「…」私にはいうべき言葉がなかった。
「しかし、この人は今、地上に降りるお金が無いのさ。ここで産むことなんか出来ないのに」女将は、私の目をしっかりと見た。私は、まるで蛇に睨まれた蛙の気分だった。
☆
宇宙空間内の施設を往来する宇宙船と違い、惑星とステーションを行き来する宇宙飛行機の運賃はべらぼうに高い、ジェットエンジン、ラムジェット、ロケットエンジンと使い分けるそれは、燃料代のコストがバカならないのだ。そのうえ、定員も少ないから単価が当然高くなる。ちなみに上に上がる方が運賃が高く、落ちる方は安いのだが、それでも普通に働いている人なら、2年分の給与分がそっくり落ちるだけで飛んでゆくのだ。生活の為に、売春をやっていた女性にはその分の蓄えなんか無いだろう。
「知っている人は居ないのかい?」バカな質問だと自分でも思った。女将が、冷たい目で私を睨んだ。
「彼を追ってきたんです。生活の目処がついたから来てもいいと、でも船は出ないし、あの人とも連絡が取れなくなって…ここには、知人なんか居ません」
「ひょっとして、私にそのお金を?」私は、呼ばれた事情を察した。
「言い難いがそういうことだよ。」女将は、ぽりぽりと頭を掻いた。「あんたは結構なお金持ちみたいだしね。当然、それは私とこの人とで返すよ。ほらあんたからも頼みなさいよ」
「お願いします」女性が、伏目がちに頭を下げた
私は、逡巡した。あっさり出すもの足元を見られたみたいで嫌だし、だからと言って断れば吝嗇家呼ばわりされかねない、そんな私の心の内を悟ってか、女将が「じゃあ、ここの宿代を値引いてやるけどどうだい?」と持ちかけた。
「そうですね…それなら」私は、うなずいた。「でも、旦那さんに怒られません?」
「いや、そういう奴じゃあない」
「え…?」すると昨日に怒られていた男はなんだったのだろうと私は疑問に思ったものの、人様のことに首を突っ込むのも躊躇われたので、口にしないでいた。
「では、私の方でチケットを手配しましょう。端末で購入した方がいいですか?」
「ダメだよ」と女将は情けなさそうに言った「シャトルのシステムが壊れたままでさ、オンラインが使えないから窓口まで行かないとダメなんだ」
「では、今から行きましょうか?」
「そうだね、善は急げだ。私が案内しよう」と女将は立ち上がり、それにつられて私も椅子から離れた。当事者の女性だけが取り残されたように、未だ座っていたが、女将が直ぐに声をかけた。
「さぁ、あんたも行くんだよ。証明書が居るんだからね」
*
そこまでの道は狭く、どこも雑然としていた。まるでこのステーションの内部が全て、親不孝通りで出来ているようなものだった。人々は赤い顔で酒臭い息を吐き、ただでさえ狭い通りをクラクションを鳴らしながらバイクに天井が付いたような電気自動車が進む。
「これはこれは、ここから出たときにはアルコール中毒になってしまいそうだ」私は小声で女将に言った。
「この辺りに来なくたって、このステーションで酒なしには半年も居られないよ」女将の口調はやや怒ったように聞こえた。「でも、いい薬もあるから、二日酔いや肝臓の心配はしなくていいさ」ひとつの路地に、薄汚れた服を着た男が地面に座り込み黴の生えた壁に寄りかかったまま酩酊していた。どこかで見た顔のように思え、ちらちらとその男を見ていると、「さっさと行きな」と女将が急かした。その声でその男が宿から女将にどやされていた男で或る事を思い出した。
「あの人は?」と訊くと
「ただののんだくれだ」といら付いた声が返ってきた。
シャトルの窓口は、がらんとしていた。カウンターには誰もついておらず、係りの者と思われる女性がカウンターの向こうで、電話の対応をしていた。天井に近い場所にある電光掲示板には、7日に1便しかないシャトルの発射時刻と空席状況を示していた。
明日の出発があるというのに、空席のマークが点いていた。係りの女性は、私達に気が付くと受話器を押さえて「お待ちください」と声をかけた。それでいて会話は、どうも仕事の用向きではなさそうだった。時々甲高い笑い声をたてつつ、今夜の飲み会について話していた。やがて、それも終わるとやっとカウンターに戻ってきた。
女将が、さっと窓口に寄ると受付は「人ですか?お荷物ですか?」と訊いた。
「大人一人」と女将はぶすっとした口調で言った。「席はあるかい?」
「えーと、ちょっとお待ちください」と受け付けは、ノートを取り出して、ぶつぶつと呟きながらページをめくった。「出発日は何時ですか?」
「明日はあるいかい?」女将は、空席となっている掲示板を見ながら言った。
「明日ですね…」受付はノートの上に指を這わせた。「はい、未だ席があります。」
「じゃあ1枚頼もうかね」女将は、女性の方を見ながら言った。
「分かりました」と受付は、ペンでノートになにやら書き込んだ。「100万クレジットになります」
「相変わらず高いこった」女将は、私の方をみてしぶい顔をしてみせた。私はマネーカードを受付に差し出した。「これで頼む」
「プラチナ…だ。」受付は思わず驚きの声をあげて、しばらくカードを見つめていた。
「残高は十分あると思う」私は、受付の作業を促す為に口を出した。
「あ、はい」受付はあわててカードを処理してから私にカードを返し。みすぼらしいカードのチケットをカウンターに置いた。
「明日のチケットになります。シートはAコンパートメントのA-1です」空いているというより乗客は彼女一人だけのようだ。そもそもこんな辺境のステーションと地上を高い値段を出して往来する者は余り居ない。シャトルは人の為ではなく、物流の為にあるというのが普通の考えだ、人はオマケで乗せているに過ぎない。女性は、チケットカードを受け取り、ありがとうございますと言った。
再び宿に戻ると、女性は2階の部屋に戻り、私はさてどうしたものかと、一回のラウンジで、ぼうっと座ったまま今日の予定を考えた挙げ句、一旦部屋に戻ってこのステーションのガイドマップをぱらぱらとめくって時間を潰した。
ただのノードステーションとして設立されたここは、観光地ではない。何も無いところに作った都市に過ぎない。多くはここや宇宙花の設備を維持管理する人々が住んでいるだけだ。あるいは、行き場を失った人々の吹きだまりだ。
私は、その吹きだまりに落ち着いてしまいそうだった。ふと、冷凍されようかなと考えを改めそうにもなった。寝る、食う、飲むそれだけがずっと続きそうな気がした。




