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19 雨の日

 翌日、その日は朝から雨だった。


「キョーマ、キョーマ! 起きて下さい!」


「う~ん、あと一時間……」


「あと一時間って……普通あと五分とかでは? まったく、欲張りさんですねぇ」


「じゃ、そういうことで……ぐぅ」


「何がそういうことなんですか。いいかげん起きて下さいよぅ。もうお昼ですよ?」


 えー、全然寝た気がしないんだけど。

 そう思いつつも半目を開けて布団の隙間から窓の外を見ると、たしかに明るい。雨雲で曇ってはいるが、陽が頂点まで昇っているのはわかった。


「朝から雨音で眠りが浅くてさ。もう少し眠らないと……」

「そりゃ雨は早朝から降り出しましたけど、起きられないのは寝るのが遅かったせいもあるのでは? 一応気を利かせて午前中は睡眠を邪魔しないようにしていたのですが……」


 やはりバレていたのか。そりゃそうか。俺がいない間に部屋に来てクローゼットに忍び込んでるんだもんな、知っててあたり前だ。


「なんで寝るのが遅かったって知ってるんだ? 昨日は沙耶とシエルが出て行ったあとすぐに寝たんだけど?」

「え? いや、それは……」

 ふはは、答えられまい。知ってる理由を言えば自分が勝手に部屋に入っていたことがバレるからな。別に怒ったりはしないけど、言い難いことには違いないだろう。クローゼットの何がそんなに良いのか正直理解出来ないけどな。


「ぐぬぬ……」

 シエルは言い返せずに悔しそうな顔をしている。ま、部屋に来ていたことを言われたとしても俺は構わないよ? その時にちょうどトイレに行っていたとでも言えば誤魔化せそうだし。


「……と。話してたら目が覚めてきたよ。着替えたら下に行くから先に降りててくれ」

 あまりいじめるのもかわいそうだ。ここらで話を切上げることにしよう。

「――わかりました。それでは」

 若干ため息交じりに言いながら部屋を出ていく。ははは、勝ったぜ。シエルには悪いけど、夜にしていた事は言えそうにないからな。仕方ない。


 着替えを済ませ一階に降りるとリビングのソファに沙耶が居たので隣に腰掛ける。


「おはよう、お兄ちゃん」

「ん、おはよー。まあ、もう昼過ぎだけどな」

「あはは。お兄ちゃんてば揺すっても叩いても起きないんだもの。いつもなら寝るのが遅くてもすぐに起きるのに」

「それはすまん。ていうか、頭がガンガンするのは沙耶が犯人か」

 たしかによく寝た。久しぶりに熟睡したーって感じだ。シエルにやってもらったメンテのおかげか、運動して体力使ったからかは知らないけど。精神的にも大分安定しているのが自分でもわかる。

 あと、起きた直後から頭痛がしていて頭皮がヒリヒリしていた。

「手加減はしたよ? 途中から痺れを切らしてバットで叩こうかと思ったけど、シエルさんに止められちゃったんだ~」

「さらっと恐ろしいこと言うな妹よ……頼むから永眠するような事をしないでくれ……」

 沙耶には以前に起こすためなら手段を問わなくていいと言ってある。が、可能なら痛くしないで欲しいなぁ。外傷は治るけど、痛いものは痛いのだ。


「息子、のんびりしてるけど、時間は大丈夫?」

「あ、いけね。すっかり忘れてたよ、ありがと母さん」

 沙耶と話をしながらのほほんとしてるのもいいが、今日は午後から用事があるのだった。

「ふぇ? キョーマ、どこか出掛けるんですか?」

 と、エプロン姿でキッチンに立っていたシエルが訊いてくる。昼食の準備をしてくれていたのだろう、手にはおたまと小皿を持っている。

「ああ、ちょっと仕事があってさ。夜も少し遅くなるかもだから、おにぎりとか作ってくれると嬉しいんだけど――」

「マスター……それでしたら、汁物も入れられるお弁当箱が棚にありますので使って下さい。シエルさんがせっかく作ってくれたお味噌汁が無駄になってしまいますからね」

「そうだな。シエルが作る味噌汁美味しいもんな」

 そんな露骨に呆れ顔をしないでくれよ沙耶さん。シエルに今日仕事があるのを言ってなかったのは悪いと思ってるんだぜ?

 というより自分でも今日の予定を忘れていたんだ、仕方ないだろ。

「そうですか。一緒に食べられないのは残念ですけど、仕事ならしょうがないですね! あ、これに入れれば大丈夫です?」

 シエルも納得してくれたみたいだ。帰りに何か買ってきてやろう。


 食器棚の下にある扉の中から出された弁当箱におかずが詰め込まれていく。三段に分かれたケースは汁物を入れる所もあり保温機能が付いている。最近は外に行くことがあっても外食かおにぎりを持っていくだけだったので、使用するのは久しい。


 途中でこぼれないように蓋をしっかりと閉め、少し大きめの布で包み込む。最後に布の結び目へ箸の入った入れ物を差し込めば立派なお弁当スタイルの完成だ。


「それじゃ、慌ただしくて悪いけどいってきます」

 弁当箱を腰に着けているポーチに入れてリビングを出ていく。このポーチは基本的に寝る時以外は身に着けている物なので、もはや体の一部に近いだろう。買い物用トートバッグを改造した物なのだが、小型化に伴い容量が少なくなってしまったのは残念である。まあ、それでも普段使いには不便しないだけは入るのだが。

「いってらっしゃい、キョーマ」

「息子、いってきますのチューは?」

「え、私もしてほしいなそれ! お兄ちゃん、んー」

「しないから。バカやってないで、早くご飯食べちゃいなさい。冷めちゃうだろ、シエルの手料理」

 テーブルの上には三人分の料理が並べられている。俺以外の分だな。寝坊したせいで一緒に食べられないのは自業自得だ。もう行かないと。


 玄関で靴を履き、傘立てから無地の黒い傘を抜く。柄物の方は沙耶と母さんのなので使うわけにはいかない。勝手に使うと怒られるとかではなく、単純に描かれている模様が女性向けなためだ。


「さて、と」


 仕事に向かうとしよう。


「雨、あんまり好きじゃないんだよなー」

 傘を差して外に出る。

 雨は降っているが雲が薄いのかそれなりに明るい。


 庭の門をくぐり家の前の通りを左に曲がる。

 そのまま真っ直ぐ進むこと一時間の所にあるのが今日の目的地だ。

 現在の状態なら走ればすぐなのだが、雨なのでいつも通り歩いて行こうと思う。


「あーめ、あーめ~……はぁ」


 憂鬱だ。雨の日は何故か気分が落ち込んでしょうがない。

 科学が発展した現在でも理由がわかっていないんだから悩み物だ。一説によると気圧が関係してるとからしいが、そもそも理由がわかったところで解決する問題でもなかった。


 しとしとと小さい雨粒が傘を叩く。


 一日くらい休んでもいいかな……なんて思ってしまうが、一度サボると続かなくなりそうなのでやめておこう。


 歩くたびに水たまりになった泥水が靴にかかる。

 撥水性のある素材だから汚れる心配はないが、少し気になってしまう。安いやつだが、沙耶が買ってきてくれた物だからな。この靴以外だと革靴くらいしかないので機会があれば新しいのを購入しておこう。汚しても気にならないような感じのやつを。


「――っと、行き過ぎちまった」


 なるべく水たまりに入らないようにと下を向きながら歩いていたら目的地の前を通り過ぎてしまっていた。

 踵を返してとある建造物まで戻る。


【高度先進医療研究センター】と書かれた看板が目に入るが、その書かれている文字には赤いペンキのような塗料で大きくバツ印が描かれていた。

 そう――ここは既に運営されていない企業の跡地である。


 電源の入っていない自動ドアを手で開けて中に入っていく。


 カツン、コツンと。白いタイルの上を歩く音が誰もいない広い空間に響く。


 エレベーターは止まっているため、階段を昇り二階へ行く。

 踊場にあるはめごろし窓から屋外にある駐車場を覗くと赤いミニバンが一台止まっているのが見える。今から会いに行く人の愛車だ。


「師匠ー、奏響真です。約束の物持って来ましたよー」

 階段のある区画から右に曲がり、少し行った所にある扉をノックする。

 扉の上には【第二研究室】というプレートが付いている。他にも当然ながら第一や第三、第四といくつか部屋はあるのだが、現在使われているのはこの第二研究室だけなので区別せずに『研究室』とだけ呼んでいる。


「……師匠ー? いないんですかー?」

 コンコンと。再度ノックをするが返事は返ってこない。


 扉を開ける。

 横にスライドする金属でできた板分厚い板は万が一の事故に備えて頑丈に作られているが、抵抗もなくスルリと動く。鍵は基本的にかかっていない……というか、壊れているので挿さらないのだ。最初に鍵を無理やりこじ開けて以来直すのも面倒だったので放置している。


「――ああくそっ! なんで上手く動作しない!! 駆動部のギアはガルガリウム鉱を削り出して作ったんだが……伝達率が違うのか? しかし、事前の電力伝導判定では問題がなかったんだ。他に弊害となる原因は――」


 中に入るとなにやら金属でできたと思わしき四角い物体を手にブツブツと呟いている女がいた。

 髪は赤く、瞳も燃えるような灼熱の紅色をしている。一見して人間の物ではないとわかる容姿をしているが、彼女はちゃんとれっきとした人間だ。遺伝子の異常によって色素を作り出す細胞が変異してしまい、体毛や瞳などの色が赤くなってしまったらしい。肌は透き通るような白さをしている。言い換えれば病的な白さだが、儚さが出ていてなんともいえない雰囲気だ。俺はそんな見た目が好きなのだが、彼女自身はそれを嫌っているのであまり会話の引き合いに出されることはない。


 邪魔するのも悪いので手近にあった椅子を引き座る。

 いつも来るとこんな感じに研究に没頭しているので慣れたものだ。


 腰のポーチから小説を出し読み進める。

 これは異世界に転生した主人公が活躍する、そんなありきたりな物語だ。

 現実で四肢を欠損した俺も普通では考えられないような生活を送っているが、この物語の主人公のように器用な生き方は出来ないと思っている。世界を救うとか個人でやれる範囲を超えてるよな絶対。


 そのまま一時間ほど活字を頭に入れながら過ごす。


「――ここをこうして……んー、駄目か。もう一度設計から見直した方が良さそうだな……ん、もうコーヒーが無いな。少し休憩するか」


 女が捲っていた白衣の袖を戻し空になったコーヒーのカップを作業台に置く。


「おや? 来ていたのか、響真くん」


 新しいコーヒーを入れようと研究室の中央にある作業台から離れた女がこちらに気付いた。

 相当苦戦していたのか、かきむしったように髪がボサボサになってしまっている。せっかく綺麗な顔をしているのだから、もう少し身なりに気を使えばモテるだろうに……もったいない。


「だいぶ前から居ますよ。邪魔しちゃ悪いと思いまして、静かに本を読んでました。それにしても、相変わらずですね――師匠」


 そう、実はこの赤髪の女性こそ今日俺が会いに来た人なのだ。

 師匠というのは彼女に対しての敬意から来る呼び名である。


「気にせず声をかけてくれればいいものを……と、もしかして気付いてなかっただけか?」

「ええ。入る前にも二度ほど声をかけたんですが返事はありませんでしたね」

「それはすまん。考えごとをしていると周りの音が聴こえなくてな」

「わかってますよ。いつものことですし」

 そう言って持ったままだった小説をひらひらと師匠に見えるように振った後ポーチへとしまう。

 何度も同じ事があったので、暇つぶしの用意をしていたのだ。ポーチの中には他にも漫画本や携帯ゲーム機なんてのも入っている。

「む……便利そうな物を持っているな?」

 と、小説が吸い込まれるように収納された俺のポーチを見て師匠が目を輝かせる。そ、そんな目で見たってあげないんだからね!?

「あ、あげないですよ? これ、作るの大変だったんですから」

「それがあれば研究が捗りそうなんだが……」

「予備があるので、後日お渡しします。なんだったら設計図も一緒に持って来ますね!」

 俺ってばちょろい。師匠のためなら全財産くれてやっても良いとさえ思っているからな。

「や、設計図は安易に公開しない方が良いだろう。そのポーチ……見たところ、トートバッグと同じ原理で空間を維持してるんだろ? あのサイズでも世間が騒いでるのに、小型化された手のひらサイズのポーチなんてのが世に出回ったら悪用されかねん」

「あー……たしかに。でも、師匠がちゃんと管理してれば大丈夫なんじゃ」

「それは無理だな。無理に決まってるだろ? この部屋を見ればわかるだろうに」

 そう言われて研究室を見渡すと、足の踏み場も見当たらないほどに書類が散乱していた。この中のどれかには国家機密に関わる物もあったりするのだろうか。一応この国のお偉いさんらしいし。師匠曰く、裏方の仕事を請け負っているとかなんとか。

「……この前、書類棚買いましたよね?」

「ああ、アレ? 実験に使う材料が足らなくて分解しちゃった。中々良い金属で作られててさー、どれも役に立ったよ」

 そうか。用途は違うけど、役に立ったならいいか。結構高かったんだけどな、あの書類棚。

「はぁ。次に実験する時はちゃんと俺に言って下さい。希少金属だろうがなんだろうが、塊で用意するんで」

「いやー、でも……なぁ。この場所だって響真くんが用意してくれたのに、その上私の趣味にまでお金を使わせるわけには――」


 あ、そういえばそうだった。

 この高度先進医療センターの跡地、俺が土地ごと買って師匠にあげたんだっけ。

 ちなみに、師匠がここで行っているのは本当は研究ではなく……趣味の機械いじりだったりする。


「では仕事に使う資材を余分にお渡しするというのはどうですかね。余った物は師匠が使っても良いということで」

「それなら……いや、駄目だろ。そもそも仕事じゃそんなに金属は使わないからな。何より公私混同は規定違反の可能性がある。さすがの私も国を相手に戦う気はないさ」

「なるほど。誘惑に負けない師匠もかっこいい」

「……君のその異常なまでの信頼はどこからきてるのかね。それに、前から言っているが師匠と呼ばれるようなことなんて私は何もしていないんだぞ?」


 そんなことはない。

 師匠――赤髪で紅い瞳の彼女は、俺の命の恩人だ。

 事故の後、リハビリが上手くいかず体が思うように動かなかった俺は……自殺をしようとしていた。一度ブリジット先生に救ってもらった命を捨てようとしていたのだ。

 当時、白い部屋を抜け出した俺はその建物の屋上に立っていた。あと一歩踏み出せば自由になれる、そんな場所にだ。さあ、行こう……そう決心した時、ふらりと彼女が現れたのだ。

 そして、隣に立った彼女は俺の手を握りこう言ったのだ。


『一人だと寂しいだろ? 一緒に行ってやる』


 握られたその手は震えていた。

 後から聞いた話では師匠は高所恐怖症だったらしい。だが、俺はそんなことを知らなかった。その時はタイミングが悪かったのだと思い、違う日に屋上へ行くと――また彼女が居た。何度行っても。どんな時間に行っても……必ず隣に立って俺の手を握ってくれていた。

 最初こそ這いずるように屋上へ行っていた俺だが、いつしか体がちゃんと動くようになっていた。何度も何度も死のうと頑張った結果、死のうとした理由がなくなってしまったというオチだ。

 だが、そう――何度も、だ。

 高い所が恐いというのに。手や足が震えているというのに。ある時は恐怖から漏ら……おっと、これは忘れたことにしよう。……そんな自分のことを顧みず、俺のために尽くしてくれた彼女を尊敬していた。

 いつか彼女のような誰かの救いになる人間になりたい――そんな夢が出来た。


「それでも師匠は師匠です。俺にとってあの屋上での一件は人生におけるターニングポイントみたいなものですからね」


 そして、その後。彼女が無職であることを知った。

 俺はそんな師匠を救おうと父の知り合い(自称)に頼み込み、この場所を格安で譲って貰ったのだ。現在、国の裏方の仕事をするくらいに偉くなったのは単純に師匠が頑張ったからに過ぎない。俺が出来たのは居場所を用意したのと仕事の取引先を根回ししたくらいだ。あとは資金提供くらいか。働かなくても良いように俺の財産を全部師匠名義にしようとしたら怒られたこともあったな。親の金は大切にしろとか何とか。俺にとっちゃ師匠の方が大切なんだけど、師匠の言うことだからそれに従うとする。


「はぁ……まあ、いいか。響真くんは強情だからな、しょうがない。あ、本当にポーチの予備が余っているなら今度持って来てくれるとありがたいな。それさえあれば何日でもひきこもれる……ふふふ……これで勝つる」

 あー、そんな理由で捗られても困るんだけど。

「あれ、トートバッグありますよね?」

「それとこれは別なの! それに、ポーチのが小さくて可愛いし」

 さいですか。まあ、元からあげるつもりなので本人がどう使おうと勝手ではある。今度忘れずに持って来よう。


 あ、ちなみにだけど。

 トートバッグやポーチの中に更に同系統の物を入れると爆発します。捻じ曲がった空間が反発し合って小規模のブラックホールが生まれるので要注意! 一度実験して死にかけた。はは……


「あはは。おっと、そういえば忘れるところでした」

 師匠との話に夢中になり過ぎていて、ここに来た目的を忘れるところだった。

 慌ててポーチに手を突っ込み、中からある物を取り出す。


 三センチ四方の四角い箱だ。

 金属でできた光沢のある青白い色をしたそれを師匠に手渡す。


「……ふむ。なんだっけ、これ?」

 あ、忘れてましたか師匠も。

「ほら、この前会議室で空中にウィンドウが出るやつあったじゃないですか。あれ、移動出来なくて師匠が悩んでたので作ってきたんですよ。簡易版なんで板に設置しないと画面が出ないんですけど、出来るだけ小型軽量化してみました」


「………………」


「師匠? どうかしましたか?」

 無言で箱と俺を交互に見比べる師匠に困惑する。何かおかしい所でもあったのだろうか?

「いや……いつも思うんだけど、響真くん……天才だよね」

「え、どういうことです?」

「――あの馬鹿でかい機械をこんなに小さくするのもそうなんだけど……トートバッグとか日用品類に革命を起こし過ぎだよ君は!」

 ああ、そういやトートバッグも俺が作ったやつだっけ。最近は確認してないけど、特許権を取得しているので定期的に売上が振り込まれてるんだよな。偶然出来た技術だけど、おもしろそうだからという理由だけで売り出したら大ヒットしてしまったのだ。一家に一つは絶対あると言っても過言ではないとかテレビのニュースで流れてた気がする。

「……頬を膨らませてプンスカする師匠可愛い」

「声に出てるぞ、響真くん?」

 おっと、これは失礼した。

「すみません……でも、バッグに関しては師匠のおかげじゃないですか?」

「む。なんでそこで私が出てくるんだ」

「いやだって。あれ、師匠が開発途中だった超次元ブラックホール生成装置を改造したら偶然出来ただけですし」

 当時、師匠が研究していた異空間技術の残骸。研究室に遊びに来ていた俺は暇を潰すために、もう使わないから要らないと言われたソレを分解して遊んでいた。エネルギー切れなので本来なら危険はないはずだったのだが……研究テーマが異空間だったからなのか、バラバラにしたパーツをある手順で組上げた途端――途方も無いほどの世界が拡がった。いや、それは正確じゃないか。その世界が拡がっている事に気付いたのは後日なのだ。組み上がったパーツを入れておいた俺の道具入れだった布製のバッグが変異していたのだ。

「うーん? そんなの開発していたのか私……まったく憶えていないな! 作り終わった後どうなろうと知らん! 多分、設計図もないからな!」

 ああ、うん。そうでしょうね。師匠ってば根っからのマッドサイエンティストだもんね。


 変異したバッグは何でも入れることが出来た。

 もちろん、入れた物は取り出すことも可能だ。変異したのは単純にバッグの容量のみだったのだ。

 さらにいえば、変異した先は異世界の法則が適用されるのか……入れた物の時間が完全に停止する。ようは劣化しないのだ。

 その後に何度か試した結果、人間だけは入れられないと判明した。生きている人はもちろんのこと、死んでしまった人の亡骸を入れることも出来ない。理由はよくわからないが、それが異世界ルールなのだろう。

 で、その組み上がったパーツはなんと再利用可能だったわけでして――不思議バッグは量産されるに至るってこった。


「一応、材料さえあれば一から作り直せますけどねアレ。理論はともかく、構造はそんなに精緻ではなかったですし。まあ、空間拡張するのに元のバッグの大きさが制限かかるのでポーチみたいに小型化するなら部分的に改変する必要がありましたけど」

 小さくするのは制限があり、非常に難しい。だが、逆に大きくするのは簡単なのだ。無限とは言えなくても一の大きさの空間を百や千にすることは出来ると実証されている。

「はぁ……響真くんからすれば簡単でも、あの装置自体もたしか――ま、いいか。響真くんだものな!」

「はは。でもヒントをくれたのは師匠なので、ちゃんと共同開発として特許申請してありますから」

 そこらへんは抜かりない。先に言ったら師匠は絶対に嫌がるので勝手に申請させてもらったのだ。

「……それは知ってる。私がいつも研究室にこもっていられるのは君のおかげだってことくらい。本当ならこんな規模の研究は出来ないんだよ、いくら仕事で私が高給取りだといっても。なんせ、この部屋にある機材一つでも年収並みの値段するからね。メンテしたり直すのにも金はかかるから維持費も大変だが――それを補って余るほど口座に振り込まれてるんだよ毎月」

 あ、そんなに入ってくるんだ特許料って。師匠の年収は知らないが、国の裏方の仕事をするくらいだ。きっとすごいんだろう? それより多いとなると……うん。考えるのはよそう。

「なるほど。どうりでいつ来ても機械が綺麗なんですね」

 というか来る度に新しいのが増えていっている気がする。個人で所有するレベルじゃねーなこれ。

「まあ……それは……うん。よく壊れるからね、しょーがない。特に今作っている物は機器への負担が大きいから――っと、そうだ! これ、どうやって使うんだ?」

 おおう。やっと話が戻ったな。利権の話は今度またすることにしよう。少なくとも迷惑ではないようだし後回しだ。


 師匠は青白い光沢をした四角い箱――俺が先ほど渡したPET製の機械を手のひらの上でもてあそんでいる。

 大型のとは少し違うからな。使い方を説明することにしよう。


「――で、このように基本的には板に設置出来れば何処でも使えるわけです。便利でしょ?」


 簡単な使い方だったので五分もかからなかった。まあ、これは単に触って動かせる投影装置だからな。ある程度の大きさをもった板が大きいタッチパネルになるというだけの代物だ。


「ふむ……たしかに便利だ。研究者として君に殺意がわくほどにはすごいと思う」

「師匠になら殺されても文句言えないかな……あ、冗談ですよね。わかってます」

「ちなみに、記憶容量とバッテリーの持ち時間はどれくらいになるんだ?」

「えっと、ここにスロットがあって市販のメモリーカードなら規格が合えば使えます。内臓メモリはあまり多くはないですね。管理画面を起動すれば残量が見れます。バッテリーについては――」


 基本的なマシンのスペックについて色々訊かれたので一つずつ簡潔に答えていく。

 ある程度問答が終わると師匠は思案顔になり目を閉じ、そして……


「なるほど……使い方は本家に似ているが、運用法は似て非なるものになるのか。しかも原価が安い。大量生産に向いているんじゃないかなこれは」

 カッと目を見開き、なんかよくわからない事を言い出した。


「いや、売る気はないですよ? 師匠のために作ったやつですし」

 だからもちろん大量生産なんてする意味もない。

 が、それには納得いかないようだ。

「何を言っているんだ響真くんは!? こんな素晴らしい物を世界に公開しなくてどうする!」

「そう言われましても……既製品を改造しただけですし、公開したらきっと訴えられますよ?」

 たしか大型のウィンドウ発生装置は特許取得済みだったはずだ。値段が馬鹿みたいに高いのもそのせいだったと思う。

「むぅ……一理あるが……バレなきゃいいんじゃ……」

 はい、アウトー。そういう考えは却下です。

「無理でしょうね。まあ、これを売ることは(・・・・・・・・)ですが」

「どういうことだい?」

「簡単な話ですよ。設計し直せば良いだけです、新しくね。どうしても公開したい技術だというなら創りますよ? そうですね……ああ、そこのガラクタ入れの部品使いますね」

 俺はそう言って師匠が実験に使い壊してしまった機械類のゴミ箱を漁る。うん、これならいけそうだ。


「ははは。響真くん、ぶん殴って良い?」

 え、むしろご褒美です。なんて、そんな趣味はないけども。


 わりとサクッと出来ちゃいました。


「どうせなら短いスカートを穿いて上から踏んで頂けると……イタイイタイ師匠痛い。頭が割れる」

 師匠の小さい手が握られ拳でグリグリとこめかみをこねられた。地味に効く……。

「そんなに若いうちから変態趣味なのはどうかと思うよ響真くん。私は君の将来が心配だよまったく」

「冗談ですってば。でも、師匠のを見たいのは本当で……あーーー!!」

「あっはっは」


 まあ、師匠のいるこの場所に来るとだいたいいつもこんな感じに過ごしている。

 年齢的には離れているが、俺の大事な友達の一人だといえるかな師匠は。憧れや尊敬はあるけども、最近では親しみの方が大きい。なんたって見た目は中学生くらいだからな。身長も俺の方が頭二つ分くらい大きい。そのため、たまにこうしてからかうと仕返しを受けるわけだ。んあー、頭が痛い。


「ふぅ」

 そんなスッキリした顔されても困るなぁ。

「満足しましたか?」

「とても。実験が上手くいかなかった時は響真くんを虐めるに限る! あ、マシンは両方私が預かるよ。あとで資料にまとめておく」

 俺はストレス解消マシンじゃないんだよ? 師匠のためなら嫌じゃないけど、そういう扱いでも。

「データ取ったら使って下さいね? そのために作ったんですから」

「わかってるとも。最初のやつは私専用に使わせてもらうよ。……と、そういえば時間は良いのかい? いまさらではあるが、夜も遅いし帰宅時間とか大丈夫なのか」

 師匠にそう言われ、ポーチから端末を出し時間を確認する。

 現在の時刻は夜の八時だ。この部屋には窓が無く外の明かりが入らないため、こんなに遅い時間まで居たのに気付かなかった。しかも何故か時計が置いてないんだよなここって。研究室なのに……

「あー……一応遅くなるとは言ってあるんで大丈夫だとは思いますけど……」

「なんなら泊まってくかい?」

「や、実験の邪魔しちゃ悪いんで帰ります。休憩もそろそろ終わりでしょうし」

 師匠とは話をしながらコーヒーを飲んだり軽食をとったりしていた。それに彼女は夜型人間なので、これからの時間が一番集中して物事を考えられる時間だろう。そんな時間を俺に割いてもらうわけにはいかないだろう。

「そうか。帰るなら車で送って行ってあげても良いけど――雨だと機嫌が悪いんだよな、あの子」

 あの子とは、師匠の愛車の事である。雨の日は何故かエンジンのかかりが悪いので使えないヤツである。故障しているわけではないらしいんだがな。

「はは。一人で帰れるんで心配無用ですよ。そんなに遠い場所じゃありませんし、何度も行き来してるんですから」

「すまないな。あの子に関しては買い替えも検討しておこう――では、私はコレの続きをするか」

 俺が来てから机の上に置き捨てられていた金属製の四角い物体を師匠はいじり始める。

「それってどういう物なんですか? 見た感じだと、コアっぽい気がしますけど」

「ん? そうだな……開発中の機巧人形があるらしくて、それの心臓(コア)を造ってくれと頼まれてな。私は機巧人形については専門外だから断ろうと思ったんだが、先方がどうしてもと頭を下げてきたから無碍にも出来なくて――というのが建前で、本当は知らない分野の研究を納期も資金の上限も無しにやらせてくれるって言うから飛びついてみただけだったり」

 やっぱり機械仕掛けの心臓、マキナ・ハートを造っていたんだな。以前見た資料の写真とフレームの見た目がそっくりだし。

 ちなみに、俺も師匠もPET製の道具(・・)を作るのは得意だが人型の機巧人形に使われている技術については全く知らなかったりする。括りとしては一緒のジャンルなんだが、内容が全然違うんだよな。PETはそういう物だと思うしかないか。どちらも自己を拡張する道具……人の生活を便利にする物だから間違ってはいないし。


「…………」

 自分の胸に手を置いて少し考える。

 俺の心臓がマキナ・ハートだとは師匠には教えていないのだ。母さんや沙耶も知らない。親しい人には教えても良いとは思うけど、どうしても躊躇してしまう。

 教えたら、師匠の研究は捗りそうだよな。教えちゃうか。


「響真くん」

 考え込んでいた俺の顔を師匠は真正面から見据える。

「秘密は誰にでもあるものだ。自分からわざわざ言う必要はないよ」

「でも」

「ちっちっち。こういうのは自分で考えるから面白いのさ!」

 ……気付いていたのか、やはり。まあ、俺の日常を知っていればそうなるのか。

「わかりました。それじゃ、今日はもう帰りますね。あんまり夜更かししてると背が伸びなくなるんで、早く寝てくださいよ?」

「えー。とっくに成長期は終わってるんだけど……うん。また暇な時にでも来てくれ」

 そわそわとして早く実験を続けたかったのが見て取れたので、今度こそ帰るとしよう。


 飲み食いした物の食器を片付け、研究室を後にする。


 来た時の道を辿り、高度先進医療センターの跡地から出て行く。

 外はもう完全に真っ暗だ。


「あ」

 ハッとしてポーチの中に手を入れる。

「弁当あるの忘れてた……」

 シエルお手製の味噌汁が入った保温容器が手付かずのままだった。

 研究室では常に何かしら食べ物があるからなぁ。ひきこもりの部屋おそるべし。

「ポーチの中なら腐らないけど――」

 食べ物で思い出したことが一つあったので、そちらに向かうとするか。



 雨はまだ、やむ気配がない。





一話で一章部分と同じ長さという……

主人公が無駄にハイスペックなのにも理由が――うん、それはいつか書こう。

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