65 ひらりと舞う
黒い体に赤く獰猛なラインが入った獣は今にもヒナギクさんを喰い殺さんばかりに口を開いていた。
「……ッ」
『エクステンド/ダブルアクセル/ヒート・ナイフ』
カシャンッ、キュイィィィン……
宙に炎熱を纏ったナイフを四本出現させ、待機する。
しかしながら、ここで激情に任せてそれを射出することはできない。
『おや? 撃たないのですか』
黒い猟犬がこちらを向かずに、そう問いかけてくる。
「お前の出方次第だ。ブラックチェイサー」
あ、本当の名前じゃないのに呼んじゃった! どうしよう。怒ったりしない……よね?
『識別タグ確認。イクスブラッド職員と確定――機体名を受諾』
「今後はチェイサーとお呼びください、奏響真様」
無機質だった声が、肉感のある生物的な話し声へと変化した。
「え? いいのかそれで」
予期せぬ反応に聞き返してしまう。俺が思いつきで考えた名前が採用されたようだ。
「はい。名称不定のまま活動しておりましたので、不便をしていたところでした」
まぁ、名前が無いと個人を特定できないからね。わからなくもない。
「そうか」
しかし、俺がイクスブラッドの職員とな。明確に所属しているわけではないのだが、ここであえて否定するのは馬鹿のすることだろう。勘違いしてくれているのなら、それを利用しない手はない。
「ちょ、ちょっと!! 何を普通に話をしているんだよ! いいから早く助けてほしいんだよ、ブルーノ!!」
忘れてた。って、やっぱりデイジーなのか。なんとなく懐かしい匂いがするなーとは思っていたが、その呼び方は彼女しか……デイジーしか言わない。
チェイサーがヒナギクさんを捕らえた時に呼んでいたから、間違いはないのだろう。
「えっと……」
ただし、見た目が俺の知っているデイジーの姿ではないのだ。彼女はこんなに幼くはない。なかった、はず。 あれ、思い出せないんだけど?
「黙りなさい、デイジー・クラフト。あなたに発言の権利はありません。また、許可を出すこともできません」
チェイサーはデイジーを押さえつけたまま、彼女の言葉を一喝する。
「な……ッ!? もが、ふぐぅ」
長い尻尾をデイジーの口元に当て、喋れないようにふさいでしまう猟犬。いいなぁそれ、モフモフしてそうで。
「次に抵抗した場合、容赦なくその首を切り落とします。お忘れなきように」
ジャキンッと尻尾の一部が鋭利な刃物のように変形した。こわッ!? やっぱり俺は猫派だな、うん。
「………………」
それっきりデイジーは無言になり、抵抗をやめた。
下手に反論すると己の生命が危ういことを理解したのだろう。
アクセルをかけて現出させていたナイフをいったん消失させ、チェイサーへと近付いていく。
「なぁチェイサー。とりあえず、話をしないか……?」
せっかく話し合いができそうな雰囲気なのだ。それならば当初の計画通り、まずは言葉でなんとかしてみようと思う。
いや、客観的に見ると最悪なんだけれどね。デイジーが彼に捕まっているこの状態では俺も手出しできないからさ。ヒート・ナイフの射出性能に自信がない、それが一番の理由である。本来は飛ばして使う物じゃないせいか軌道がズレたりするんだよね。正確に射抜けないとなれば、デイジーに当たる可能性もあるわけでして……刺さりはしないんだが、アリアですら熱がる温度だから人間の彼女には危険過ぎるだろう。助けるはずが止めを刺しましたでは笑い話にもならん。
「了解。一時的に拘束を緩めます」
チェイサーは少し考えたあと、そう言ってすんなりとデイジーの四肢に乗せていた脚をどける。しかし、口元に当てている尻尾はそのままだ。
「ああ、ごめん。それも外してやってくれないか。とりあえず今は逃げないから。そうだろ、デイジー」
俺の問いかけにコクコクと頭を縦に振り頷くデイジー。その顔は今にも泣き出しそうなほど必死な形相だ。まぁ、首筋に刃物を突きつけられていたら俺だって怖い。シエルに一度同じことをされた経験あるからわかるよ。あれは怒らせてしまった俺も悪いけどさ……それにしたって限度があるだろう。謝るか死ぬかどっちですか、なんて訊かれるとは思わなかった。些細な行き違いで命を捨てる選択肢を出すなっての。そんなふうに反論したら、刃が皮膚に食い込んだのは言うまでもないよね。二度とシエルには反抗しないと心に誓う出来事であった。
「わかりました。あなたを信じましょう、奏響真」
「ぷはっ! 苦しかったんだよ……あ、喋っちゃダメなんだっけ!!」
今度こそ完全にチェイサーから開放されたデイジーは思わず声を出してしまった己の口を慌てて両手でふさいだ。
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。少なくとも、この場であなたを殺したりはしませんから」
「ほんとに? 嘘じゃないんだよ、ね?」
恐るおそる確認をとるが、きっと彼の言葉に嘘はないだろうと思う。
深く勘ぐりすれば、この場で、という文言が気にはなる。疑い始めたらきりがないのは理解しているつもりなんだが、師匠たちの話によれば――この猟犬には倫理プログラムが入っていない。それはすなわち、いきなり襲われる可能性も考慮しなければならないという結論になる。
「ああ。心配はいらない。何かあれば俺が対処するから、デイジーは安心してくれていい」
チェイサーの代わりにデイジーへ答える。きっと彼の言葉よりは俺のことを信用してくれるはずだ、そう思いたい。
「だそうです。よかったですね、助けてくれる人がいて。あなたのような裏切り者にも、救いの手は平等に差し出される。たとえそれが偽善だとしても」
「何を、言っているんだチェイサー?」
「すみません、奏響真。あなたを侮辱するつもりはありませんが、それが真実なのですよ」
頬を嫌な汗が伝う。
彼はいったい何が言いたいのか。いや、それよりも。
こいつは俺の秘密を知っているとでもいうのか。
「……この、駄犬が。私の可愛い弟を馬鹿にするんじゃないんだよ」
「ふむ。まあいいでしょう、そんなことは」
そんなこと、で済ませる内容ではない気もするが――今はその方が都合がいいか。デイジーも追及してくる様子はないみたいだしね。
とはいえ、だ。
「はは。それで、デイジーが裏切り者ってのはどういうことなんだ? たしかに彼女は危険なデバイスを創り出してしまったが、明確な規約違反ってことではないよな。ある目的を意図して、つまりこの場合だと悪意を持って創ったならともかく、現状において個人使用の範疇を超えていないんだぜ? 設計図等も破棄したと本人から聞いている。逃げ出したせいで追われていたのは理解しているけど、命まで狙われる筋合いはないはずだ。違うか?」
数日前にデイジーを我が家に招いた時、彼女の持っているデバイスはこれきりだと教えてくれた。あの場ではただの認識阻害装置だと説明されたが、実際の機能は違うのであろう。そこを責めるつもりはない。他人に全てを話すほど彼女も迂闊ではないってことだ。
「はい。奏響真の説明は概ね正しいかと思われます」
うんうん、そうだろうとも。師匠たちだって降格処分の話をしただけで、殺すなんて一言も言っていないからな。むしろ勘違いした俺の考えを正してくれたくらいだ。デイジーに殺意を向けられる事自体がおかしいのである。
「しかし、私には彼女……デイジー・クラフトへの処分決定権が委任されています。機密保持の観点からみても、当該人物の処分はやむなしかと反論させていただきたく思います」
「は? いやいや、処分ってのは降格処分だってデュークさんが――」
「そのデューク様より、今回の命令を下されました」
あっれー!? なんで、どうしてそんなことになっている!
「……デュークさんの出した命令内容を確認することはできるか」
何かの間違いだ。そう思い、チェイサーへ下された命令を聞きだす。
裏切り者、デイジー・クラフトの殺処分を命ずる。
また、当該デバイスは極力破壊せずに取得せよ。設計に関わる情報もできる限り集めるように。
その他、今回の件についての決定権は追跡者に一任する。
「とのことです。現時点では私の一存により、デイジー・クラフトへの情報収集を優先している状態になります。人間は死んでしまうと脳からデータを取り出せなくなりますからね、しかたありません」
「………………」
話の内容についていけず、思考が停止する。
「ブルーノ?」
だが、そんな俺に誰かが声をかけてきた。この顔は、ヒナギクさんか。
「ああ、ごめんヒナギクさん。ちょっと混乱しているみたいだ」
頭を振り、気を引き締める。考えるのは後だ。まずは自分のやるべき事をしなければ。
「ちょっと待つんだよブルーノ」
「なんですかヒナギクさん。そこをどいてください」
この際だ、一発ぶちかましてやろう。短絡的な考えでイグニスを装着している左手をチェイサーに向けるが、ヒナギクさんがそれを制するように俺の前に出る。
「いいや、退かないんだよ。たぶんだけど、キミは勘違いをしている」
「なにが勘違いなんですか! 危ないのでヒナギクさんは下がっていてくださいッ!!」
『ドラゴンブレス、チャージ開始します』
「あぁもうっ!! キミはホントに聞き分けの悪い弟なんだよ」
イグニスへと排熱エネルギーを送る俺に対し、ヒナギクさんは――デイジーは、泣き出しそうな顔で語りかけてきた。
「バリアブルモード解除……ほら、キミの大好きなデイジーお姉ちゃんだよ。思い出したかな」
その顔は俺の知っている、昔懐かしい姉の姿をしていた。
「どうして、俺は」
デイジーとヒナギクさんの区別が、いや、そもそも同じ人なのか。冷静な判断ができなくなっているようだ。
「落ち着いたかな? ごめんね、コレの起動をしていると近くに居る者ほど影響を受けちゃうんだよ」
「マフラーが、ペンダントに……?」
先ほどまでヒナギクさん、デイジーの首に巻かれていた白いマフラーが髑髏の意匠があるアクセサリーへと変化していた。
「人の視覚情報っていうのは曖昧でね、こうして見た目が派手な物が視界に入るだけで顔まではよく確認しなくなるんだよ。おかげで最小限の機能だけを使って今日まで逃れることができていたんだけど……事情を知っているブルーノには説明しておくべきだったね」
イクスブラッドの施設から何者かが逃亡したとされる日、あれから二週間ほど経過していた。
デイジーは俺が事情を全て把握しているかのように思っているが、実はそうでもない。
俺はイクスブラッドからいなくなったのがデイジーだとは、今日まで知らなかったのだ。
もちろん思い当たる節はある。
うちに来た時点で何かから逃げていたようだしね。その時は単純に施設の人から怒られるのが嫌で出歩いているだけだと思っていた。彼女は昔からよくそうしていたらしい。以前一緒に暮らした時以来会うことはなかったが、同じ組織に所属しているから噂くらいは耳にするのだ。実験に失敗しては逃げ出すトラブルメーカーだと研究員たちは語り、変わらないなぁと俺も一緒に笑ったものである。
「すまんデイジー。俺も事情までは知らない」
何故、彼女がこうして追われる身になっているのか。
「裏切り者、ってのはどういう意味なんだ? いったい何をしたら命まで狙われるはめになるってんだ。危険なデバイスを作って、それを持ち出したから殺される? いくら機密情報とはいえ、大げさ過ぎるんじゃないか」
「甘いですね、奏響真。それがイクスブラッドという組織なんですよ――あなたもよく知っているでしょう」
「…………ああ」
否定はできない。
国に対し大きな影響力がある組織には、どこにだって裏の顔がある。それはイクスブラッドですら例外ではない。表向きは人のためと言っているが、内面はとても腹黒い物が渦巻いている。
「イクスブラッドが正義の味方なんかじゃないってことは、俺が一番知っているだろうさ」
「でしたら、」
「ただ、それとこれは別だ。さっきも言ったが、やり方が大げさ過ぎるんだ。これじゃあまるで――デイジーを殺すこと自体が目的みたいに聞こえるぜ?」
情報漏洩を防ぐためやむなく、ではない。もはやそれに関係なく、彼女は命を狙われていた。
イクスブラッドは正義の味方ではない。それは俺も認識している。
だがそれでも、救いの手を用意しないほど人道に外れた組織ではない。
認識阻害装置の影響がなくなったせいか頭が冴えてくる。
落ち着いて考えてみれば、答えはわかりきっているじゃないか。
「なぁ、ブラックチェイサー。お前――嘘をついているだろ」
それは、確信をもって奏響真の口から語られる。




