過去:そして出会う
文化祭でのクラスの出し物はバザーとなった。
売上金は募金に回すそうだ。
ドラマや漫画で、高校ともなると出店なんかもあって、賑やかなんだろうなと勝手に想像していたが、現実は違った。
腐っても女子高、風紀は乱さないという理由で、コスプレ系はアウト。だけど、お化け屋敷はオーケーという不思議。ただし、過激なものでないこと。
ここらへんは生徒会の人たちがチェックしていくらしく、あくまでも生徒主体のイベントと謳っているが、結局口を出してくるのが教師というものである。
家庭科クラブなどは出店をやるそうだが、クラスの出し物で飲食関係をやるところは少ない。というのも、開催一週間前から検便をしなければならないとか。検便くらい何度もやってきただろと男子は言うかもしれない。だが、私たちはもう子供ではない。羞恥心の芽生えた生成りな女性なのだ。
合唱の練習も始まっている。
一年生の芸術選択授業は、音楽以外の生徒も合唱練習のために音楽室に集められ、練習に当てられた。
芸術授業のなくなる二、三年生になると自分たちで各自練習することになるかと思いきや、体育などの授業を音楽の時間にして、練習するのだという。
我が校に音楽教師は淑子先生だけ。
三学年各五クラスで全十五クラス、十五曲の面倒を一人で見るというのだから、ある意味指示を飛ばすだけの体育教師よりも体力がありそうだ。
最初は自分たちが歌う曲を、楽譜を見ながら何度か聞き、次に覚えているメロディーで構わないからと、一度全員で歌ってみる。その後、各パートに分かれての練習になる。
「春に」という曲は三声合唱曲――三つのパートに分けられる。
音楽を選択している生徒はすでに自分のパートが決まっているので、自然と全体を引っ張る立ち位置になる。
各パート別のメロディが録音されたテープを聞くため、ボロボロになったカセットテープデッキを中心に、輪になって自分たちが歌うメロディーラインを頭に入れていく。
カセットデッキは三台あるが、主旋律を担当するソプラノが先に淑子先生のレッスンを受ける。
グランドピアノを囲うように集まり、とりあえずメロディを覚えることに専念する。
時間交代で次のパート、また次のパートと、先生に細かい部分の修正をしてもらい、少しずつ音を整えていく。
授業の最後、全体で歌えば、そこそこ歌えているような気がするが、粗はボロボロと出てくる。この粗を自主練習でどこまで整えていけるかが、課題となるだろう。
ちなみに、文化祭の出し物と合唱には点数がつけられ、合計点を争う。
粗品など、なにかあるわけではないが、順位が付く、というだけでだいぶやる気度合いが変わってくる。
放課後、バザーのために各自が持ち寄った品の点検や値付け、教室内の配置など各班で話し合っている間、担任が用意してくれたカセットデッキから「春に」がエンドレスで流れてくる。
自然と各パートが、音を確かめあいながら口遊む。
十月も近く、冬服が増えてきたのに、選んだ曲のタイトルが「春」というのも少し笑える。
だが、歌詞は春よりも「新しさ」が強調されているような気がして、まだ入学して一年経たない自分たちにはちょうどいいと思った。
放課後、文化祭の準備で忙しくなる今の時期、水泳部の練習は自主練習になる。
水はすでに冷たいが、十月までは必ず泳ぐそうだ。
夏休み中に一度水を抜いて軽く掃除したが、すぐ近くにプールを隠すために植えられたのかよくわからないが、ケヤキや桜の木、それらの葉がプールに落ちて、泳ぐ前にすくっているのだが、きりがない。
九月の始めは、赤とんぼが数えきれないほど飛んでいて、仰向けで、それを見ながら浮かんでいるのが楽しかった。
今は泳ぎ始める時間は遅くなったし、加えて日が暮れるのが早くなったので、近くの街灯と、申し訳程度につけられたライト一つの明かりで泳いでいる。
三年生が七人減って、現在水泳部は全部で十人。
プールが広く使えるようになって嬉しいはずなのに、それだけ人が減ってしまったという二律背反。
「この気持ちは何だろう」
「春に」に何度も出てくる言葉。
練習後のクールダウン、仰向けで紺青の夜空を見上げながら、呟いてみた。
その日の放課後も変わらず、合唱曲をBGMにバザー品の値段決めや、値段シールを付ける作業を行っていた。
教室を飾るための大きな布は、寂れた商店街では手に入らず、ネットで注文し、それが昨日届いたと言って、飾り付け担当班は実際に壁に借り止めしたりしてはしゃいでいた。
吹奏楽部はここのところ全体練習に余念がない。
二日目の校内一般入場日、体育館での演奏が控えているからだろう。
文化祭のために練習したメジャーな曲もあれば、高校総合文化祭――吹奏楽部門の曲も含まれており、文化祭はそのリハーサルも兼ねている。
その音に紛れて、ヒラヒラと音が舞った。
ピアノの音。
全体合唱、「心の瞳」の前奏部分。
「君花、どうかした?」
手が止まっていたのだろう。一生が顔を覗き込んでくる。
「ううん、なんでもない。ちょっとトイレ行ってくる」
手に持っていた値札とカラーマーカーを机の上に置いてそそくさと教室を出る。
一年生の教室は四階で、同じフロアにある第二音楽室から聞こえる吹奏楽部の音でかき消されそうな三階のピアノの音。
でも、吹奏楽部の演奏にストップがかかるたびにハッキリ聞こえてくる。
前奏部分を弾き終わって、曲がストップしてしまう。
中央階段を少し駆け足で降りる。
三階、二年生たちも文化祭の準備で、放課後とは思えないほどにぎわっている。
第一音楽室へ続く廊下へ曲がる時、前から少し駆け足で飛び出してきた先輩とぶつかりそうになり、慌てて「すみません」とすれ違いざまに頭を下げる。
再び、音楽室から前奏が流れ出す。
まだそこに、彼女はいる。
戸のガラス窓から中を覗き込む。
ダークグレーのボブが、体に合わせて揺れている。
目は譜面台の楽譜を追っている。
瞬間、その瞳がこちらに向けられた。
なんでこんなにドキドキしているんだろう?
前ほど大慌てで音楽室まで駆けてきたわけじゃないのに。
スカートで手の汗をぬぐい、扉に手をかける。
扉が開くのと同時に、ピアノに向かっていた彼女も立ち上がる。
彼女は、少し驚いた表情を浮かべていた。
「吹奏楽部の子? もしかしてこの教室使う?」
落ち着いたソプラノボイス。
楽譜を譜面台から片付けようとするのを、慌てて手を振って否定する。
「いいえ、自分は吹奏楽部じゃないです。……『心の瞳』の前奏が聞こえたから」
「全然弾けてないでしょ? 練習し始めたばかりだから」
そう言って彼女は笑って、椅子に座り直す。
「あの」
ゆっくりとピアノに近づく。「前にも、ピアノ弾いてませんでした?」
「たまにここのピアノは弾かせてもらってるけど、」
「四月くらいに、私、ユモレスクを聞いて……もう、半年前のことなんて覚えてないですよね」
思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「うーん、いつ弾いたかは覚えてないけど、私もユモレスクは弾けるから。何も考えずに弾いてたのかも」
あこがれの人に会うって、こんなに緊張することだったんだ。
さっき自分が言った言葉を反芻しながら、「ここはもう少しこう言うべき」なんて添削している。
ちゃんと会話ができているか、相手に不快な思いをさせてないか、いろんなことが頭に次々と浮かんでくる。
「あの、もしよかったら、名前を聞いてもいいですか?」
「おかしい、私の名前ならたぶん文化祭の名簿に載るよ」
「どうしてですか?」
「全校合唱のピアノ伴奏、私だから」
伴奏者と指揮者は名前が載るようなことを担任が言っていたような気がする。
「あ、えっと……今、知りたいんです。私は飯塚君花って言います」
「飯塚か。ここらへんじゃあまり聞かない名字だね」
「そう、ですね。父がここらへんの出身じゃないんで」
「そうなんだ」
彼女は軽く納得して、名前を口にする。
「私は藤田里音、よろしくね。君花さん」
少し首を傾けて彼女は微笑んだ。
引用:谷川俊太郎「春に」
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