06 水晶 (繁栄)
今日は6月末日。
フィーネとキャルムが貴族学園に入学し、ノーラが領地アクランドへ戻ってきてからもうすぐ3ヶ月になる。
アクランドの中心部、心臓部分にある小高い丘と言ってもよいほどに低い標高300メートルほどの山、その山頂には巨大な水晶が置いてある。
15歳のノーラとほぼ変わらない高さがある六角柱の水晶は、持ち上げたことは無いが、重さは約2トンだと教えられた。周囲に広がるアクランドの果てしない草原の景色が水晶を通して見えるほどに透き通っていて、中を覗き込むと、聖獣・虹蛇の鱗の光沢によく似た虹色の光が現れ、思わずため息を漏らしてしまうほどに美しい。
この巨大水晶は虹蛇へ魔力を渡すための杯。
雨乞いの儀式では、雨を降らすことのできる虹蛇を召喚魔法で呼び出し、巨大水晶の中に溜め込んだアクランド伯爵家の魔力を奉納する。この巨大水晶がなくても魔力を渡すことはできるが、魔力枯渇で死なないように直接渡す魔力だけではアクランド全体を潤すほどの雨の対価には足りない。
少なくともノーラの祖先がアクランド伯爵として叙爵された300年前からアクランドの地にあり、300年以上も昔からこのアクランドを見守ってくれている巨大水晶。アクランドの民にとっては国教で定められた神よりも崇高なもので、虹蛇と共に信仰の対象になっている。
この巨大水晶に魔力を込めることは、アクランド伯爵家の人間にしかできない尊い仕事。アクランド伯爵家の人間が貴族たる所以でもある。
虹蛇を含む一部の聖獣にとって、アクランド伯爵家直系の人間の魔力は嗜好品のようなものらしい。人間にとってのお酒やタバコやおやつと同じ。そこから栄養や力を得ることはないのだが、ただ味が好きという理由で好まれていると教わった。そのため、アクランド伯爵家の者以外が巨大水晶に魔力を込めても意味はない。
現在この水晶へ魔力を込められるのは、父とノーラとフィーネの、たった3人しかいない。
アクランド伯爵家の屋敷は巨大水晶が置いてある領地真ん中の山の中腹にあり、屋敷から徒歩10分ほどで山頂へたどり着く。
昼食後に山頂まで来たノーラは、巨大水晶へ両手のひらをあて水晶へ魔力を放出した。午後1番に巨大水晶へ魔力を込めることは、領地にいる時のノーラの日課だ。
アクランドの夏は暑い。初夏の今はまだ本格的な暑さではないのだが、白い生地でゆったりとしているために熱がこもらないアクランド独自の伝統服を早くも着始めた領民が目に付くようになってきた。
だというのに、巨大水晶の表面はまるで氷のように冷んやりとしていて気持ちが良い。
春先にノーラと共にアクランドへ戻る予定だった父は、しばらくしたら領地に戻るからと言い王都へ残った。そして、それから一度も領地へ戻って来ない……。
父は貴族学園へ入学したばかりのフィーネが心配で、フィーネのそばにいたいのだ。
これまでも理由を作り領地より王都にいることが多かったとはいえ、去年までの父ならば必ず領地へ戻ってきていた。それは、雨乞い前に巨大水晶へ魔力を込めるため。アクランドへ雨を降らすために、領地へ戻ってこないといけない。
それなのに父が領地へ戻ってこないのは、昨年、ノーラの魔力量が父の魔力量を超えるまで成長したと分かったから。
魔導師は、魔力量を上げるために毎日枯渇するギリギリまで魔力を放出する訓練をすると聞く。
5歳から巨大水晶へ精一杯魔力を込めてきたノーラは、5歳から魔力量を増やす訓練をし続けていたに等しいのだ。
魔力の放出に身体が慣れるまで、しばらくの間は痛みを伴うもの。
そのため、魔法を使い始めるのは身体が大きくなり痛みを我慢できるまで成長した12歳程度が一般的で、アクランド伯爵家の子供が巨大水晶へ魔力を込めることも12歳から始めるのが習わしとなっている。
でも、ノーラは僅か5歳から水晶へ魔力を込めていた。それは5歳のノーラが自分から水晶に魔力を込めたいと願ったからで、誰かに強制された訳ではない。
初めて巨大水晶に魔力を放出した5歳の時、父は「すごい!」と喜び笑顔でノーラの頭を撫でてくれた。その手の感触が忘れられず、魔力の放出に慣れないせいで小さな身体全体にチクチクと針が刺されているような感触がしても、また父に頭を撫でて欲しいとそれだけ考えて、翌日も父に付いて行き巨大水晶に魔力を込め続けた。
普段一緒に過ごす事が少ない父と少しでも長く共にいるためなら、魔力を放出する際の身体の痛みなど我慢できると、巨大水晶に魔力を込めに行く父の背中を夢中になって追いかけて行った。
その結果ノーラの魔力量は同年代と比べて格段に多く成長し、去年、14歳の段階で父を超えてしまった。
毎年巨大水晶に魔力を込め続けていた父も、成人男性の平均よりもはるかに魔力量が多い。そんな父よりもノーラの方が魔力量が多くなったと実感した父は、巨大水晶へ魔力を込めるのにはノーラ一人いれば充分だと判断してしまったようだ。
……私は少しでもお父様と一緒にいたかっただけ。ただそれだけだったのに。
幼い頃からのノーラの努力は裏目に出てしまったのだ。自分が水晶に魔力を込めなくても問題ないと気付いてしまった父はアクランドへは戻ってこない。だってアクランドにはフィーネがいないから。
母は亡くなってしまった。父はアクランドへ戻って来ない。当たり前にずっとあるものだと思っていた家族という塊は、一人一人と欠けてこぼれ落ち、形を失ってしまった。母は天国へ、父はフィーネの元へ、そして、一人残されたノーラ。たただただ寂しいノーラは、何をしても満たされず、虚しい。
そんな寂しさを仕事の話が主題となっているキャルムからの手紙が埋めてくれることはない。
ノーラと一緒に領地へ戻ってきたルカへ縋ってしまいそうで怖い。日々ノーラに尽くしてくれるルカに感謝はしてもよいが、ルカは使用人。ノーラにはキャルムという婚約者がいるのだ。これ以上ルカに心を寄せないようににと寂しい気持ちに蓋をして自分を律する。
魔力を込め終わっても、ノーラは水晶に手をあてたまま思考にふけていた。
「ノーラ様!見て見て、これあたしが編んだの!」
傍目には巨大水晶に手を当ててボーッと立っているだけのように見えるノーラへ、女の子が話しかけてきた。
「皆んなで編んだんだろ!」
「オレも、オレも!オレはノーラ様の目の色と同じ青色編んだ!」
「ノーラ様、わたしはここの黄色の糸のとこ!」
いつの間にか平民学校の生徒たちが来ていたようだ。最初の女の子をきっかけにノーラの近くへワラワラと子供たちが集まって来たため、ノーラは水晶から手を離して子供達の元へ移動する。
山頂にある巨大水晶は24時間体制で警備を配置し、貴賎の別なく全ての人へ開放している。普段からお祈りに来る領民は少なくないし、特にも雨乞いの日が近くなると引きも切らない。
領民達は少しでも虹蛇へ感謝の気持ちを伝えたいと、食べ物や花、手作りの織物や工芸品など持ち寄ってくるため、雨乞いの日には巨大水晶の前は領民から虹蛇へのお供え物でいっぱいになってしまうほどだ。
虹蛇が供物を持っていくことはないため、たくさんのお供え物は結局後日に領民へ振舞われるのだが、それでもかまわないのだろう。
雨乞いの儀式は、毎年、本格的に暑くなる前の7月10日と年末直前の12月20日の年2回ある。儀式の日から5日間、アクランド全域には霧雨、年末には粉雪が振り続ける。
今日は6月末日、次の雨乞いは7月10日。
雨乞いを10日後に控えた今は、御供物置き場として用意しているスペースの7割程度がすでに埋まっている状況だ。
平民学校の生徒達は羊毛で作った大きなぬいぐるみを数人がかりで運んでいる。大きなぬいぐるみは蛇の形をしていて、赤青黄緑ピンク白など色とりどりの毛糸で編みこまれ、大人一人と同じくらいの長さがある。
「まぁ、虹蛇様のぬいぐるみね。編み目の一つ一つが鱗みたいですごい素敵!皆んなで作ったの?」
ノーラの問いかけに、その場にいる30人ほどの子供達が我も我もと各々に話し出してしまった。先ほどまでの静かさが嘘のように賑やかになり、ノーラも自然と笑顔が溢れる。
見かねた教師が代表し、ノーラへ説明を始めた。
「虹蛇様の安産祈願にと、家にある毛糸を持ちよって皆で虹蛇様のぬいぐるみを編みました。子供たちの親世代は20年前に親子で来てくれた虹蛇様を見ておりますが、子供たちはそれが羨ましいようで……。前回の雨乞いの際に虹蛇様のお腹が大きかったことから、虹蛇様の赤ちゃんが見れるかもと期待しているのです」
20年前、雨乞いの際に虹蛇が大きなお腹で現れ、その次の雨乞いでは小さな赤ちゃんの虹蛇と一緒に2柱で現れたそうだ。
親子で現れた虹蛇を見た領民たちは大いに喜び、虹蛇親子2柱が空を舞う姿を描いたタペストリーや絨毯、お皿や絵画などたくさん作られた。今ではアクランド独自の縁起の良い柄として定着している。
ただ、それ以降の雨乞いでは召喚契約をしている虹蛇1柱だけで子供まで一緒に現れた事は無い。
昨年末の雨乞いで現れた虹蛇は、20年前と同じくお腹が大きく膨らんでいた。
人間より遥かに長い寿命を持つと言われている聖獣の虹蛇なら、繁殖適齢期が20年以上続いていてもおかしくない。あの大きなお腹には20年前と同じように卵が入ってるに違いないと、次回の雨乞いの際にまた赤ちゃんが見れるかもしれないと、領民たちはいつも以上に盛り上がっているのだ。
「ぬいぐるみの虹蛇様には目が無いのね。……そうだ、こんなに大きくて立派なんだもの。私も少しお手伝いしたいわ。この虹蛇様に水晶でできた目を付けたいのだけれど良いかしら?」
ノーラが子供達に提案すると、皆はしゃぎ出し両手を上げ「わーい」と喜んでくれた。想い想いに「ありがとうございます」とノーラへお礼を言ってくれる。
アクランド領民にとって水晶は虹蛇と同様に特別なもの。虹蛇への感謝と敬意を現すのにこれ以上の石はない。子供達が編んだぬいぐるみはいきなり高価なものになってしまうが、雨乞い期間が終わったら学校へ飾ってもらえば良いだろう。
手のひらサイズの水晶が2個となると高額になってしまうが、忙しいせいで溜まるばかりのノーラの個人資産には余裕がある。あとでルカに伝えて水晶の手配をしてもらおうと、ノーラは心にとどめた。
今この場にルカは、いない。
いつもだったら、ルカはノーラと一緒に喜んでくれて、何も言わなくてもノーラの意図を汲んで先回りで動いてくれるのにと、子供達のおかげで誤魔化されていた寂しさと孤独感を思い出してしまう。
アクランド伯爵家政務の書類のほとんどはアクランド伯爵のサインや判が必要で、ノーラが書類の作成や確認をしていても、最終的には父がサインをしないといけない。それなのに父はアクランドへ帰ってこないため、父のいる王都へ書類を送る一手間が加わった。
基本は郵送なのだが、提出期限が近い書類は誰かが王都とアクランドを直接行き来し運ぶしかない。書類を放置しがちな父のせいで、そんな事態が頻繁に起こっていた。
緊急の書類を王都へ持って行っていく役割はルカに頼むことが多く、今日もルカは王都にいて、今晩アクランドへ帰ってくる予定となっている。
王都を始め主要な領地や、侯爵家以上の高位貴族の領地には王家が管理している転送ゲートが設置してあり、ゲート間を一瞬で移動することができる。
転送ゲートを使わず全部馬車で移動すると王都からアクランドまでは片道約1週間。アクランドから1番近い転送ゲートは馬車で3時間ほどの隣の領にあり、王都の転送ゲートからタウンハウスまでは馬車で30分。
転送ゲートを使えば片道3時間半と大きく時間を短縮できるのだが、もちろん料金は安くない。利用者のほとんどが貴族で、一生のうちに一度も利用しない平民も少なくないと聞く。
父が領地へ帰ってこないこの3ヶ月、書類持参のためだけにルカが何度も転送ゲートを利用することになり、本来必要のない経費が多額にかかっていることもノーラの気分を沈めている。
ノーラは寂しさからか、ルカに依存してしまいそうになる。
ルカに甘えてしまわないよう物理的に遠ざけるため、あえて王都へ書類を持っていく役割をルカに頼んでいるのはノーラ自身。そして、ルカがそばにいないことで余計に寂しくなっていくのだ……。