過去:保健室のヒキコさん
水泳部はいいね。
――と言われる時期がある。
それは夏だ。
楽な練習などはない。
だけど、夏場は他の運動部に比べて熱中症の心配は少ない。
なにより、日焼けだ。
野外の部活はすこぶる日焼けする。
だが、水泳部の場合は露出部分が多いため、綺麗に焼ける。
テニス部などは半袖やソックスの跡が残らないように必死で日焼け止めを塗る。
水泳部でも、背泳ぎを専行してる人は、ゴーグルの跡が残ると言って、顔に日焼け止めを塗る人もいる。
陸上部も比較的、日焼けの跡が目立ちにくいのでは? と聞いたところ、「サンダル履くと白い足袋履いてるみたいになるよ」と言われた。
そんなわけで、夏休み中、新人戦に向けてガッツリ練習をこなし、完全な小麦色で二学期を迎えた。
始業式では、夏休み中に行われたインターハイの成績発表や、九月末に行われる文化祭など、二学期の大まかなスケジュールが伝えられた。
ちなみに、北国の夏休みは八月下旬に終わりを迎え、二学期が始まる。代わりに、雪で電車が止まりやすい冬休みは都心に比べてその分、少し長い。
三年生は夏休みから本格的な受験生となり、山本先輩も、夏休み中は夏期講習に通ったらしい。
二年生も、二学期の中間テスト後には進路についての二者面談があるそうだ。
文化祭、肝心要の合唱コンクールだが、クラスの自由曲は一学期の時点で決めていて、ピアノ伴奏者は夏休みの間、その練習にいそしんでいたという。
練習時間の問題から、自由曲だけの一発勝負。
我が校の文化祭は二日間にわたって行われる。合唱コンクールだけは近くの文化会館を借りて行うのだが、その中に、全体合唱というものがある。
全校生徒で一つの曲を歌うのだ。
それを皮切りに、一年生から順番に歌っていく。
ここらへんの説明を、クラスで何を歌うのか話し合う前に、優穂さんから保健室で話しを聞いていた。
優穂さんとは、メールアドレスの交換をしたものの、直接会って話をすることのほうが多い。
私は部活があるため、彼女と会うのは昼休みの図書館がほとんどだ。
「合唱曲、飯塚君たちのクラスは何唄うの?」
九月になって、多少涼しくなった風が吹き込む窓辺。
優穂さんは、今は冷たい塊でしかないオイルヒーターに寄りかかり、腕組みをして、椅子に座った私に問いかけてくる。
どうやら、腕を組むのは彼女の癖らしい。
「『春に』です。谷川俊太郎の」
「私たちが一年の時もどこかがその曲歌ってたなあ」
「優穂さんたちは?」
「『予感』って曲。前に全国合唱コンクールの課題曲に使われた曲」
「聞いたことないです、」
「合唱曲集とかには載ってるかもしれないけど、普通の教科書には乗ってないね。ところで、伴奏者はすぐに決まった?」
「それがですね、優穂さんの言うとおりでした」
そう言って苦笑する。
面と向かって「私のほうが上手い!」と言って喧嘩、などはなかったものの、最初の立候補者は三人。そのうち一人は楽譜を軽くさらってみて、無理だと思ったのか辞退したが、残りの二人は、実際に伴奏させてみて、どちらがいいかクラスで多数決。
一応、紙に名前を書いて先生に手渡しという投票形式だったが、それでも選ばれなかったほうは悔しいだろう。
投票前にコソコソと両者の悪評が聞こえてきたり。
指揮者はクラス委員長で、どこ吹く風。
「ああいうのって、二年になってもあるんですかね?」
「どうだろうな。今回、うちのクラスは受験勉強に集中したいとかって、辞退する人が多かったからなあ」
「優穂さんが弾けばいいのに」
「ダメダメ」
彼女は大げさに手を振ってみせる。
「私はクラスからあんまり良い目で見られてないから。そんなのが弾いたら合唱がバラバラになる」
「そうなんですか?」
確かに、始めのうちは近づきにくいオーラを感じていたが、仲良くなってみると冗談も通じて面白い人だと思うのだが。
「だって、私一年生の時は一時期、保健室のヒキコさんだったから」
「なんですかそれ?」
「知らない? いじめでひきこもりになった子が夜な夜な、自分をいじめてた子の足を引きずって殺すっていうホラー」
「それ、引きずる方はすごい腕力ですね」
「飯塚君の着眼点がホラーだよ」
「ったく」と、呟いて、腕を組みかえる。
「それで、保健室のヒキコさんってなんですか?」
入学してこのかた、耳にしたことがない。
優穂さんは声をひそめて言う。「保健室登校してる子のこと」
始めにうかんだ言葉は、冗談として受け止めた「まさか」。でも、真面目な表情をして、視線をそらした彼女に、確認としての「まさか」が浮かんだ。
「だって、優穂さん、今は普通にしてるじゃないですか」
「二年になってクラス替えがあったり、事件の話題に触れる人も少なくなったから。それで少しずつ新しいクラスになじめるようになったの。こんなガサツな人間でも、構ってくれる友人はいたからさ」
「……事件って?」
「大したことじゃないよ」
その言葉と、午後の授業の予鈴が重なる。
「私は次、移動教室だから、教室に道具取りに行かなきゃ」
そう言って、そそくさと優穂さんは図書館を後にする。
口が滑ったわけではないと思う。
何かあったことは言えるけど、全部を教えるだけの勇気はまだない、というかんじなのだろうか?
考えつつ、私も四階の自分の教室に戻るため、図書館を後にする。
――保健室のヒキコさん。
図書館を出て、教室に戻る時に必ず通る保健室。
すりガラスの向こう、今も保健室登校の誰かがいるのだろうか?




