97 驚天動地
いったんアリアの部屋に来た俺はさらにリビングへと通じているはずのドアを開こうとして、ノブに手をかけたまま止まってしまった。
「どうしたの、きょーま」
「おい少年、行かないのか?」
背後で二人に急かされるが、ちょっと待ってほしい。
これを今開けることは……できない。
「すまない二人とも。ここで少し待っていてくれ」
思い過ごしならいいのだが、警戒するに越したことはないだろうな。
「ん? うん、わかった。ママのことは、任せて」
「頼んだ。それじゃステラ、行ってくるね」
なにがなんだかわからないという顔で首をかしげるステラを置いて、俺は部屋の窓から飛び出して庭を通り自宅の玄関前に回り込んだ。
「…………………………」
中に入ってみるが、物音は聴こえない。だが、異常は顕著に感じられた。
『エクスドライブモード、起動』
「ッは。なんだよ、これ」
血の臭い、戦場で嗅いだことのある、死の香りがここには漂っている。
ガタッ、ゴ!
居間へと続く廊下の奥から妙な気配がして慌てて駆け寄る。そこには、
「んきゅう。はれ、キョーマです?」
掃除用具入れに隠れていたのか、モップと共に飛び出てきたシエルがいた。
「おかえりなさい、やっと帰ってきましたねぇ」
「あ、うん。ただいま――じゃなくて! どうなんてんだ、この状況は」
緊張感の欠片もない台詞で安堵した顔をしているシエルに確認を取る。
あまりにも、そう、あまりにも絶望的な光景が視界に入っていたからだ。
「響真くんか!? た、助かった。このままでは奴にやられるかと思っていたところだったんだ」
「緋華までいたよ。二人してかくれんぼでもしてたのかなーって笑い話にはできなさそうだな、説明してくれ」
うちの掃除用具入れには実のところ仕掛けがあって、中が二重扉になっている部分があるのだ。沙耶が忍者ごっこにご執心な時に俺も一緒になって製作したのである。ちなみに母さんは知らないよ? バレたら確実に怒られるよ、こんなの必要ないだろってさ。
いやまぁ、今回はそれが役に立ったようでなによりだ。緋華は隅っこでふるふるとおぞましい物でも見たかのように自分の肩を抱き寄せて震えている。
「話はだいたいわかった。つまり、敵は身内にいたってことか」
「うん? う、うん。伝わっているのか、これは」
「どうでしょう。私たちを安心させるために、あえて、かもしれません」
シエルの意見が正解だが、緋華は未だに戸惑っている感じか。とはいえ、無理もない。
彼女たちをここに追いやった犯人は。
「そこか」
「! ……!? ……ッ」
とりあえず捕まえてきたけど、目を逸らしたくなる光景だなぁ。
「あぅ、響真くん――大丈夫なのか?」
「精神的にはダメージ過多ですね。まさかリンネがこんなことになっているとは」
そう。シエルと緋華に恐怖を与え、家中を散らかして汚していたのはリンネであり、彼女の首から上は――ここには無い。
「血が出てますけれど、死んだりしませんよね? 止血は、できないか。頭はいったい何処へ?」
「頭部は君の部屋にある。と、思う」
ハッキリしない答えだ。どうにもリンネのガム飲みが発覚してメンテを受けていたはいいが、胃のオーバーホールにどうしても時間がかかるため安全を考慮して頭部を外すことにしたらしい。だが、制御下を離れたボディが突如として暴走して……こうなったと。
本来なら人工知能から切り離された時点で体は動かなくなるはずなんだけれどなぁ。リンネはちょこっと生物としての本能が残っているため、神経の反射作用として痙攣しているとみた方がいいのかも。
あと、俺の部屋を使ったのはあれだ。実験室として部屋の中の半分は工具を置いた区画が存在しているからだよ。人間に対する本格的な手術はできなくとも、機巧人形のパーツ単位での改修は可能になっている。簡単な作業に該当する胃の洗浄でまさかこんなトラブルが起きるとは二人とも思わなかったんだろきっと。責めはしないさ、ちゃんとリンネの頭が見つかればの話だけどね。
「潰れてなくてよかった」
切り離す際に色々と処理してあったおかげで簡単に繋げる状態にはなっている。
「でも、なんで冷蔵庫に入っていたのでしょう」
リンネの頭は何故か冷蔵庫の中に安置されていた。シュールな見た目に俺とシエルは驚きよりも笑いがこみ上げてきたものだ。ちなみに緋華は泡を吹いて倒れたよ。こういうのが苦手らしい。自分の体としてリンネの機体を製作した時は平気だったのにね。不思議な感性をお持ちのようだ。
「ヒンヤリしていて夏にはよさそうだ」
「ですねー」
談笑しつつも見つけたリンネの頭部を体と接続し始める。胃については洗浄済みだそうで。
ガチョ、ミチミチッ……ピコーン!
「ふぁ。あれ、マスターじゃねぇッスか。おかえりッス、いつのまに帰ってきたんデス?」
古めかしい電子音と共にリンネの意識が覚醒する。どうやら本人からしたら眠っていただけに思えるみたいだ。これにて無事解決、かな。
事情を話すとリンネはどうしたらいいかわからずウロウロと室内を歩き回る。アレを見た後だとホラー映画のゾンビみたいに思えるからやめてくれ。
「ま、こういうこともあるさ。家族に迷惑をかけられたくらいで怒る奴なんて、この家にはきっといないだろ」
そう語るのはステラだ。来て早々に家の掃除を手伝わされるはめになったというのに朗らかな笑みでリンネの頭を撫でている。
「うう、ほんとにすみませんデス。私の体が迷惑をかけました!!」
「まったくだ。自分の首を保管しつつ他人の首をもごうと襲ってくるなんて」
「あはは。沙耶さんたちが定期メンテで不在だったのもありましたからねぇ。お二人がいれば早期解決になったでしょうが、キョーマのおかげでどうにか生き延びれました」
どうやら俺がタングステンに向かうにはタイミングが悪かったようだ。不幸というのはえてして重なってやってくるもの、とは誰の言葉だったか。
「よし、こんなもんか。機巧人形の血は落ちやすくて助かるぜ」
人間の血だと水拭きじゃ絶対落ちないからね。みんなで頑張ったおかげで隅々までピカピカになりました。
「台詞だけ聞くとマスターは悪役に思えるッスね。でも、本当に助かりました。ありがとうございます」
「何事もなく、ってのは少し違うか。シエルと緋華に怪我もなくて、リンネが無事だったんだ。俺としてはもう気が済んでるよ。誰が悪いってわけでもないしさ、この話はここまでってことで」
「そうですね。私もキョーマと同意見です」
「うむ。ちょっと夢に出てきそうな感じはする……あとで覚悟しておけよ」
緋華だけはご立腹のようでした。苦手なものに追いかけられて散々恐怖を味わったんだからしかたないともいえる。
というか、悪役ってなんだ。ニヤリと笑いつつ血を拭ってみるか? あ、やめとこ。みんなからの評価が下がりそうだ。
「まぁまぁ。しばらく一緒に寝てあげますから抑えて抑えて」
「む。響真くんがそこまで言うなら、うん」
アリアと違って緋華は寝相が悪くないしいくらでも、ってすみませんでした、怒らないでアリアさん!
一騒動はあったけど、これにて一件落着だ。
沙耶と母さんは予定だと明日の帰宅になるそうである。リンネ事件は昨日起こったことを考えると、下手したら掃除用具入れで二晩過ごしていたのかシエルたちは。もっと早く帰ってくればよかったかな? 余計な興味を持たなければ一日早くどころか当日に帰れたんだもんね。あ、これ……完全に俺のせいだ。必要な時にちょうどいないって役立たずにも程があるってもんだぞ。ごめんなさいしておこう。
「一家の主があまり簡単に頭を下げるんじゃない。この国では美徳かもしれないそれも、他からすると到底容認できない行為だぞ」
と、ステラに諭される。俺はタングステンに行って世界では自分の常識が当たり前ではないというのを知った。だからこそ、彼女の言葉が深く突き刺さる。
変わらなければいけない、自分のためじゃなく、家族のために。
「おい、理屈ではそうでも響真くんを否定するのは私が許さないぞ。たとえ神様であろうとも、昨日今日知り合った仲で彼を知ったふうな口を利くな。彼は、この子は優しい。誰にでもな。私はそれをいい所だと考えているし、変わる必要なんて感じない。他人を思いやる心は大切だ」
「神様って……自分を冗談で語るのはいいけど他人に言われると激しく困る呼び名だな。赤いの、お前の言い分もたしかに一理ある。でもな、お前の願望を押し付けるな。決めるのは、こいつ自身だ」
ステラと緋華が顔を向けて問う。
奏響真はどうなりたいのか、どちらの意見を採用するのかを。
「俺は……家族を守れる人間になりたい」
これに尽きる。
大切なものを守れるのなら、なんだって犠牲にしてみせる。己の命さえも、それは例外ではない。
「ステラの言うように他人にすぐ頭を下げるのは変だ。でも、緋華の想いも嬉しかった」
どちらの意見も正しいのだ。間違っているとは思わない。
「それに、二人とも、勘違い、してる」
同じく隣で聞いていたアリアが会話に加わってくる。俺のことをよく理解してくれている彼女になら、続きを任せてもいいだろう。
「どういうことだ。アリア、ここでお前の口にする事は下手をすると少年の格を一気に下げるぞ」
「ん。わかってる……ママ、それに緋華。きょーまは、他人には優しくないよ」
あっれー? 大丈夫か不安になってきたぞ。
「だってきょーま、私たちが危険にさらされたら、元凶を消すことに、躊躇しないよね」
「うん? なにを当たり前のこと言ってるんだ君は。俺の大切なものを傷付ける奴に遠慮する必要なんてないだろ。灰になるまで燃やし尽くしてやる」
「ね。こういう考えができる人、なの。実際に行動に移せるかは、知らない。それでも、ママには、わかるよね」
アリアの言葉でステラは思い出す。この少年がさらっと残酷な台詞を吐いていた事を。あれは誰のためだった?
「…………優しさを向けるのは、いいや、頭を下げるのだって、親しい者にだけ」
「正解。緋華もわかっている、でしょ。きょーまに、優しさだけじゃなく、非情さもあることは」
「それは……うむ。付き合いが長いからな、知らないわけがない。ああそうだ。私はこの子に、自分の理想を押し付けようとしていた。駄目な大人だ」
どんよりと肩を落とす二人に勝ち誇ったような顔のアリアが俺に告げる。
「きょーま、無理に変わらなくてもいい。必要な物は、あなたの心の内に、すでに備わっている。だから、ゆっくりと。のんびり、生きて」
人間は生きている限り成長していく。身体だけでなく、精神も。
俺はこれまで何度も、数え切れない程の思考加速を使っている。意識上の時間だけなら、年齢の数十倍も経過していた。しかし、それはあくまで自分の中だけの話なのである。
他人と交わることでこそ、人の精神というのは完成されていく。だというのに、俺ときたら自分だけで大人になった気でいたらしい。なんとも間抜けなオチだ。
「結局のところ、現在のキョーマが素敵ならそれでいいんじゃないですか?」
「そうッスよ。後先考えてたら楽しくないッスからね」
「リンネはもうちょっと自重した方がいいと思いますけれど」
「酷いッス。でも反論できないのが頭の痛いところッス」
「なんだ、バラバラにしてメンテしてやろうか? 頭の中、多少はスッキリするぞ」
「いい機会だし診てもらったらどうだ。案外ゴミが詰まっているかもしれん」
「そーゆー物理的な分解はもうこりごりッスよーーー!?」
なんて、笑いが起きたところでこの話題はお開きとなった。
だが、変わらなければならないのは理解した。
思考の方向性が極端に偏ってしまっているのは、周りから見てもわかるほどに表へ出ているのだから。
ただし、急ぎはしない。
永い人生に焦りは禁物だとアリアが教えてくれたからね。




