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あの時が聞こえる  作者: end&
本編
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12/42

現代:ピアニストを隠すならば

 五時半まではレッスンが入ってないということで、一階のリビングで話しをすることになった。


 まだ中西ピアノ教室ができてから間もない時、少ない生徒で、クリスマス会なんかをやった思い出が甦ってくる。


 リビングには、ちゃんとしたオーディオ機器が鎮座していた。

 楽器メーカーではなく、スピーカーメーカーで開発したコンポだ。


 中学生時代は自分の部屋にコンポが置きたい、スピーカーにこだわりたいと言っていたのに、賃貸暮らしで大きなスピーカーが置けるはずもなく、毎年中野で行われるヘッドホン祭りに行ったり、オーディオ機器売り場に行ってもヘッドホン、ないしはミニアンプを試してみる日々だ。


 音楽もデジタル配信が増えて、CDも昔から好きな歌手のものしか買わなくなってしまった。


「歳を取ってからね、コーヒーはだめね。今はノンカフェインのお茶を買って飲んでるの」

「私もコーヒーは甘いの以外は苦手ですよ」

「あら、意外と子供舌だったのね」


 笑いながら座卓にお茶と茶菓子を置いていく。

 三十を過ぎて、強すぎる冷房が苦手になったので、暖かいお茶はありがたい。


「今はどんな仕事をしてるの?」


 中西が、自分が座った横にお盆を置きながら聞いてくる。

 そういえば伝えてなかったことに気づき、バッグの中から慌てて、名刺と、ついでに手帳を取り出す。


「かろうじて音楽業界にはしがみついてます」

「あら、有名なところじゃないの」

「有名なのは楽器を作っている親会社のほうですよ。雑誌だって、他の硬派なものを出しているところに比べれば売れ行きはまだまだです」

「でも嬉しいわ。一人でも音楽業界に残ってるって知って」


 まるで孫の写真でも見るかのように顔をほころばせている。


 石を投げればピアノ教室にあたるような時代があった。

 その中で、本気でピアニストを目指す子供はどれくらいいただろう? 子供をピアニストにしたい親はどれくらいいただろう?


 音楽教室に通う子を持つ親はどれだけ本気なのだろうか?

 とりあえず、ピアノを買わなければならない。それに楽譜と、教室の月謝代。

 田舎ならいざしらず、都会となれば周りへの防音対策でユニット式の防音室を買わなければならない。

 そして、高校も音楽科のあるところとなれば私立になるのだろう。


 レッスンの月謝代に加えて、受験勉強用の塾に払うお金に受験料。


 やがて訪れる、アップライトピアノでの限界。


 アップライトとグランドピアノの構造上の決定的な違いは、弦が縦向きか、横向きか。

 アップライトピアノの場合は弦は縦方向に張られていて、それを叩くハンマーも上に持ち上がるのではなく、前に倒れ、弦を叩いてピアノが鳴る。

 この構造の場合、指の連打速度にハンマーがついてこれず、音が出ないという状況に陥る。


 曲の難易度が上がるほど、そういったハイテクニックは求められるし、曲がピアノという楽器の限界を試しにかかってくる。


 演奏者がその域に達した場合、グランドピアノへの買い替えが必要となるのだ。


 そして音楽大学への入学資金、受験料、その他諸々――


 そもそも、芸術とは娯楽なのだ。第三次産業なのだ。国がお金を出してくれるとしたら、その功績が認められてから。


 アスリートだってそうだ。国からの補助があるのは国技だったり、人気種目、過去に成績を残している選手に対してのみ。


 国は投資をしない。


 現在、この国にそれだけの国力がないのは明白なのだが、ゆえに、個人に対する投資が目立つ隣の韓国や中国といったピアニストやアスリートが成績を残しているのを見ると歯がゆい。


 就職試験などもそうだ。無名はいらない。すぐに現場に出せる人材が欲しい。経験者優遇――例をあげだしたらきりがない。


 とにかくこの国も国民も、自分たちで育てることも、投資することも他人任せなのだ。欲しいのは完成品。未完成品はお断り。


 そんな人がなぜこんなにも増えてしまったのだろうか?


「それで、聞きたいことって何かしら?」


 中西の声で、ヘイトの渦から抜け出す。


「あの」

 いろんなメモ用紙や付箋で太った手帳を開く。「先生のところの生徒さんって、まだ日学ピアノコンクールにエントリーしてるんですか?」

「あら、取材?」

「いえ、電話でもお話しした通り、個人的な調査なんですけど……」

「まるでドラマに出てくる探偵みたいね」


 そう言って彼女は笑う。「今回のコンクールには二人だけね。前は多くて五人以上でる時もあったんだけど、やっぱり大学進学に専念したいってね」


 今や、大卒でなければ就職できないという常識が固まりつつある。

 学位も「就職のため」のステータスに成り下がってしまった。


「高校生部門に出る生徒ですか?」

「一人がそうね。もう一人は中学生部門。予選は今週末からね」

「ええ」


 九月中に地区予選、十月に本選、十一月に全国大会が行われる。


「中学と高校で課題曲が違うから、もうてんやわんやよ。予選曲と本選曲、一応どっちも教えなきゃだめだから。それに、一般生徒のレッスンと、あと、学校の合唱コンクールの伴奏曲のレッスンをしてほしいって人もいるから」


 暑さで忘れていたが、もう文化祭の時期なのか。


「全国大会の自由曲まではやらないんですか?」

「あの子たちには申し訳ないけど、私の力では本選止まりよ」


 言いながら、耐熱ガラスのティーカップを、手で包み込む。


「先生の力不足ということはないでしょう。コンクールとなれば先生との二人三脚ですよ」

「そうだけどね。全国大会は違う」


 中西は紅茶を一口飲んで続ける。「日学の予選や本選はとにかく正確さを求められる傾向にある。だけど、全国大会になった瞬間、感情表現が求められる。感情表現なんて、どうやって教えたらいいのかしらね?」

「難しい問題ですね」

「私はね、昔も話した通り、正確さがすべてで、楽譜に書かれてないことはするなって、そういう指導を受けてきた。周りの、他の教室に通う子もそうよ。この国全体がそうだった。そんな日本人ピアニストに対して海外の人たちは『まるで機械が弾いてるみたいだ』って」


 自分がピアノを学んでいた時、ピアノに関してのノンフィクション作品に書かれていた一文だったはず。


 彼女は話を続ける。


「感情表現を豊かにしろって言われたところで、ピアノしかやってこなかったのよ。体育だって、調理実習だって、指を怪我したらいけないからって、親から止められて、普通の子なら誰でも経験してきたこと、何一つしてこなかった。それなのに、どんな人でも共感を持てるような表情のある演奏をしろって、無理な話しよね。だけど、自分にないものは教えられない。ないものをつかもうとして、無茶して、辞めていった人が周りにはたくさんいる。

 韓国人が国際ピアノコンクールで目立つようになって、まるで日本人のコピーだと思った。でも、彼らはたった数年、いえ、一年程度でその正確な打鍵を保ったまま、豊かな感情表現を、クラシックの世界に響かせた。

 私は、本当に、ピアノだけの人生を送ってきたから、他の生き方を知らなかったから、ピアノ検定を受けて、ピアノ教師になったけど、結局、自分が教えられたようにしか、生徒に教えることができなかった」

「そんなことないです。だって、自分は――」

「あなたは特別」


 特別なんかじゃ、ないですよ、先生。


「あなたは私がこう弾きなさいってことに対して反発してきた、何人かそういう生徒はいたけど、結局あきらめて、私が言う通りの演奏をした。でも、あなたの場合は、自分を押し通したどころか、私を納得させた。まだ十年そこそこしか生きてないのに、そのとき四十くらいだったかしら? 私にはない音を聞かせてくれた。若さって怖いわね」

「……先生」


 皺だらけの手、何十年も毎日のように切り続けた爪は、知らない人が見れば痛いと思うほどの深爪、右手の中指の爪はグリッサンドで潰れたのだろう。その時の跡がまだ残っている。


 トリルは何分続けられるだろうか?


 集中力は何時間続くだろうか? 

 

 体力はどれくらい持つだろうか?


 スフォルツァンド(とても強い音)は出せるだろうか?


「引っ越した先で、ピアノで、すごいって思える人がいたんです。もし、先生が自分を特別だと思ってくれるなら、その人は、なんなんでしょう?」

「そうね、」


 外から、夕方五時を伝えるメロディが聞こえてくる。

 近くの図書館帰りだろうか、子供たちの声が聞こえる。


 しばしの静寂だった。


 たぶん先生は、その人の演奏を聴きたいと思っているのではないだろうか? 

 耳を澄ますように首を傾けながら、静かに答える。


「それは、もう天才ね」





 かつての師に会いに来たのは、ただ昔話をするわけではない。


 もし、日学コンクール出場者が教室、もしくは近くにいるのであれば、移動の際など気を付けてほしいと伝えるためだった。


 大事なコンクール前、病気はもちろん、怪我などにも気を使っていて当然なのだが。


 中西ピアノ教室所属で、コンクールに出場する一人というのは、杉並区の高校に通う一年生で、コンクール一週間前になって、学校までは徒歩ではなく、父親の運転する車で通っているという。他にもそうして、車で送り迎えされて通う子は少なくはないということで、気後れなんかはしないようだ。


 ここで、成田はあることに気が付いた。

 荻窪駅の中央線上りホームに立っていて気づいたことだ。


 斎藤寿々菜の件である。


 変装や顔を隠すためのマスクまでしての、偶然とは言えない犯行。


 犯人は彼女があの時間、あの日にピアノレッスンを受けるためにあの駅のホームにいることを知っていたことになる。


 では、どこでどのようにして知ったのか?

 そして、事故に見せかけるかのような、両手押しではなく、タックルのような姿勢。


 ――犯人は普段から電車を利用しているのではないか?


 残りの二人の事故現場も駅から遠くはない。

 車で送り迎えされている、という中西の話を聞いてから気づいたのだ。

 予選まで一週間を切っている。

 この状態で、出場者に何かしらの危害を加えるとして、最適な場所は――。


 電車が新宿駅に到着する。


 降車が済むと、ドッとスーツに身を包んだ人の群れが車内を埋め尽くす。


 木の葉を隠すなら森。

 本を隠すなら図書館。


 コンクール出場者を狙うなら、コンクール会場。


 駆け込み乗車はおやめください! という駅員の声が聞こえて、ドアが閉まる。


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