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あの時が聞こえる  作者: end&
本編
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15/42

過去:take your marks

 何もかもが初めてだった。


 一緒の種目に出る山本先輩と二年の先輩と三人で召集所に向かう。

 選手控室の前で、学校名と名前を告げる。

 係員が名簿にチェック印を書き込み、ゲートを通される。


 選手控室の中は暖房が効いていた。


 競泳選手用のジャージは速乾性素材で出来ているが、中は意外にも起毛で体温が下がらないような布が使われている。


 中には、冬用の表面がナイロン製のロングコートを着ている選手もいるが、ちゃんと水着メーカーのロゴが刺しゅうされているので、競泳用なのだろう。


 自分の順番を待っている間、不安で仕方がなかった。


 スタートに失敗したらどうしよう? ゴーグルが外れたらどうしよう? 途中で力尽きたらどうしよう? やっぱり、一番遅かったらどうしようという不安もあった。


 周りの選手はストレッチしたり、音楽を聴いてるのかイヤホンをしたり、山本先輩もそうだが、とても同じ女子高生には見えない。


 先輩たちは、知り合いの選手なのだろう、自己ベストタイムなどを言い合ったり、和んだ雰囲気だ。

 私のように、見よう見まねでストレッチをしたり、黙って椅子に座って自分の番を待っているのは同じ一年生のはず。そう思わなければ、胃に穴が開きそうで仕方がなかった。


 やがて、女子百メートル平泳ぎ競技開始のアナウンスが流れ、本当に口から心臓が出てきそうだと感じた。


 こんなことなら、一組目でさっさと終わらせたかったと思う。


 そもそも、さっさと終わらせられるほど速く泳げるはずがない。


 自分の番が近づき、自分の後の二年の先輩と山本先輩に見送られ、コース順にならんで、選手控室を出る。


 涼しい風が、少し緊張を癒してくれる。


 六コースは選手控室からすぐで、一コースずつに配置された審判に礼をして、ジャージを脱ぐ。

 これまた見よう見まね。


 周りの選手が、椅子の脇に置かれたバケツの水で胸――心臓に水をかけて、水温にびっくりしないように、心臓を落ち着かせる。


 ――飛び込んだらあとは泳いでターンして、戻ってくるだけ。


 セイルを使い、肩から水をかけ、全身を濡らしていく。

 やがて、一コースから名前が呼ばれる。


 一コースの選手はまだ自分のコースに付いたばかりで、今、ジャージを脱ぎ始めたところだ。


 逆に、隣の七コースの選手は用意された一人がけのプラスチックの椅子に座り、太ももを拳で叩くマッサージをしていた。


 それに倣(なら)い、一度席について、ゴーグルをセットする。

 顔に跡が残るくらいきつくしたゴム紐、大丈夫。練習の時だって外れなかったし。


 名前を呼ばれ、立ち上がってプールに向かって礼をする。


 同時に、西側観客席から名前を呼ばれる。

 チームのみんなだ。


 でも、そちらを見る余裕はない。


 ホイッスルがなって、スタート台の横に立つ。


 次に長いホイッスル――位置につけの合図。

 震える足でスタート台の上に立つ。

 一歩間違えばプールに落ちて即失格。

 ざらざらしたスタート台の表面。

 右足をその先に引っ掛ける。右足は少し弾いて、後ろのスタート判定装置に足を置く。

 足はそのまま、上体を前に倒し、自分の足元を見る。

 声援が止まる。


 ――take your marks


 スピーカーから発せられる音声を合図にスタート台をしっかり手でつかむ。

 スタート合図までの数秒、ここで少しでも体が動けばやり直し。


 短いスタート音が鳴る。


 体を後ろに引いて膝のバネを使って前へ飛び込む。

 もう水の音しかしない。

 前しか見えない。前しか見ない。

 潜水からの浮上。


 思いっきり息を吸い、まるで拝(おが)むように合わせた両手を斜め上に付き出し、再び水中へ。

 それはイルカが一瞬だけ水面に体を出すような。


 頭のてっぺんから再び水中へもぐる。

 両手で水をつかんで左右に裂く。


 百メートルはあっという間。ストロークのテンポを緩めてはいけない。


 水を裂いた手を、脇で素早く引き寄せて再び手を合わせる。

 足の裏全体を使って、水を押す。

 前に進むように。


 自分で水を切り裂き、水を蹴って前へ、前へ――


 水の中を泳いでいるのに、こんなにも水であふれているのに喉が痛い。

 酸欠で苦しい。

 だけど泳ぐのは止めない。


 泳ぎ切る。


 順位なんて関係ない。

 タイムも関係ない。

 こんなに苦しくても、遅くても、フォームが崩れても――


 自分だけには負けない。


 泳ぎ切ったら私は、今の私に勝てる。


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