18 金色の双眸
「うっひょーぅ!!」
月明かりに照らされた屋根と屋根の間をまるで空を駆るかの如く過ぎ去る影が一つあった。
「体が、軽い……! これならいくらでも走れるぜ!」
無論、そんなバカなことをするのは一人しかいない。
「次はあそこまで跳ぶぜ……ひゃっはーーー!!」
奇声を上げているのは奏響真。機械でできた腕と脚を体に持つ少年である。
人間より遥かに強靭な力を秘めたその一歩は、踏み出した途端ふわりと体を浮遊感につつみこむ。
まさに、空を飛んでいるかのようだ。
「ぁ……」
そして、飛んでいる物は落ちるのが運命。
ゴゴンッ! ガゴッッ!! どしゃりっ。
と、次の屋根への着地の瞬間に足を踏み外した彼は壁やそこに伝う突き出た配管などに体を打ちつけ……ついには地に吸い込まれてしまった。
「――――だいじょう、ぶ?」
大丈夫ではないだろう。
普段見上げるほどの高さにある屋根からの落下だ。死んでいてもおかしくはない。
「……大丈夫だ、問題ない。驚かせてすまん――いててっ。あー、死ぬかと思った!」
咄嗟に声に対して返事をしたが、体の痛みと落下の衝撃で頭が回っていない。
脚に力を入れ立ち上がる。
「――よし、動くな。胴体も……服が多少破れたけど、中は平気みたいだな」
腕と脚がちゃんと動くかを確認したあと、その他の状態を見る。
落ちる時に壁に当たったのは幸運だったかもしれない。そのまま地面に対して垂直に落ちていたら、いくら機械の体を持っていたとしてもかすり傷程度で済むはずがないのだから。
「バランス感覚がまだ変だな。いきなり全快ってわけにはいかないか、やっぱり」
その場で屈伸運動をしてみる。うん、普通の体って良いものだ。
と、屈伸をして屈んだ時にふと上を見る。
そこには――とても白い布があった。
「………………」
「ごめんなさいっわざとじゃないんです! お願いだから叫ばないで!?」
ここで悲鳴を上げられたら社会的に死んでしまう。普段ならともかく、現在の時刻は深夜二時。さらにはボロボロの服を着た怪しい男が俺だ。通報されたら捕まるだろう、確実に。
しかし、目の前の女の子――とても綺麗で透きとおるような黒髪をした少女は声を上げるどころか、身動き一つしない。
「えっと……?」
おろおろする。自分の顔から冷や汗が流れているのを感じた。
なんで反応がないんだろう? まさか、死んでる? いや、そんな事はあるまい。さっきだって落ちてきた俺の事を心配してくれたのだから。それに、彼女の目は俺の方を――――見てない?
「ん? まだ、いたの」
少女が今気付いたと言わんばかりにこちらを向く。
「ケガ、してないなら、あっちいって。そこにいると、ジャマ、だから」
そこ、とは。この廃屋地帯の中にある裏路地の事だろうか。
そもそも何でこんな所に女の子が一人でいるんだ? 人気が無く電灯の一つも無い暗がりの路地に。
「ニャー」
「なーう」
「ん、ジロー、タロー、ごはん持ってきた、よ?」
なるほど。猫か……かつて人が住んでいたこの場所にいるってことは捨て猫か繁殖した野良だろう。
この女の子はここにいる野良猫たちに餌を持って来ているということだろうか。
ジローとタローが俺に擦り寄ってくる。
「ずいぶん人懐っこい猫だな。……あれ? 首輪があるな。どっかで飼われてるのかこいつら」
足元の小動物を撫でる。
毛並みが良く触り心地が良い。ってことは家猫なんだろうな。野良だったら縄張り争いや餌の質のせいで毛並みが硬いしゴワゴワだからなぁ。
「……にゃあ」
「にゃ? なーう」
「ニャ、フニャー」
足元の猫たちの毛並みを楽しんでいると、そこに黒髪の少女までもが加わってきた。
彼女は手に持っていた肉の塊をちぎると、ジロー、タローと呼ばれる二匹の猫に与え始めた。
あんまりしゃがむと見えちゃうよ? あ、ほら見えた! やっぱり白って良いよね。
脚の付け根に広がる楽園を思わずガン見してしまう。
「あなたも、たべる?」
そんな俺の視線が彼女の持っていた食べ物に向いていると勘違いしたのか、猫にあげるよりも大きな一口大にちぎって顔の前まで近づけてくる。
「あーん」
えっと、どうしたら良いんだろう。食べた方が良いのだろうか? うん、そうだな。そうしよう。俺はこの肉の塊を見ていただけなんだ。そうだ、肌色のお肉にかぶさっている白い布を見ていたんじゃない! 俺はこの赤黒い色をした肉を見ていただけ……まあ、場所はあれだが美少女に食事をあーんしてもらえている状況なんて考えてみれば最高じゃないか。誰も見てないんだし恥ずかしがる必要もないからな。
「いただきます」
そうして少女の持っていた肉を口に含む。
「んっ」
おっと、指まで咥えてしまった。え? わざとじゃないよ? ははは。
口に入れた肉を噛む。もぐもぐもぐ……ずいぶんスパイシーだな……ていうか、これ
「しょっぱい! ふおぉぉぉ、塩辛すぎだろコレ!? え、こんなの猫にあげちゃダメだって!!」
むちゃくちゃしょっぱかった。あと辛い。舌がヒリヒリする……
「? なんでダメ、なの」
「なんでって……まず塩が強い。猫は体が小さいから塩分の摂りすぎには注意しなきゃいけないんだ。 それにその肉……保存用に作ったのか知らねぇけど、香辛料がききすぎてる。人間の俺でも舌が痛いくらいだ」
店で一般的に流通しているジャーキーなんて比べ物にならないくらいの味の濃さ。塩と香辛料の塊と言っても過言ではないと思う。
「でも、もうこれしか、持ってない」
そんな俺の苦言にも彼女は表情一つ変えずに小首をかしげるだけだ。
「どういうこった? 家で作ってきたんじゃないのか、この肉」
手に持っている肉の塊は紙に包まれたあと布で覆うという手作り感のある物だ。仮に店で買ったとしたら、ビニール包装とかがしてあるだろうし……それにこんな味の物がこの近辺で手に入るとは思えない。
「わからない。ベルが持ってきた、から」
「ベルって?」
「ベルは、いもうと?」
なんで疑問形なんだろう。まあ、それは今気にするところではないか。
「――うん、とにかく猫にはあげない方が良いよ。事情はともかく、人間の勝手で猫の寿命を縮める行為をするべきじゃないから」
「ん、わかった」
理解してくれたようだ。
「ジロー、タロー、ごめん、ね」
「にゃーう」
「ニャー」
少女は肉を包み直して背負っていたリュックにしまう。猫たちはまだ物欲しそうだが、あげるなら別の物にした方がいい。
「心配しなくてもこの猫たちは食い物に困らないから大丈夫だよ」
「……なんで?」
猫たちにすがりつかれて身動きのとれない少女が俺の言ったことに疑問を問う。
「なんでって……見ればわかるだろ。首輪付けてるんだから飼い猫だし……毛並みも良いし普段から餌に不自由はしてないはずだ。この場所に来てるのだって、猫の集会でもしてるだけだろうしな」
そう、この場にいるのは二匹だけではない。近くにいるのがジローとタローなだけであって、周囲には他の猫たちの気配がする。鳴き声だって小さいが聴こえてくるからな。
「首輪……首に巻いてる、これ?」
「そうだけど?」
この国では飼っている動物に首輪を付けるのは義務付けられている。首輪からは位置情報が常に送信されているため、いなくなっても飼い主はすぐに見つけることが出来るようになっているのだ。仮に見つけられず野生にかえったとしても首輪は成長にともない自動的に伸縮するので、首が絞まったりすることはない。
ちなみに、うちで飼っているペットのタマさんにもちゃんと首輪が付けられていたりする。
「私も、欲しい」
「さすがに人間には付けられないよ。PETなら可能だけど、これもお互いが主従関係を認めない限りは意味を成さないしね」
「ざんねん」
「あはは」
そんなふうに雑談をしていると、餌をくれないとわかったのかジローとタローは何処かへ行ってしまった。
「ばいばい、ジロー、タロー」
「いつも来てるのか? 名前まで付けてるけど」
猫が去ると消えて行った路地に向けて手を振る少女。さきほどまで居た猫たちは名前で呼ばれていたので、親しい仲だったのだろう。
「ここに来たの、はじめて」
……違ったらしい。
「そ、そうか。――あ、俺もそろそろ帰らなきゃ」
気まずさに目を逸らすと街の大時計が視界に入った。
離れている場所であるこの廃屋地帯でも見える程の高さを持ち、夜間でも照らし出される文字盤。そこに表示された針はすでに四時近くを示していた。
早く帰って着替えをしたりしないとシエルに見つかってしまう。
実はメンテの後、こっそり家を抜け出して来ていたりする。
シエルに無理をするなと念を押されていたのに、その日に外出するばかりか、こんなにボロボロの服で帰ったのがバレたら大変なことになる。転んだでは説明のつかない破れ方をしているからな俺の服。
「君も帰った方が良いんじゃないか? もうすぐ夜明けだ。親御さんも心配するだろう?」
「ん、帰る。でも、心配してくれる人は、いない」
一人暮らしなのだろうか。それともリュックを背負っているから旅行とかか?
どちらにしろ、帰る場所はあるようだし俺が心配することじゃないか。
「まだ暗いし家まで送ってくか?」
「いい。一人で、帰れる」
一応訊いてみたが断られた。うん、俺ってば現在ボロボロの服を着た不審者だからね。仕方ないよね?
そもそも空から落ちてきた時点で通報ものなのは自覚している。ああ、最初に訊かれたのは頭が大丈夫かってことだったのかな。冷静になって考えてみれば頭のおかしい人じゃないか完全に。
「じゃあ、ばいばい」
「あ、うん。またな」
己の行動に対して自問自答していたら少女は去って行ってしまった。あっさりしてるなぁ。
「……綺麗な瞳、だったな」
少女の顔を思い出す。
暗くてハッキリとは見えなかったが、それでも印象に残っている物がある。
「金色の双眸――」
月明かりを映したかのような色。
その二つの金色をした瞳はとても神秘的な輝きを放っていた。
「……っと、早く帰らないと」
出逢った美少女の顔を思い出して惚けている場合ではない。
遅くなればそれだけ隠蔽工作の時間が少なくなってしまうのだ。沙耶が起こしに来る時間にはベッドで寝ているという状況が理想である。
「マップ起動。自宅までの最短ルートを表示――――え?」
腰に着けていたポーチからペット端末を出し、音声入力方式のそれに条件を入力して画面に表示された地図を見る。
そこには、通常ではありえないルートが映されていた。
「…………あー、そういうことか」
地図の上に示されたルート表示の赤い線。その線は曲がりくねった路地全てにはしっており、一緒に表示されている距離数はとんでもないことになっている。
原因は多分この場所のせいだろう。
「廃屋地帯は位置情報が取得出来ないんだった。まいったなぁ」
この廃屋がある地域一帯には不思議な磁場があり、そのせいか衛星からの電波が乱れてしまいマップ機能の位置情報が受信出来ないのだ。
「抜けるにも、なぁ」
幸い地図は見れるものの、自分の居場所がわからなければ動きようがない。
そのまま進むにも少し歩くだけで家屋の壁に当たり行き止まってしまう。
上を見る。
やはり、これしかないだろう。
「は、ほっ、とうッ!!」
壁を蹴り上がる。
十メートル近くある垂直の壁だが、近くに面した壁同士を交互に蹴っていけばなんとかなった。機械の体をもつからこそ出来る芸当だな。
「いやー。改めて見ると高いな! よく落ちて無事だったもんだ」
屋根の上から下を見る。そこにはさっきまで居た地面があったが、最初に落ちてきた所はかなり凹んでいた。
「舗装された所じゃなくて良かったぜ。土だから衝撃が逃げたのかねー」
視線を戻し屋根を歩いて行く。
高い所に上がってしまえば磁場も弱まる。現に片手に持った端末のマップ画面には現在地が表示されている。
ある程度歩くとピッという電子音が聞こえて画面に自宅までのルートが映し直された。自動検索モードにしておいたので電波が入り再検索されたようだ。
「いくぜ……ひゃっ……ふぅーーー!!」
ルートを確認してから端末をしまい、走り出す。
屋根と屋根の間は走り幅跳びをするようにタイミングを合わせて跳び上がり越えていく。
来た時とやることは一緒だ。ただ、今度は落ちないように細心の注意を払いつつ丁寧に着地と跳躍をするだけで。
一棟、二棟……過ぎ去る廃屋の数を数えきれなくなった頃、ようやく地上に降り立った。
「よっと。……うん、姿勢さえちゃんとしてれば高さがあっても大丈夫みたいだな」
危なげなく屋根から飛び降りた後、地面に片足のつま先を打ち付けつつ痛みがないかを確かめる。
その後屈伸などをして脚が異常なく稼動することを確認した。
「さて、もうひとっ走りするか」
ダッと駆け出す。マップの表示ではあと二キロ程度なはずだ。
「――で、着いた。と」
平地なら目の前の障害物以外気にすることなく速度が出せた。そのため、ものの数秒で着いてしまったのだ。車より速いとか本当に人間辞めてる感じがする。しかもこれで軽くランニングする程度の力しか使っていないんだよな。上限のフルパワーを出したら体がもげるというシエルの言葉はあながち間違っていないのかもしれない。
玄関からは当然入れないので、自室にある窓の所まで壁面の配管を伝って登っていく。
窓の鍵は開けたままだ。普段から換気のために開け放っているので、雨の日以外は窓自体全開になっている。
「……ふぅ」
中に入ると部屋には誰も居なかった。
とりあえずは一安心だろう。
ボロ布となった服を脱ぎ捨てる。これはそのままゴミ箱行きだ。
そうして着替えを取り出そうとクローゼットを開け――
「うーんみゅ……きょーまぁ……むぐぐ……おいしぃ」
そっと閉じた。
「まあ、シャツくらい着なくてもいっか。さーて、寝よ」
ベッドに行き布団にくるまる。
少し肌寒いが風邪をひくほどではないし大丈夫だろう。
「……ぐぅ」
いつも通りすぐ眠りにつく。
意識が闇に呑まれ――深い谷底に落ちるように。
新章突入したけど、もう少し日常は続くよ。
何気ない毎日を過ごせるって幸せなことだと思うんだ。これからのことを考えると余計にね。




