74 告白
目が覚めると、そこは見知らぬ天井をしていた。いつも寝起きする研究室の壁面はタイルや塗装が剥がれ落ち、コンクリートの打ちっぱなし状態になっている。修繕する費用も無いのでそのままにしてあるが、無機質というか殺風景なのもわりと気に入っている。機能面に問題はないのだし、誰かが文句を言うわけでもない。時々無性に寂しくはなるけれど。
それが今、視界に入っているのは板張りの物になっていた。埃一つ残っていないくらいに清掃が行き届いており、ここの家主は綺麗好きなのだろうと思われる。床や棚の上など普段目に付く所だけではなく、天井なんて見上げもしないとわからないのに。こうやって寝ている時、ふと目覚めた瞬間の事を意識でもしているのかもしれない。心遣いが凄まじいと寝ぼけた頭で考えてしまう。
ちなみに、私の研究室は掃除なんて年単位でしていないので悪しからず。不思議と埃は積もってないから別にいいだろ。適当によけておいたゴミもいつの間にか消えているし……あれ?
「響真くんが、片付けてくれている……のか。そういえば、あの子が来ると工具類もピカピカに輝いている気がする」
徹底的に綺麗にするという心意気は良いのだが、時々使いたい物の場所がわからなくなってしまうのが困りものだ。探せばちゃんと棚の引き出しに入っているんだけどね。まぁ、置きっぱなしにする方も悪いと言える。ゴミの山から捜索しないで済む分、ありがたいと思わなければ。
「私の女子力低すぎ問題はともかくとして、ここは何処なんだ――?」
たしか私は……響真くんに、
「――ッ、ふわぁああああ!? も、もう顔を会わせられんぞ」
枕を頭から被り、布団にもぐって丸まる。ひとまわり以上年下の子にあそこまでされてしまっては体裁もなにもないじゃないか! せせ、責任を取ってもらわねば!!
「ていうか、なんか枕がちべたい」
恐るおそる観察してみると、唾液でグッショリと濡れていた。申し訳ない、この寝具の持ち主さん。私は昔から口元が緩いのだ、どうしようもなく。普段眠る時は枕の上に厚手のタオルを敷いているくらいだし。
「ふぁあ。うみゅ……あれ、緋華さん。目が覚めたんですねぇ、元気そうでよかられす」
微妙にろれつが回っていない声が背後から聴こえてきた。
「その声は、シエルくんか? いったいどこに」
「うーん、っと。はわわ、髪が爆発しているです!? ま、いつものことですし気にしなーい」
頭をかこうとして寝癖に気付き、そのまま乱れた髪を手ぐしで梳かしつつ歩いて来る。
彼女が出てきた場所は。
「なにゆえクローゼットで寝ているんだ君は。布団もしっかり用意しているところを見るに、もしや常習犯か?」
「えへへ、この狭さがちょうどよくて。つい」
シエルがいるということは、ここは彼女の私室なのだろうと推察する。が、収納されている服はどう見ても男物であった。
それも、奏響真がよく着ているデザインのパーカーばかりだ。
「キョーマって結構可愛いモノが好きなんですよ。ほら、これなんて耳が付いていますし。ちょっと借りておきましょう、サイズもピッタリなので」
と、シエルはクローゼットに並んでいるハンガーから一枚を取り、寝間着の上に羽織る。フード付きのパーカーにウサギの耳があしらわれた、ちょっとメルヘンちっくな衣服だ。
「おいおい、勝手に着て大丈夫なのか? 君のではないんだろう」
「へーきですよぉ。直に着ているわけじゃないですし、そんなに汚れませんってば。ふふ、あったかーいです」
そういうわけではないのだが。このあたりは個人の感覚によるのだろうか? 彼が心の広い人でよかったなとは内心思う。他人に自分の服を触られるのを嫌う者は少なからず存在する。私もその一人で、以前デュークに白衣の袖を掴まれた時はすぐさま洗濯機に放り込んだ。それくらいで、とも思うだろう? だが、嫌なものは嫌なのだ。もちろん、響真くんは例外だけどね。彼になら服どころか体を触られても嫌な感じはしないし、むしろ嬉しく感じてしまうことすらある。きっとシエルくんの行為も響真くんは知っていて放置しているのかもな。鼻の良い彼なら、残り香くらい嗅ぎ取っているはずだしね。
「さて、目が覚めたかなシエルくん」
「はい。それはもう完全に、お目々パッチリです! いやはや、お恥ずかしいところを見せてしまい申し訳ありません。さっきのはキョーマには内緒にしてくださいね?」
フラフラしていたシエルの頭を数度振ってやると、彼女は完全に覚醒し、自分が見せてしまった痴態を黙っているようにと念を押してきた。
「ああうん。いいけど……たぶんバレてるんじゃないかなぁ」
「はい? なにか言いましたか」
「いやなにも。と、つまりこの部屋は響真くんの私室で合っているんだね。あの後、私はここまで連れ込まれて――なにをされてしまったのだろう!?」
眠っている間の記憶は当然ながらない。で、あるならば。
「寝ている緋華さんをここに置いて、私に任せたあと彼は下に降りていきましたよ。今頃はリビングのソファの上で丸まっているんじゃないでしょうか。あそこで月明かりを眺めながら眠るのが好きだからって、たまに利用していますから。ここに帰って来ない時はいつもそうです」
それは……シエルくんが毎日のようにクローゼットで眠っているということに他ならないぞ。かわいそうに響真くん。一人になりたい年頃だろうに、特に夜とかはねぇ。
「あはは……ほどほどにな」
乾いた笑いしかできなかった。シエルくんはそういう事情に疎いのかもしれない。
「? ええ。ところで緋華さん、体の調子はいかがですか。一応キョーマから話を聞いているので、状況は理解しているつもりなのですが」
「ん、ああそのことか。大丈夫……だと思う。快調とは言い難いが、少なくとも不快感はないよ。生体反応が過剰に起きていた現象も治まって、変なこそばゆさも減ってきている。朝にはいつも通り動けるんじゃないかな」
急に笑い出すというほどムズムズはしていない。いや、多少はするけど……我慢できる範囲だ。問題ない。はず! ふはは。あ、やばいかも? 落ち着け、よーし! 駄目だー。
ちょっと太ももの辺りを抓り、痛みによって相殺する。こ、これでいけりゅ。いたたた……。
「なるほど、それならよかったです。まったく、キョーマってば本当に突拍子もないことをするんですから! 失敗したらどうするつもりだったのでしょう、せめて相談してほしかったところです。力にはなれなかったかもですが、一人でなんでも抱え込み過ぎなんですよ。緋華さんも同じく、ね」
響真くんに対して怒っていたと思ったら、今度は途端に真面目な顔をして私を見つめてくる。
「すまない。友達にも言わなかったのには、その、色々とあってな。察してくれるとありがたい」
どこまで知っているのかは不明だ。私がもはや数日の命とまでは響真くんだって気付いていなかっただろうし。イクスブラッドでデュークに会っていたのだって、別れの挨拶のためだ。あいつも私の知人ではあるから、いきなり消えるなんてことをしたくなかっただけ。今度、体質が改善したことを報告してやらねばな。ふふ、驚く顔が目に浮かぶ。
「はぁ。緋華さんとキョーマはほんとそっくりです。誰も彼もが言葉にしないでも意を汲んで動いてくれると思っているところとか、私には到底理解ができません。でも。そんなところも大好きなんですけどね。他人であろうとも無条件に信頼してしまうなんて、同じ人間として尊敬に値します。私には絶対無理です、こう見えてけっこう人見知りなので……知り合いが少ないせいもあるかもですが」
「そうかな? 響真くんは文句がある時はわりとズケズケ言ってくる方だと思うよ。遠慮という言葉を何処かに忘れてきたのかと思うほど、こう、ぐわーっとね。何度彼に怒られたことか、両手でも数え切れないくらいさ」
「羨ましいです。私には何も言わないくせに……どうしてキョーマは」
「君が大切だからに決まっているだろ。余計な心配をさせたくない、自力で解決できる事でシエルくんを悩ませたくなかったのさ。奏響真という人間は、君が思っている以上に優しい人なんだ。自分の命が一番だと言いながら、他者のために行動せずにはいられない。でも、そんな生き方ではいつか絶対に損をする。私たちができることといったら、その負担を少しでも和らげてやるくらいだ。向こうが話さないっていうのなら、こっちから聞き出してやればいい。積極的に相談してこないだけで、響真くんもきっと待っているはずだよ、君が隣に立って一緒に歩んでくれることをね」
「だと、いいんですけれどね」
緋華さんは何もわかっていない。他人の心に踏み込む、それがどれだけ勇気のいることなのかを。
私が毎晩悩みに悩んだ結果、隣ではなく、後ろから見守ることを決意した事実を。
燈緋華はシエルの話を聞いて、ある懸念を抱く。
もしかしたら、奏響真は本当に何も教えていないのではないか。
「何も聞いていない、ということは……シエルくん。先日起きた騒動も知らないのか?」
「なんの、ことでしょう。先日――ああ、たしか帰りが遅かった事が一度だけありましたね。些細なトラブルだと聞いていますが、それがなにか?」
これは……いったいなにを考えているんだ、馬鹿者め。
「――勝手に喋るのはルール違反かもしれんが、この際だから言わせてもらう。奏響真はあの日、私の創った化物によって右腕を失った。何の関わりもない他人を救おうと、己の命を懸けて彼は恐怖に立ち向かったんだ」
実際には他人ではなく姉のため、血の繋がりはなくとも大切に想っているデイジー・クラフトを助けようとした結果だ。しかし、それを燈緋華は知らない。伏せられた真実というやつである。
「…………は」
シエルは息を呑む。理由なんてどうでもいい。ただ、信じられなかった。
奏響真は、私のことを、なんだと思っているのか。
「体が直っているのは持ち前の頭脳あってこそだ。正直言って運が良かったとしか表現できない。いくら機械仕掛けの心臓を身に宿しているとはいえ、無理をすれば死んでしまう。話では肩にあったジョイントごと砕かれ、現在彼の体内にある骨は全て金属に置き換わっているそうだ。幸い命に別状はないにしても、精神的な問題はあるだろう。助かるために、誰かを救うために人間性を失っていくというのは想像もできない現実だ。以前にも体の大半を失った経験があるとしても、そんな異常な行為を何度も繰り返せば――心が壊れる。だからこそ。機巧人形用のコアを人体へ移植してはならない、わかりきっていたことだ」
倒れても倒れても、幾度も蘇る不滅の魂。
群青の灯火、それは天より与えられし仮初の命なり。
「まぁ、彼を殺そうとしていた私が言えた義理ではないけれどね」
「……え、はい? 今、なんと」
「驚くことはないだろう。響真くんに致命傷を与えた化物、彼の言うところのブラックチェイサーだったかな。黒い猟犬は、奏響真の持てる全てを叩き伏せ、喰らい尽くす。そんな思想の元に創り出されたんだよ。なんだか一人で死ぬのが嫌でさ、どうせなら愛する人も一緒に――なんて考えてしまったんだ。私に殺されるのも、私が創り出した物に殺されるのも違わないだろう? ふふ。そんな逆境を乗り越えて、自分のみならず、私のことまで救ってくれるとは……本当に恐れ入ったよ。だから響真くんのことは好きなんだ。いつだって私の」
パチンッと。恍惚な表情で想いを語っていた燈緋華の頬に衝撃が走る。
眼前では、シエルが、見たこともない顔をしていた。
涙を流し、それでいて怒りに染まっているわけでもない。
行き所を失った感情が、彼女の口を動かしていく。
「やっぱり緋華さんとキョーマは似ていません。自分の命が残り少ないからって、だからって好きな人まで同じ運命を辿らせようとするのは間違っています。あまりに自分勝手が過ぎますよ!! そりゃキョーマは緋華さんに一緒に死んでほしいと言われたら、きっとホイホイついて行っちゃうに決まってますけど」
酷い言われようである。ただ、否定ができないのがなんとも笑えないところだな。
「でも、自分が諦めたことを他人のせいにしたりは絶対にしません。いいえ、むしろ諦めないでしょう。自分の考えうる方法で駄目なら、新たな可能性を模索するはずです。苦しくても、辛くても、生きるために足掻くことをやめないのがキョーマです。両腕、両脚、右眼に……心臓。鼓動すら止まっていても彼は生を手離しませんでした。前へ歩き出すための脚を手に入れ、希望を掴み取る腕を手に入れたのは他ならぬ彼自身の力です。未来を見据え、鼓動を世界に刻みつける奏響真は誰にだって負けません。もちろん運命にだって」
や、さすがに運命をつかさどる神様とか出てきたら勝てないと思うよ? いるならだけれどね。
「私は、緋華さんのことが好きです。だけど、それ以上にキョーマのことが好きなんです! 愛していますッ!! 私の大切な人を勝手に持って行こうとしないでください!!!!」
息を切らしながらも全て吐き出した。勢いに負け、燈緋華はかけるべき言葉を失う。
しかし、言わねばなるまい。でないと、シエルの勇気が無駄になってしまう。
「……だそうだ。よかったな響真くん、彼女も君のことを想っているとこれで理解しただろう」
「緋華、さん? いったい、誰と」
さきほどまで自分に向いていた視線が急にそれたことを訝しみ、その先を追って後悔した。
「……………………あ」
扉がいつの間にか開いている。
ドアノブに手をかける、その人は
「ありがとうシエル。俺も君のことが好きだよ」
この部屋の主――――奏響真であった。




