過去:繭と蕾
たった数分前まで、水中で苦しかったのに、競技を終えて、隣のサブプールでダウンしていると、先ほどまでの息苦しさはどこへやら。今ならもっと泳げると思っても、後の祭りだ。
最後のタッチ、ワンストローク足りなかった気がする。
タイムは自己ベストだったが、決勝に残れるタイムではない。
そこへ、同じく平泳ぎ百メートルを泳ぎ終わった山本先輩が来る。
その目は十一組目のタイム、電光掲示板に向けられている。
屋内は歓声に包まれている。
だが、泳いでいる時はまったく聞こえなかった。
「決勝に残れそうですか?」
「補欠に残れるかどうかって感じかな」
十一組目のタイムが表示される。
しばらくして、決勝進出者の名前とタイムが表示される。
山本先輩の名前はない。
「自己ベストは出たから、最後にしてはいいほうだ」
そう言って、スイミングキャップを再びかぶり、サブプールに入る。
「百はダメだったか」
そこに、聞き覚えのある声が降ってくる。
顔を上げれば、青いジャージに身を包んだ――山本先輩?
いや、先輩は隣にいるし、うちの水泳部のジャージはマゼンタピンク。
山本先輩と違って、鎖骨の辺りまで伸ばされた髪は軽く湿っていて少し茶色い。
「まだ二百が残ってる。そっちは百の決勝おめでとう」
「でも棄権しようかなあって思ってる」
「二種目しかエントリーしてないんだから泳げ。当日棄権はお金とられるって知っているだろ」
「……あの、先輩?」
お友達、ってわけじゃないですよね? こんなうり二つで。
先輩は一度はめたゴーグルを外して、「ああ」と声を漏らす。
「工業高校に行ってる姉だ」
「双子のな」
こっちは手が濡れているので、握手はせず、頭を軽く下げる。
「男子ばっかりの工業高校に行ってるんですか?」
妹の山本先輩は女子高に通っているのに。
「地元で理数科があるのって工業高校だけだからな。それだけ」
「女子が少ないって大変じゃないですか?」
「いいや、先生は女子に優しいし。俺はそういう優遇好きじゃないけどね。男子も女子も平等に扱えっての」
「だったら女子高でもよかっただろ。優遇も何もない」
「休み時間に生理用品投げて渡すとか、そんな空間にいたくないわ」
いわれてみれば、男なんて教師に数人いるだけだし――って、中学の時はコソコソ渡してたのが、今では包み隠さず渡すのが普通になっている。
「ま、お疲れさん。俺は決勝まで寝てるから」
そう言って、先輩のお姉さんはサブプールから去っていった。
「工業で水泳部って、男子の目とか気にならないんですかね?」
「工業はプール壊れてて使えないから、もっぱらスポーツセンターの室内プールで練習するから気にする必要ないんだってさ。そもそも、気にするような柄じゃないよ」
山本先輩はゴーグルをかけ直し、ゆっくりとクールダウンを始めた。
自分のこと「俺」って言ったり、確かに工業っぽいかも。
一日目の自分の競技は泳ぎ終わったので、水着から着替え、高校の控え所に戻る。
控え所に戻って、プログラムに目を通す。
地元の工業高校で、山本の名字。
――山本繭。
蕾に対して繭か。
エントリー種目はバタフライの百と二百メートル。
あのかんじからして、名前にあやかって、蝶というのは――、なきにしもあらずなのかな?
一日目の競技を終え、宿に戻る。
部員十七人中、決勝に残れたのは三人というのは、なかなかに心苦しい。
そもそも、水泳に本腰を入れている生徒ならば、会場となっているプールを普段の練習場としている市内の名門校に入学するのが筋だろう。
だが、部活に入ったからには行けるところまで行きたい。自己ベストを出すために今まで頑張って来たのだから。




