過去:才能に殺された彼女(後)
優穂さんは一息ついて、再び喋り出す。
「だけどさ、春休みに理世の家に現れたんだよ。あのクソ担任。最後の挨拶だとかなんとかって。学校から消えたはずなのに、滅茶苦茶怖いだろ? 家も安全な場所じゃなくなった。担任外されてからも理世の家の外うろうろして、ピアノの音を聞いてたらしい」
彼女が語る理世さんの過去、身の上に起きた出来事は壮絶すぎた。
「その担任の先生って――」
「今はここらへんにいないはず」
「どこかに飛ばされたんですか?」
「それもあるかもしれないけど、ストーカー規制法が適応されたんだよ」
――ストーカー、担任の行き過ぎた行動。相手に交際を求めるとか、そういうのじゃないけど、アイドルの追っかけと置き換えればしっくりくる。だけど、学校の先生がストーカーになるなんて怖すぎるし、考えられない。
理世さんにとっても考えられなかったから、余計にショックだったんだろう。
「あと、DVでも訴えられたはず」
「DVって、ドメスティックバイオレンスのことですか?」
「そう、中学生の頃はさ、夫が妻に暴力振るうとかさ、ああいうののことを言うんだと思ってたけど、精神的に追い詰めることもDVなんだって。理世が通ってたカウンセリングの先生がそっちの線で診断書を書いてくれたらしい。だから、ヤツは教員免許も剥奪。
元々ここらへんの生まれじゃなかったんだって。東京だったか、地方の教員と交換して、色々学ばせるっていう、交換留学みたいな、そういうので来たんだってさ。だから、今は生まれたところにでも戻って別な仕事に就いてるんじゃない?」
「理世さんのこと、精神的に追い詰めたのに?」
「体の傷なら、傷を見れば誰でも酷いって言える。でも心の傷はそれがわかる人とわからない人がいる。だから、心の傷を甘く考えてる人の方が多い。だから、ストーカー規制法にしたって、DV問題だって、体に傷がなければ刑は軽いんじゃない?」
「理世さんは、いまだにその人が自分の目の前に現れるかもって、怖くないんですか?」
「怖いだろ。私だって、友達にそんなやつが付きまとってるってだけで、同じように怖い。でもさ――」
優穂さんは苦笑いを浮かべる。
「あいつは強いんだ。中学校は半年しか通わず、二年と三年の時は通信教育と保健室登校だったけど、体育とか、美術ならみんなと一緒に授業受けてた。みんなもどう接すればいいかわからない感じだったけどさ。逃げたくないって、家にいる方が危険だって。最初はやっぱり家から出るのが難しかった。だけど、学校にいたほうが、またヤツが現れても守ってもらえるはずだって。たった一人のせいで人生滅茶苦茶にされたくないって、このままで終わりたくないって、戻ってきたんだ。
最初はピアノなんて弾けない方が良かったって、自分の手を壁に叩きつけたりしたけど、立ち直るきっかけもピアノだった。滅茶苦茶になった心、全部ピアノに叩きつければいいって」
「優穂さんが言ったんですか?」
「カウンセラから音楽治療がいいって言われたけどってウジウジしてたからさ。あとさ、なんか、過去の嫌なことをもう一度やらせて褒めて、良い記憶に置き換えるって治療法があるんだってさ。やるだけやってみればいいじゃんって、それだけだよ」
「なんか、優穂さんと理世さんって、理想的な親友関係ですね」
「もう腐れ縁に近いよ」
そう言って、まんざらでもなさそうな表情を浮かべて彼女はそっぽを向く。
今ならわかる。
優穂さんが、理世さんを私に会わせなかった理由。
理世さんのピアノにだけ惚れて、彼女の内面を見てないのではないか? それでは理世さんはまた傷つく。中学生の頃の担任を思い出す。私が、その担任のようにストーカーにならないとも限らない。
信用されてなかったんだなって、やっぱり心は辛い。
ちょっと過保護すぎるって言いたい。
だけど、理世さんの過去を語ってくれたっていうことは、たぶん私は信用されたんだと思う。
「骨折したっていっても、アイツのことだから治ったらまた弾くよ」
優穂さんはそう言った。
その時は、間近でその演奏を見たいと思った。
そしてピアノ以外の話、過去のことでもない、もっと楽しいこと、みんなで話しをしたいと思った。
一生にも会わせたい。
その時、そんな明るい少し先の未来を思い描いた。
だけど、私はまだ子供。
大人への階段を登っている最中。
明日から文化祭という日の夜、今までまったく連絡を寄越さなかった母から電話が来た。
――離婚が成立したから。明日、迎えに行くから、今晩中に用意しときなさい。私は今の仕事を辞められないから――そっちよりも偏差値のいい高校に転校して、受験勉強に励みなさい。
まただ。結局私の練習は無駄に終わって、みんなにちゃんとさよならも言えないまま。
山本先輩や優穂さん、それに一生には電話で伝えたけど、ちゃんと会って伝えたかった。
――さようなら、短い間、色々あったけど楽しかったよ。
目には見えない線でつながっていても、やっぱり直接会って話すのとはまるで違う。
涙をこらえて乗り込む新幹線。
車内で母から手渡された新しい保険証には新しい名前が印刷されてた。
――成田君花。
見慣れない名字と名前の組み合わせを見ても、両親の離婚を実感できなかった。




