75 ぶらっくほわいと
「は、あの…………ほんとに?」
状況はともかく、気持ちを聞かれてしまったのは事実だ。なおかつ、それに対し好意的な返答をもらえたのだから結果オーライである。
しかし、それは彼の心からの言葉なのだろうか。もしかして燈緋華と共謀して私を騙しているのではないのか。イタズラ好きな二人のことだ、ありえる。それならそうと、今ならまだ冗談で済ませることだって――
「うん。愛しているかはちょっとまだわかんないけれど、君といると安心する。君の声を聞くだけで幸せな気持ちになる。君が待っているこの家に帰ってきたいと、いつでも思っている。そして、君の笑顔は」
「ちょ、ちょっと待ってくださいぃ! そんな、えと、緋華さん、私はどうしたら!?」
「え? 私に振られても困るんだが。いいじゃないか、これでシエルくんの悩みは無事に解決したんだからさ」
「や、うー……それはそうなんですけれど。でも、でもですね」
「君も意気地がない子だねぇ。お互いに好き合っているのがわかったのに、何が不満なんだい? あれか、ライクとラブの違いが気になるっていうのはナシにしてくれよ? 響真くんにそこまで多くを求めてはいけない。どうせまた深く考えずに発言しているんだろうしさ。ま、本人もそれは認めているところではあるか。愛なんて感情、この歳で理解している方が不自然だろ。細かい事は追々考えていけばいいんじゃないかな。君たちの人生はまだまだ先が長いのだからね」
「緋華さん……」
「ところで響真くん。話は変わるが、私のことも当然責任を取ってくれるんだよね? 治療のためだったんだから納得しろと言われたら、私としては黙るほかないのだが。まさか知らんぷりして逃げようなんて考えちゃいないよな」
「なんのことですか?」
「……え。あれ、もしや私が勘違いしているだけで夢だったってオチか!? ってことは、体も治って、ない……のか。だよな。わかってた、そんな都合の良い展開なんて期待した私が馬鹿だったよ。ごめんね、早とちりしちゃったみたいだ。やはり響真くんを殺して私も死ぬしか――ッ!」
「考えが物騒ですよ師匠。冗談ですってば。ちゃんと憶えています…………殺されるのは勘弁だ。なにより、緋華のことは俺が絶対に死なせない。悪魔に魂を売ってでも一生離してたまるもんか。あんたは俺のものだ、この先ずっとな」
混乱して懐に何か得物がないか探し始めた師匠を俺は抱き締めて、壊れ物を扱うように頭をそっと撫でた。小さく、力を込めれば散ってしまいそうな可憐な花。燈緋華は奏響真にとってこの世の誰より大切な人なのだ。壊れかけた心を繋ぎ止めてくれた、ただそれだけだとしても。
「響真くん。いいのかい、私は面倒な女だよ」
「知ってるよ。面倒くささだったら俺も負けてないけどね!」
「変なところで張り合わないでください。まったく、やっぱり二人はお似合いですね……私なんかが入る余裕なんて――きゃッ」
卑屈になるシエルもまた、俺の大切な人である。日常を、帰るべき場所にはこの子が必要だ。欠けていた心のピースを埋めてくれた。暗い道を太陽のような笑顔で照らしてくれる、安らぎの象徴。
「ふふふ。両手に花とは贅沢だな響真くん。私は気にしないのでいいが、シエルくんは許してくれないかもしれないぞ。これは推測なのだが、シエルくんはきっと独占欲が強い。ここらで一つ愛をささやいてやった方がいいかもな」
「いやいやいや。私なんて好かれているのさえ不思議なのです! 嫌われていないのなら、そばにいさせてくれるだけで、キョーマが誰とくっつこうが別に……って、どうしました? なんか汗がすごいですよキョーマ」
二人と密着していて体温が上がっているせいだろう。そう思う、思いたい――が、無理だな。
「すまん二人とも。実は具合が悪いんだ、ここに来たのもそれが理由で」
リビングのソファで寝ていたのはせいぜい二時間程度だろう。話し声が二階から聴こえてきたので目を覚ましたのだが、二度寝に入ろうとした瞬間、それは起こった。
「待て、服を脱がす」
「や、えぇ!? まだ心の準備が――もうちょっと仲良くなってからでも」
響真の着ていたシャツを脱がし始めた緋華を見てシエルは飛び退って距離を取る。顔を赤くして、今から行われようとしている行為に興味がないわけではないのだが……それはまだ先の話だと思っていたのだ。はわわ、キョーマの肌は白くてキメ細かいです。私より綺麗かも。
「馬鹿なことを言っている場合か! 君もこっちへ来い、音が……変だ」
緋華に手を引かれ、彼女と一緒に響真の胸板へと耳を当てた。
カチ、コチ。パチンッ、カチカチ――。カシャン、バチバチ、カチンッ!!
「リズムが、一定じゃありませんね」
「ああ。それに異音も混ざっているような気がする。シエルくん、沙耶ちゃんを連れてきてくれないか。彼女なら、詳しく調べることも可能なはずだ」
「そうですね。沙耶さんのスキャンシステムを使えば」
「無理だ。あいつは負荷がかかった部分の修復中で朝までは起きれない。できれば寝かせておいてほしい、この状態の俺が言うのもどうかとは思うんだがな」
「――ちッ、私のせいか。おおかた遺伝子のフルスキャンでもさせたんだろう、専用機だとしても機巧人形には辛い処理量だったはずだ。となると、今は外部充電ケーブルを接続しているんだな。外すわけにはいかないか」
沙耶は医療系の機能が搭載されているとはいえ、元々の機体が汎用品で構成されている。過稼動させてしまった以上、修復のために接続されているケーブルを無理に外してしまうと元に戻れなくなる可能性すらあった。けっして万能ではないのだ、機械の体というのも。特に機巧人形はその名の通り人形をしているため、自律稼動システムに処理能力を割かなければならないという制約が大きい。部分的に違う動作を行うことはできても、負荷がかかり過ぎれば破損して、修復に時間を要するものなのだ。
「では、どうしましょう。いっそ開いて見てみますか? 道具ならありますし、麻酔だって強いのが少量残っています。短時間の処置ならいけるかと」
「わかった。私も手伝おう、すぐに始めるぞ――って、逃げるな響真くん! なんだよ、切られるのが恐いのかい?」
当ったり前だっての! なに、どうしてこの人たち平然と手術を始めようとしてんのさ!?
胸部を開いたって機械仕掛けの心臓は内部まで見れないんだぞ! 中に入っているプライマルコアが傷付かないように周りを頑丈なコアメタルで覆っているのだから、開封するならそれこそ専用器具がいるし、仮に開けたとしても閉じられないんだよ!! 残念ながら起動したままでは痕跡を閉塞加工できないからね。本来は体内から抜き取ってから作業を行うものなのだ。俺の場合は出したら死んじゃうけれどね。
「キョーマ、安心してください。私がついていますから、ふふふ」
「シエル……なんで笑っているのかな君は。はっ、俺の中を見たいのか! やーめーてー! あとズボンは下ろす必要ないでしょ師匠ーーー!?」
「あ、ごめん。手が引っ掛かっただけだよ。故意ではない、だから大丈夫」
何が!? 結果的に同じだよね! おい、やめ、最後の砦はマジで許して……。
「なにを、騒いでいる。夜中に、うるさい」
と、俺が危機に瀕していると不機嫌な声が頭上から聴こえてきた。
見上げるとまず視界に入るのは人間の物とは思えないほど真っ白な陶器のような肌。そして、さらに進むと黒い布が――
「息子。母親の物を見て楽しい? 興味があるのなら、あとでじっくりと観察するといい。でも今は駄目、ご近所迷惑」
なるほど。白い肌には黒い布も映えるなぁと、いまさらながら気付いてしまった。これは大発見では?
「キョーマ、あなたって、たんに節操がないだけなのでは」
「あっはっは。人はそれを優柔不断ともいう。響真くんらしいと言えば、らしいんだけれどね。彼は一緒に暮らす家族全員が好きなのさ、諦めた方がいいよシエルくん。きっとこの先も増えるだろうからね。覚悟しておかなくちゃ」
「はぁ……ですね。これを好きになってしまった私の負けです。どんとこーい」
シエルが冷たい。君にまでそんな反応をされるとは思いもしなかった。一つ訂正させてもらうとすれば、家族の中でもリンネだけは別だよ。中身がウサリーネさんなのは、ちょっとねぇ。嫌いじゃないんだが、大好きかと聞かれたらノーって即答する自信がある。顔だけなら美の女神様より上だと表現しても差し支えないけどね。もちろんここでいう女神とは想像の産物で、ゲームや漫画に出てくるアレだ。本当に存在するのなら是非とも会ってみたい。
「………………あの、」
「しっ、うるさい。周波数をチェックしている、喋らないで」
事情を話すとすぐさま母さんは俺の胸へと耳を当て、目を閉じて鼓動の音を検査してくれていた。
沙耶と違い母さんには医療用の機能は搭載されていない。家事担当として派遣された機体なのでしかたないとも言えるが、そのわりに料理は一切できないというジレンマを抱えている。デュークさん曰く、本来は不良品なんだとか。沙耶とセットで二体同時に家に来させるには片方のスペックを落とすしかないので、廃棄予定だった物を格安で引っ張ってきたらしい。本人もそれを知っているので、せめてもの仕事として部屋の片付けなどを毎日休まず徹底的に行っている。おかげでうちには埃一つ舞っていないのだ。頑張り過ぎはよくないと思うけど、母さんがうちにいる理由付けとして選んだことなので文句は言わないことにしている。俺としても汚いより綺麗な方が嬉しいからね。師匠の研究室ったらもう、天井に蜘蛛の巣が張ってたりするしさ……毎回行く度に掃除をして帰ってたり。ほうっておくとゴミに埋もれて寝てるからね、燈緋華という人は。そのくせ服はいつも清潔がいいとか文句ばかりで、事あるごとに白衣を着替えている。洗濯はさすがに自分でやっているみたいだけどね。まぁ、洗いから乾燥まで全自動だし誰でもできるか。
「どうでしょうか、キョーマ、死んじゃわないです?」
縁起でもないこと言わないでくれ。……え、なんでそこで表情を曇らせるの!? 母さん、黙ってないで何とか言ってよ!
「きょ、響真くん。短い人生だったな、私もすぐに後を追うぞ」
「勝手に殺さないでください。まだ生きてますから! 母さんも、遊んでないで真面目に話してくれ」
たぶん俺しか気付いていないと思うけど、笑いをこらえているらしい。母さんの肩がプルプルと震えている。
「おちゃめな、冗談。ふふ」
やっぱりか。そういうのは表情に出してくれないと、あっ可愛い。目元が優しいんだよな母さんって。じゃなくて!!
「でも、非常事態ではあった。これならまだ、修復可能」
「ほんとですか! さすがキョーマのお母さんです」
「ん。私、えらい。もっと褒めて、娘」
「よかったな響真くん。助かるようだぞ! それで母上殿、治療法はどうしたらいい。何か必要な物があれば言ってくれ、一応ここへ医療キットは用意してある……え、なにこれ」
シエルの私物であるそれの中身を確認し、緋華は戸惑いの表情を浮かべた。
「見たこともない器具が入っているのだが、どうやって使うんだこんな物? ああ、開胸術用の固定具か。えっと、これはあれで、そっちは……」
「緋華さん、要らない物は取り出さないでください。これは想定しうる非常時に対応できるように私が厳選した特殊ツールの詰め合わせなので、正直言ってあなたには使いこなせません。まずは落ち着いて話を聞きましょう、焦るのはその後からでも遅くありませんよ」
師匠と違ってシエルはとても冷静に物事を判断していた。そういや彼女は戦場を駆けてきたんだったな、そりゃ慣れているわけだ。
「す、すまん。取り乱してしまった。では、あとは頼みます」
「ん。気にしないで、息子を大事に思っている証拠。それに、別に道具なんて必要ない」
「? どういうことでしょう。他に方法が」
「こんなもの、こうすれば直る――――えいッ」
母さんはそう言うと、膝枕しながら俺を仰向けに寝かせ、自分の拳を握り締めながら天高く掲げた。
ドグンッッッ!!!! と、胸部へ鈍い音と共に強烈な衝撃が走る。
「ぎぃ、ぐぁ……!?」
脳天まで痺れる一撃をもらい、俺はその場でガクガクと体を痙攣させた。
「きゃーーー! な、なにをしているのですか。キョーマが、し、死んじゃいました!?」
ああ、キレイなお花畑が見えるよー。って、生きてるわ。
カシャン、キュルキュル……カチン。――――カチ、カチ、カチ。
「直った。もう、平気でしょ?」
「がはっ、げほっ……ふふふ、母さんのゴッドブローは威力が絶大だぜ。召されるかと思った」
手加減無しの機巧人形の鉄槌だからね。下手したら本当に天上へ直行していたんじゃないかな! なんという荒業。さすが俺の母さん、遠慮がねぇ。
「大丈夫なのか? 言動がおかしいぞ響真くん。いや、いつも通りか。どれ…………うむ、正常にクロックを刻んでいるな。顔色も良くなってきている、ひとまずは安心といったところか」
シエルは未だに茫然自失といった感じで立ち尽くしている。代わりに師匠が俺の体をペタペタと触りながら異常がないかを調べていた。
「症状としては、機巧人形特有のもの。コアに負荷をかけ過ぎると、一時的に流体エネルギー排出弁の調子が悪くなる。たしか不具合を生じたまま二千三十六回鼓動を刻むと、機能が完全停止してたはず。私も以前なって、大変だった。でも、こんなものは叩けば直る。なにより、機械仕掛けの心臓は、仕様上の問題で開くのが困難だから、他に方法もなかった。娘が持っている道具じゃ、外殻までしか弄れないの。うううん。そもそも、この中は見ちゃ駄目。これは人が触れていい代物じゃない――――」
言葉を聞いてシエルはブリジット先生のことを思い出す。彼女も同じようなことを言っていたからだ。
機械仕掛けの心臓は真理の答えだ。人の身で安易に興味を持つな。
はたしてそれは私に言ったものだったのか。あるいは自分への戒めの言葉かもしれない。
なんせ私が先生と仰ぐ人物、ステラ・ブリジットは……二百年以上も生きているのだから。
人間が持つといわれる寿命はとうに過ぎている。だが、容姿は未だ二十代前半といったところであろう。老いを一切感じさせない言動に、実は中身が機械なんじゃないかとも勘ぐったことがある。食事をして、夜には眠り、怪我をすれば痛がるし血が出ていた。骨折した時なんか治るのに何日もかかったっけ。
つまり、年齢以外は人という定義に当てはまるのである。だからこそ私も先生のことを化物だなんだと恐れずに一緒に旅なんてしていたのだが……この秘密は誰にも言わないでおく。バレたら拘束されて人体実験されちゃうもんね。知識の探求には犠牲がつきものだとかなんとか理屈を並べて、やつらは有無を言わさずに連れて行くのだ。相手が子供であろうとも関わらずに怪しいというだけで。戦地で何度も経験した、見てきた。人の強欲さを。残虐さを。あんな日常には、もう戻りたくない。
私はここで、この平和な国で。キョーマや緋華さん、家族の皆と幸せに生きていくんだ。




