盗難・消失・瞬間移動
■一年前 六月■
「優穂は、先輩のクラリネットを盗んでいません」
外は雨。
校内の壁や階段の手すりは湿気でべたついている。
リノリウムの廊下も滑りやすくなっている。
四階、一年C組の教室が放課後はクラリネットの練習部屋になっていた。
事件が起きたのは五月。
当時の三年生、吹奏楽部部長のクラリネットの盗難事件が起きた。
そのクラリネットは学校の備品ではなく、部長個人の私物であったため、盗まれた本人は酷く憤慨したという。
だが、盗まれた――失くしたと思ったその日に手元に戻っていた。
そして一つの謎が残った。
クラリネットは当時一年で吹奏楽部新入部員だった池端優穂のクラリネットケースから出てきた。
吹奏楽部部員ならば、裏にこんなことがあったから盗まれたのでは? と語るだろう。
当時、吹奏楽部のクラリネットは人数が多く、新入生を入れる余裕が一人分しかなかった。
そこに、中学時代からクラリネットをやっていた、藤田里音と池端優穂の二人がクラリネットを志望する。
何かしらの楽器経験者であれば、その楽器をやらせる。
そのほうが教える方としても楽だから、という理由もある。
当時、パーカッションが不足していたため、二人のうち、どちらかはパーカッションに移ってもらうしかなかった。
そのため、実力があるほうをクラリネットとしてとる、というのが吹奏楽部顧問、佐藤淑子の判断だった。
入部して、楽器が決まったらすぐにでもコンクール用の曲選びと練習に入る。
そのために、練習に時間を取っている時間はなかった。
一応、二人とも吹奏楽部に入部はした。
どちらも、一つしかないクラリネットの座に座れると確信があったからだろうか?
藤田のほうは知らないが、池端に関しては、パーカッションでもいいと申し出た。だが顧問である佐藤先生は「みんなの前で一人でも堂々と演奏できる人が欲しい」と言って、試験が行われることになった。
練習期間は一週間。
盗難事件はその期間中に起きた。
吹奏楽部部長、畠山留海がふと目を放した隙に、クラリネットが消えたのだという。
トイレに行っていたというのであれば、まだ「盗まれた」と言ってもいいだろうが、目を放した隙に消えたというのでは「消失」だ。
しかも、その時、図書委員会の作業で席を外していた優穂のクラリネットケースから発見されたのだから「瞬間移動」とも言えなくはない。
図書委員会の作業は二階の図書室で行われていた。
内容は図書室の利用に関するアンケートの集計作業で、他の委員会活動が一時間程度で終わるのに対し、その日、図書委員会は遅くまで活動を続けていた。
その間、優穂は一度だけトイレで席を離れているが数分で戻ってきたという。
二階から四階のクラリネット練習教室に行って、留海のクラリネットを盗み、自分のケースに入れるというのは端から見ても不可能だ。
しかも、優穂にはアリバイの他、彼女のクラリネットケースが、第二音楽室の楽器保管用の個室に残されたままの状態で、部活開始後、その個室に誰も入っていないことが第二音楽室で練習をしていたパーカッション担当の生徒たちの証言で明らかになっている。
パーカッションは三人だけ。
なので、見落としの線を疑われたが、第二音楽室、楽器保管室共に引き戸だが、古いもので、開ける時に大きい音が出るのだ。
金管楽器だったらその音を聞き逃す可能性も高いが、パーカッションは音に長さがない。ティンパニは余韻は残るが、ロングトーンのようにはっきりした音が続くわけではない。細かく打ち続けることで長い音に聞こえなくもないが、扉が開けば、誰かが入ってきたとすぐにわかる、と吹奏楽部のほとんどの生徒が答えた。
だが、畠山留海にとっては、これから椅子を並べて演奏するかもしれない生徒のケースから自分の楽器が出てきたというだけで嫌悪するのに――犯人だと決めつけるのに十分だったのだ。
池端優穂には犯行は不可能。
しかし、留海は優穂が部活にいることさえ否定した。
学校側としては確実な証拠があるわけでもなかったし、無事に個人の私物であるクラリネットが出てきたことから事件として扱わなかった。
だが、顧問がいくら箝口令をしいたところで、日常会話の題材不足な生徒たちにとってはかっこうな話題となり、校内に広がることとなる。
――池端優穂は窃盗犯だと。
優穂は周りの雰囲気を気にせず、いつも通り学校に通った。
だが吹奏楽部は辞めた。
強がりも長くは続かず、事件から一か月近くたった今は、保健室登校をしている。
クラスの話題もすでに別なものに切り替わっているのに。
それから一か月、1年C組の教室は、蛍光灯で明るく照らされている。
余計に外の暗さが強調される。
「いきなり呼び出されたと思ったら、今更その話?」
そう言ったのは、部長であり、木管パートリーダーである畠山留海だ。
彼女を含めたクラリネットのメンバー五人、その中には優穂とクラリネットの座を、結局争わずに手に入れた藤田里音の姿もある。
それと、顧問の佐藤淑子。
中立の立場としての聞き取り役で、金管パートリーダーである三年工藤聖良と、彼女と幼馴染で、小学生の時から一緒に吹奏楽をやって来たという一年の伊藤新夏。
聖良はトランペット担当、新夏はトロンボーン担当。
そして、本来は帰宅部である深澤理世がこの場を仕切っている。
クラスメイト達は「リヨ」が呼びにくいと言って、彼女を「リオ」と呼んでいる。
理世は優穂と中学生時代からの友達だった。高校に入り、そこにクラスメイトである新夏が加わる。
誰かがこの謎を解いてほしいと頼んだわけではない。
ただ、理世はこの冤罪が許せず、今この場に立っている。あまり人前に出るのは好きではない。
正直なところ、新夏に探偵役を放り投げようとしたのだが、「無理無理無理、その後、吹奏楽部に残る身としてはそれは絶対無理!」と言われてしまったので、こうして、部外者の理世が自分で自分の推理を語ることになったのだ。
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