83 月と太陽
『わふん。ねぇ、私のこと忘れてない?』
ぱっくんちょ。と、ましろがベルの頭にかぶりついていた。
「みぎゃーッ!? また髪がベトベトになるぅぅうううう!」
『あ、ごめんごめん。ぺろぺろ……がぶりッ』
なぜ咥え直したのか。もはやベルは驚きを通り越して悔しさと悲しみのない交ぜになった表情をしながら体をビクビクと痙攣させるほかない。
「ましろ、めっ」
ぺちコんッ。アリアがコミカルな音を響かせながらましろを躾ける。が、
『お、折れた……? 私の自慢の牙が、折れちゃったよぅ!?』
当たり所が悪かったのか、ましろの口内から歯が一本ポロリと床に転がる。
「ッ――――ど、どうしようきょーま!」
「あーあ、やっちゃったなぁ。どうすんだよこれ」
珍しくアリアが慌てているので少し悪ふざけをしてみよう。
「ご、ごめんねましろ! えと、ほんとにごめんなさいッ」
『しくしくしく。もう私はお肉を食べられないんだ、牙がなければ役立たずの鉄屑でしかないんだ。わふぅ』
なんて思ったが、やめだやめ! ましろにまで被害が及んでいる。
「安心しろって。どうせすぐに生えてくるから。ましろ、お前自分がなんだか忘れたのか?」
『え。私は奏家の愛玩動物、ペットのましろちゃんだよ?』
「合っているけど、そうじゃない。機巧獣なんだから、破損したくらいで騒ぐなって意味だよ。ほら、もう新しいの生えてるだろ。鏡でも見るか?」
ましろは俺の言ったことが事実であるかを確かめようと、再度ベルの頭にかぶり付きに行った。
『うん。直ってるね。違和感ないやー、お騒がせしました』
「いやまぁ、それはべつにいい。混乱していたのはアリアだけだから――現状、一番被害を受けているのはベルちゃんだしな」
「頭が、ギリギリ、ぐわんぐわんすりゅ」
「ちなみに、ましろもアリアと同じく俺と契約しているぞ。一声かければ、君の命なんてないものと思え」
頭が潰れると機巧人形は完全に機能を停止する。そこらへんは人間と大差ない。
「う、うん。わかった! えーと、なに、謝ればいいの? それとも、服を脱ごうかッ!? ねぇ、何が望みなのさ!」
ベルは俺が内心笑っているのにも気付いていないようだ。本気で危害を加えるわけないだろ。まぁ、アリアに対してかけた裏切り者という言葉に関して思うところはある。若干イラッとしたのも事実だ。
ただ、これは当人同士の問題ではある。そのため、俺が口を出すのも躊躇われるってのが本音かな。
「あ、う。ましろ、大丈夫……なの?」
「平気だろ。美味しそうにベルちゃんの頭食べてるし」
「うごごご、牙が眉間に食い込んできたぁあああ!?」
新しく生えた物は鋭さが一段上がっているようだ。甘噛みでさえ皮膚を貫いてしまう。
「ベル、早くきょーまに謝らないと。私じゃ、ましろを止められないッ」
…………ん? そんなことはないと思うけど。契約しているのは俺でも、命令権はアリアにも存在している。普段から一緒に生活していて主従関係はキチンと築かれているのだ。
「た、助けて! なんでもするからっ、どうか頭だけは壊さないで!!」
だんだんと俺が悪者みたいな雰囲気になってきてない? ねぇ、アリア。わざとやっているよね!
「くす。えと、ベル! きょーまは白い布が好きなの、だから、こうやれば許してくれるかも」
「は、はぁ!? どうして私が」
「それしか方法がないの。我慢して」
アリアがそう言うと、ベルは渋々ながら着ていたワンピースの裾に手をかける。
「おいアリア。悪ふざけもたいがいに――」
止める間もなかった。次の瞬間には、視界一面に白い光景が広がっていた。
「ひっ、えぐ。生意気なことを言って、ごめんな、さい。許して、きょうま様ぁ」
ポロポロとつぶらな瞳から透明な液体を流し、ベルは命乞いを繰り返す。
なんでこうなった! でもせっかくだし見ておこう。
「ましろ、もういいよ」
黒髪の少女が獣に出していた命令を取り消す。全ては彼女の思惑通りだったわけだ。
『わふ。お花の匂いがして美味しかったかも? また今度ね、ベルっち』
「ふわぁあああん!! こ、こわかったよぉ!」
「よしよし。でも、これで身に染みたよね? きょーまが、上だって」
「うん、ちゃんと理解した。お姉ちゃんが、しかたなく――そう、しかたなく! 極悪非道な人間、きょうま様に従っているのはわかった」
酷い言いがかりだ……とも言えないか。元は俺が悪いわけだしね。
「……………………」
「アリア。今度から話を広げる時は落とし所を考えるように」
「ん、りょーかい。あと、申し訳ありませんでした」
人の名誉を傷付けておいて謝るだけか? ほらほら、君も見せなきゃだろぉ。うぇっへっへ。
ま、冗談はこのくらいにしておくか。あまり遊んでいる暇もないからな。
誤解もそのままに、俺はベルに経緯を説明することにした。
途中、彼女の疑いの視線がとても痛かったのは言うまでもない。
「ふーん? 私としては、まぁ認めざるを得ないかな。性格はともかく、強いことは強いんだしね」
「うん。もうそれでいいや、訂正するのも面倒だし」
今回の件が片付き次第帰るのだ、ベルとも短い付き合いになるはず。だったら悪く思われていようとも別にいいさ。労力を割く場面はここではない。
「で?」
あれ、話を聞いていなかったのかな。アリアはすぐにわかってくれたんだけれど。
「きょうま様は私に何をしてほしいのよ。言っとくけどここを離れる気はないからね。マスターの命令で祭壇を守らなきゃならないから、洞窟の外には行くのは無理。ただ……どうしてもって、力ずくで従わせたいのなら話は別。勝算がない場合には重要な情報を漏らさぬように破壊してから逃げろって言われてるの。ま、住む所なくなっちゃうけどしかたないよね。優先順位としてはそれが上だもん」
そうか。ここは住居であり、研究施設でもあるのだ。ブリジット先生が作っている物も当然ながら何処かの部屋に在る。俺に対するベルの態度が悪い要因は、きっと敵対心からきているのだろう。今さら気付いたところで意味はないけど。
しかし――祭壇、とな。科学者には似つかわしくない単語が出てきたぞ。
「いや、必要ない。君はここに残って、先生の帰ってくる場所を守っていてくれ」
気にはなる。俺の中にある知識欲が踊り出すほどの事柄だからな。
だとしてもだ。欲を満たすのは先生を連れ帰ってからでも遅くはないはず。むしろベルに聞いたところで中途半端な答えしか返ってこなさそうだ。侵入者である俺に教える義理もないだろうし。
「俺が聞きたいのは二つ。先生の居場所と、この国の情勢だ」
ブリジット先生が王都って所に行ったのまでは把握している。ましろからの連絡にもあったからね。でも、肝心の王都への行き方がわからないのである。直通のバスでも出ていれば別だが、あるわけないよなぁ……。
あとは戦時中の国内がどうなっているかだな。負けが確定しているのに、降参もせずに邁進している愚かな王の名前とかも知っておきたい。ちょっとぶん殴ってくる。国民の命はお前の物じゃないんだぞってさ。王様ってのは民を守るものであって、己の欲のために犠牲を出す奴とは違う。理由があるにせよ、いや、理由があるならこそ。決断しなきゃならない。
理想と現実の違いがあるのはわかっていても、一縷の希望に懸けるのが人間ってものだ。諦めたらそこで終わり、深淵へと真っ逆さまである。
「マスターは、ここから東に十キロほど歩いた場所にあるタングステンっていう都市に行った。おっきな時計塔が目印だよ。上に出たらすぐにわかると思う」
そういやこっちに来てから洞窟内しか歩いてないや。太陽の光が恋しいぜ。居住スペースは電線でも引いているのか、地下だということを忘れるほどには明るいけどさ。てっきりオイルランプでも使っているのかと勝手に妄想してた。ほら、ダンジョンの中とかでよくあるやつ。敵に投げつけて炎でやっつけるみたいな? 現実ではそんなことをしたら逃げるのに明かりがなくてどうするんだってなるけどね。あれはあくまで物語の都合だからしかたないのかもなぁ。
「国については……よくわかんない。でも、私やお姉ちゃんみたいなモノはいないよ」
「うん? それはどういうことだ」
「えーっとねぇ、説明が難しいんだけど――簡単に言うなら、機巧人形が周辺国含めて存在してないの。この国の王様に頼まれてマスターが機械仕掛けの心臓を作ってたのは言わなくてもわかるよね。問題はそこじゃなくて、あまりに低い技術力だったんだ。コアだけじゃ機巧人形は動かないってのは知ってる?」
当然だ。他に人工知能であるAIを搭載しなければ動かない。むしろ、頭の方が重要だと思うぞ。
ベルの問いに頷きで肯定をする。彼女はそれを見て、余計なことを説明しなくてもいいと理解した。
「きょうま様は機械技術について博識なんだね。んーと、私って――何に見えるかな」
その場でクルクルと回り、ワンピースのスカートを翻しながら無邪気な笑顔を向けつつ訊ねる。
自分が何であるかを。何者であるかを。
「ベルちゃんは……マリーゴールドの髪と瞳が太陽のように輝いていて、見ているだけで心を元気にさせてくれる。君と一緒にいたら毎日が楽しそうだ」
アリアが月を映し出す夜空なら、ベルは人々に活力を与えてくれる陽の光かな。外見のイメージがそのまま性格に出ているのは面白いところだ。
「ありがとう! でも、聞きたいのはそれじゃないんだ」
俺が口にした言葉にベルはピタッと動きを止め、若干真剣な面持ちになりつつ唸る。どう説明したらいいのかと。
「きょーま、ベルはこう聞きたいんだと思う。私たちは、人間と何処が違うのか、って。見た目だけで判断できる?」
それだ! と、ベルはアリアに抱きついて褒め称えていた。べ、べつに羨ましくなんてないんだからね。
「ふむ……俺は君たちのことを瞳でしか見分けられない。それも自分の片目が義眼だから、見慣れているからこそ気付けるくらいの些細な違いだ」
俺の場合は毎朝、鏡の前で普通の人間が持つ瞳と人工的に作られた瞳が映し出されるのだ。虹彩が特殊なことを除けば見分けるのは困難だと思う。義眼は実のところ機械仕掛けの心臓で再現できない物の一つで、俺や彼女たち機巧人形が入れているのは外部デバイスとしての扱いとなる。ちょっと傷付いたくらいなら平気なのだが、潰れてしまうと終わりってやつだ。なんでも瞳孔部分に使用されているレンズが繊細すぎるのが原因だとか。たしかに光を受けて像を結ぶ焦点調節なんか考えただけで難しそうだもんな。あとはレンズの組み合わせで倍率を変更したりできる機能もあったりするし……うん、俺が見分けるのに使っているのはこれなんだ。人間のはレンズ一枚で頑張っているのに対し、PET製の物は複数ある内から適切なレンズに切り替えて見ている。動く際にできるコンマ数秒にも満たないラグ現象。しかしながら、俺にはハッキリとそれが確認できていた。
「つまり、普通にパッと見ただけじゃ違いなんてわからないよ。じっくりと観察すれば肌が異様に綺麗だとか、呼吸の際に胸が動いてないのとかわかるけどさ」
電力稼動ゆえに呼吸は必ずしも必要とはしていない。排熱の関係で空気を取り込んだりはするけど。他には臭気を確認するのにとかね。
肌の綺麗さにいたっては当然であるとも言える。傷痕が残らないのもそうだが、老化しない時点で加齢によるシワも生まれないしね。常につるっつるスベスベなお肌なのだ。
「答えになっているか疑問なところだけど、ベルちゃんはこれを聞いてどうするんだい?」
まさか人間として見てもらいたいとか言い出すんじゃあるまいな。俺には無理な話だぞ。どうしても彼女たち機巧人形を己と違うモノとして意識してしまうのだ。人と同じように、心ある者として。頭の中ではこう考えていても、いや、考えるのは既に一線を引いているからなのか。ま、人と共に在るべき者が人でなければならない、なんて決まりはない。重要なのは両者の気持ち次第ってことさ。
質問に質問で返す形になってしまったが、ベルは俺が言ったことに満足という表情をしていた。
「人間の率直な意見が聞きたかっただけ! えっと――――よし。では、私たちのような見た目をした物を機巧人形の定義とします。相違はありませんね?」
「うん。機巧人形ってのは先生が、ステラ・ブリジットさんが目指した人間の在るべき形らしいからね。本人に早く会いたいところだよ」
「あはは。そうだね、話が終わったらすぐにでも行ってもらいたいと思う。だけど、これだけは知っておいてほしいの」
敵は話の通じる相手ではない。
外見も人を模しておらず、それゆえに能力が高い。
単純な戦力で言えばアリアといえど負ける可能性がある。
「きょうま様がどちらの国に対して味方するのかは知らない。マスターさえ連れ帰って来るなら、あとはどうだっていい」
「ん。ママを救出するのが、最重要任務。ぶっ潰すのは、ついで」
「了解。あとは向こうに着いてから判断するよ」
知りたいことは聞けた。ようするに、来る前に思い描いていた戦争風景とは違うってことだ。
もっと悲惨なことが待ち受けているのだろう。
「行くぞアリア。ステラ・ブリジット救出作戦、ミッションスタートだぜ!」
「おー」
わりとノリのいいアリアを隣に、俺たちは王都タングステンへと向かうことにした。




