過去:才能に殺された彼女(前)
あの後、理世さんは救急車で近くの病院に運ばれた。
彼女が突き落とされた瞬間を見ていた私と優穂さんは保健室、里音さんはカウンセラー室で、それぞれ先生たちから事情聴取をされた。
午後の合唱コンクール予行練習は予定通りに行われたそうだ。
優穂さんが隣にいてくれるのが心強かったけど、ちゃんとその瞬間を見ていたのに、私の口は開かなかった。
しばらく保健室のベッドで寝かせてもらうことにした。
他の生徒や教師のほとんどが、文化会館の予行練習に行っていて、とても静かだった。
こんな時、ピアノの音が聞こえてくればいいのに。
そう思うと同時に自己嫌悪に陥る。
やっぱり自分のせいなんじゃないかと。
それを、優穂さんも刈沼先生も否定してくれた。
スマホには、一生から「大丈夫? 無理に返信しなくていいから」と短いメッセージが届いていた。
「返信しなくてもいい」その気遣いが心に染みて、少し泣いた。
始めは眠れなかったけど、気づけば三十分ほど眠っていたらしい。
体を起こすと、保健室の外から生徒たちの声。
文化会館から戻ってきたのだろう。
「君花、起きてる?」
カーテン越しに声をかけてきたのは優穂さんだった。
「はい、少し寝てました」
「開けてもいい?」
「大丈夫です」
先輩は寝ていたような気配はない。
黙って、何を考えていたんだろう?
彼女は私の横に来て、後ろの何も入ってない薬品棚に寄りかかって腕を組む。
「さっき、カリちゃんから聞いたんだけど、理世のこと」
布団を握りしめる手に自然と力が入る。
「理世さん、大丈夫なんですか?」
「本人は案外ケロッとしてるみたい」
「大丈夫、なんですね」
「落ちる時に頭をかばったから、脳震盪で済んだって。ただ、左腕にヒビが入ったって。そっちの治療をしないとダメだって。足も階段踏み外したときにちょっとひねったらしくて、そっちは捻挫」
「……もう、ピアノ弾けないんですか?」
「しばらくはギプス生活だろうけど、ずっと弾けないってことはないんじゃないかな」
ずっとうつむいたままの私を見て、優穂さんは盛大なため息をつく。
「あのさ、君にとって、理世は何?」
「え?」
思わず顔を上げる。
そこには、初めて会った時の怒りともつかない、複雑な表情がある。
「君は理世のこと、どう思ってるの?」
「どうって、ピアノが――」
「アイツは! ピアノを弾くだけの人形じゃない!」
優穂さんは、握りしめた拳を、後ろの薬品棚に叩きつける。
「みんなピアノピアノって、そうやってわかりやすい部分だけ褒めて、理世一個人をまるで見てない。アイツはアイドルじゃない、私たちと変わらない普通の女子高生だ! 女子大生になっても、成人しても、アイツはアイツのままだ! 勝手にピアノって型に押し込めるな!」
「……優穂さん、」
「里音だってそうだ。アイツはアイツで個人的に理世に因縁があった。それが、今回のピアノ伴奏で爆発したんじゃない?
理世が精神的にも、肉体的にも傷つく時、必ずといっていいほどピアノだ、とにかくピアノの話が出てくる、ピアノがそばにある。それで私はピアノが嫌いになって、理世と一緒の教室に通ってたけど、先に辞めた。でも、そう言ってる私だって、アイツのピアノが好きだ。だから辞めろってはっきり言えない。今日だって、淑子先生に呼ばれた時、止めたんだ。一年の時だって伴奏断ったのに。だけど、『弾きたいから弾かせて』だってさ。そんなふうに言われたら、止められるわけないじゃん」
「……理世さんは、好きなんですか? ピアノ、弾くの」
さりげなく、優穂さんは目じりの涙を指先でぬぐう。
「アイツは音楽が好きなんだよ。ピアノに限らず、唄うのだって好きだ。だけど、どういうわけかリコーダーとかは下手くそ」
それはそれで珍しいかもしれない。
「ずっと自由にピアノ弾いたり唄ったり。だから、コンクールとか先生から進められても好きな曲じゃないからって断ったり。小さいときはそういうワガママ許されるけどさ、中学の合唱コンクール。あれがアイツにとって、初めて大勢の前での演奏だったんだ。練習の時からずば抜けてて、理世のクラスはあのピアノのおかげで一位になれたんじゃないかっていう奴もいたよ。ずるいって」
今日、理世さんの伴奏で唄った時、自分の限界値を軽々と超えられた気がした。
ピアノのおかげだって、私もそう思ってしまった。
「それがさ、教師の一人が、理世の演奏聞いて、すぐにコンクールに出るべきだ。こんなところに留まっている場合じゃないって。しつこくつきまとってさ、家にまで押しかけて、親を説得したり」
「そんなこと、許されるんですか?」
「許されるわけないじゃん。理世の親はあくまでもアイツの意見を尊重するって。なのに、勝手にコンクール出場用紙とか準備してさ、あとは親のサインだけだとかってさ。
――クラスの担任だったんだ。だから、毎日アイツと顔を合わさなきゃいけない。そして、とにかく理世、理世、理世って。幸いだったのは、クラスのみんなが嫉妬しなかったことだ。みんな理世を守ろうとしてくれた。でも、相手は教師だから表立って文句も言えない。守りたくても、守れなかった。
そのうち、アイツは不登校になった。私が迎えに行っても、お腹が痛いって。学校に行きたいのに、みんなに会いたいのに、担任がいるから怖くて行けないって。
理世の親は校長に直談判したよ。担任が家に来たのも、アイツの勝手な行動だったらしい。しかも、自分が原因だってのに、様子を見に来たって家に上がり込もうとした。
最初のうち、毎日きて、熱心な先生なんだなって両親も騙されてたんだよ。それをアイツの親から聞かされて、それは違うって。担任の行き過ぎた行動で理世は学校に来れなくなったんだって、全部喋ったんだ。それからすぐに教頭がクラス担任代理になって、ホームルームの時間にアンケートとか、クラス一人一人から話聞いて、学校が動いてくれたのは二学期が終わる頃だった。だけど、すぐには辞めさせられないって、教頭がクラス担任のままで、三学期の終業式を迎えて、それでヤツは消えた」




