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第5話 一枚の原稿

漫画家志望の青年・加藤アツは、羽田で起きた事故の中、誰の目にも映らない白い線と、眼鏡の少女を目撃する。その出会いをきっかけに、アツは現実の裏側にある“見えない世界”へ足を踏み入れていく。


旧編三部作として完結した『描線眼鏡』の世界観を引き継ぎつつ、物語の入口から新たに描き直す新編です。


 二日目の朝になっても、白い線はアツの目の奥に残っていた。


 見間違いではなかった。そこまでは分かった。では、ヤカンの後ろを這っていた黒いものは何だったのか。


 答えを考えているうちにA stationへ着いた。


 サチハもすでに席についていたが、原稿には触れず、キズナの方を気にしている。どうやら待っていたのは同じ話らしい。


「昨日、ヤカンの周囲にいたものを、ワタシたちは『魔』と呼んでいます」


 キズナは前置きなく言った。


「魔って、そのまんま魔なんですか」


「説明しやすいので」


「ずいぶん大胆な便宜名ですね」


 もっと学術的で長い名称を予想していた。正式名称が出たら三回は聞き返す覚悟もしていたので、肩透かしだった。


「名前は単純ですが、定義はあります。眼鏡とペンの仕組みも、明日説明します」


「今日じゃないんですか」


「昨日の記録を確認してからです」


 ケンが椅子の背へ腕を置く。


「明日、サキが来てからだな。昨日のログも見てもらう。まあ、事情聴取ってほど怖いものじゃないから」


「先に事情聴取って言葉を出されると怖くなるんですが」


「見えたものと感じたものを、順番に話せばいい」


 サチハがわずかに肩を固くした。

 キズナは二人を見比べる。


「昨日は居合わせただけです。漫画の試用と、あちらへ関わるかどうかは別に考えてください」


 見えたから参加しろ、という話ではないらしい。

 アツが次の質問を探すより先に、ケンが作業机を指した。


「続きは明日。今日は昨日より漫画家寄りの仕事をしてもらう」


*


 昨日空いていた奥の机に、今日は人がいた。


「その二人が新人?」


 その机から、知らない声が飛んできた。


 声の主は、奥の液晶画面の向こうから顔を出した、目鼻立ちのくっきりした男性だった。


「湧口マナセ。色の仕事が多いけど、今日はモノクロシーンなんで明暗を見る人」


「説明が長い」


 隣の机で、小物の資料を並べていた女性が笑った。くりっとした目が特徴的で、個性的なアクセサリーをじゃらりと下げている。


「館山ランです。小物と装飾を担当してます。今日はアツくんの道具を見るね」


 なにか、急に仕事の流れが増えた気がした。


 アツは前日直した長柄の工具を開く。使いやすくはなったが、一つだけ別の店で買ってきたように浮いている。


 ランが画面を指した。


「この飾り、ずいぶん小さくしたんだね」


「振ったら手に当たりそうだったので」


「じゃあ、小さくするんじゃなくて、ここへ移してみようか」


 ランが示したのは、握りの少し下だった。


「飾りにも避難先があるんですね」


「この漫画では、なくすより居場所を作る方が合うの」


 アツは飾りを小さくし、柄の根元へ移す。ランが輪郭を一本だけ整えた。

 それだけで、工具が画面の人物の持ち物として馴染んだ。


 一方、サチハの画面を見たマナセは、人物の顔を指した。


「このコマ、最初に見てほしいのはどこ?」


「顔……ですよね」


「じゃあ、机の下まで同じ濃さで仕上げなくていい。顔の周りを残して、下は少し抜こう」


 サチハはうなずいたが、時計を見ると手が固くなった。


 十分後。迷いはまだ残っている。


 それでも今日は、止まりきる前に顔を上げた。


「ここまでで、確認をお願いします」


 マナセが画面をのぞく。


「うん。顔が先に見える。これで次へ渡せるよ」


 キズナも仕上がりを確認した。


「そこまでで合っています。続けてください」


 サチハが小さく息を吐き、再びペンを動かす。


 アツのファイルはランへ、サチハの仕上げはマナセへ渡った。

 自分の画面から消えた仕事が、隣の画面で続いている。アツはそれを面白いなと思った。


*


 昼近く、キズナがペンを置いた。


「一度、休憩にします」


 ケンが机の端へ資料を寄せ、ランが空いた場所を拭く。マナセも慣れた手つきで椅子を引いた。

 アツが財布を探していると、ケンが止める。


「今日は買いに行かなくていい。運がいいな、週一回の当たり日だ」


「当たり日?」


「先生の弁当の日」


「勝手に当たり日にしないでください」


「外れたことないだろ」


「そういう話ではありません」


 抗議しながら、キズナが大きな風呂敷を広げた。


 最初に出てきたのは、見慣れない具の入った太巻きと、厚めのだし巻き卵。その隣へ唐揚げが並び、ちくわにチーズを詰めて大葉で巻いた揚げ物まで現れる。ゴボウサラダと野菜、果物の容器も続いた。


「これ、戸隠さんが全部作ったんですか」


 口にしてから、見た目で料理をしなさそうだと決めつけたように聞こえた気がした。


「料理は好きなので。唐揚げだけは、母に揚げてもらいました」


「今日、いつもより多くない?」


 マナセが容器を見回す。


「材料が余っていただけです」


「はいはい」


「食べないなら下げます」


「食べます」


 返事だけは全員速かった。

 キズナは皆に料理を勧めて回るでもなく、皿へ行き渡ったのを確認してから箸を取った。

 マナセは真っ先に卵焼きを確保する。


「これは油断すると消えるから」


 サチハも一つ口へ運び、途端に表情を緩めた。二つ目へ手を伸ばしかけて止まる。


「まだあります」


 キズナに言われ、安心したようにもう一つ取った。

 ランは新人二人へ皿を回しながら、アツを見る。


「午前の道具、昨日よりずっと馴染んでたよ」


「半分くらいランさんの線ですけど」


「一人で全部やらないためのチームだから」


 話しているうちに、アツも自然に隣へ皿を渡していた。

 片づけが終わると、食卓はまた作業机へ戻る。

 同じ場所なのに、さっきまでより自分の席に近く見えた。


*



 午後、アツは修正した工具をキズナの席へ持っていった。


「確認をお願いします」


「少し待ってください」


 キズナの画面には、長柄の武器を構えた人物が映っていた。

 何本もの薄い線が肩や腕の周りに重なっている。描いては消し、戻してはまた引いた跡らしい。


「まだ止める?」


 マナセが尋ねる。


「もう少しだけ」


「その『少し』、午前にも聞いた気がする」


 キズナは自分の画面をいったん閉じ、アツの工具を開く。

 握る位置と重心は前日のまま残し、邪魔だった飾りだけを柄の下へ移してある。


「この先端の向きは、変えなかったんですね」


「はい。そこを直すと、振り始める前から前へ出すぎる気がしたので」


「前へ出すぎる?」


「構えた時は、先の方がちょっとだけ遅れてるはずです。手と一緒には動かないというか」


 説明しながら、アツは自分の手を軽く返した。

 手元が動いてから、画面上の工具の先端を指で追う。


「手元が先に動いて、先端が一拍遅れてついてくる感じです」


 キズナは返事をせず、アツの工具をしばらく見ていた。

 やがて、自分が作業していた一コマを開き直す。


 構えた人物。その次には、武器を振り抜いた人物。

 その間にある一コマを、キズナは開いた。キズナの視線が武器の先から腕へ、腕から肩へ移った。


「先に進みすぎ……か」


「オレのですか」


「こっちです」


 キズナが自分の原稿を指す。

 人物の足元は構えたままなのに、肩から先だけが次のコマへ進んでいた。キズナは重ねた肩の線を消し、武器の先を一拍だけ後ろへ戻した。

 

「今は、どう見えますか」


 突然尋ねられ、アツは画面を見直した。


「これから振る感じです」


「さっきは?」


「足はまだなのに、上だけ結果を知ってるみたいでした」


 キズナが小さくうなずく。


「肩から先が、次のコマへ入り込んでいたんですね」


 修正されたコマには、振り出す直前の力が残り、止まっているのに、どちらへ武器が走るのか分かった。


「助かりました」


「え?」


「加藤さんの修正を見て、気づきました」


「オレ、自分の工具を直してただけですよ」


「それで十分です」


 キズナは修正したコマをランへ送り、アツの工具も確認済みのフォルダへ移した。

 別々だった二つの画面が、また同じ原稿の中へ戻っていく。


*


 夕方、ばらばらだった作業が一枚の原稿へ戻ってきた。

 アツが直した長柄の工具。ランが整えた装飾。サチハのベタとトーン。マナセが調整した明暗。その中央には、キズナが描き直した人物が立っている。

 ケンが最終データを開き、レイヤーとファイル名を確認した。


「とりあえず、今日の分はここまで」


 アツは完成画面へ顔を寄せた。

 自分が直した場所くらい、すぐ分かると思っていた。

 だが探してみると、工具は周囲の衣装や背景へ馴染んでいる。握る位置も重心も残っているのに、昨日のようには浮いていない。


「見つからない?」


 ランに聞かれ、アツは工具を指した。


「いや、ここです。たぶん」


「たぶんになったなら成功」


 自分の絵が消されたわけではない。

 他の線とつながって、漫画の一部になったのだ。

 隣では、サチハが自分の仕上げを確認していた。


「昨日より、少し先までできました」


「明日はもう少しいけそうだね」


 マナセが言うと、サチハは小さくうなずいた。

 部屋の端では、昨日使われた太いペンと並んでスマートグラスが充電されている。

 ケンがそれを見て呟く。


「今日は静かなままで頼むぞ」


 結局、その後は何もおきなかった。

 片づけを始めたところで、ケンが二人へ声をかける。


「明日は昨日の件からな。サキが来るから、見えたことと感じたことを思い出しといて」


「テストですか」


「答え合わせに近いかな。正解が一個とは限らないけど」


 アツは前日の黒い輪郭を思い返したが、すぐ完成原稿へ目を戻した。


 三日間の試用は、あと一日。


 終われば、ここを離れる可能性もある。今朝までは、それも仕方がないと思っていた。

 今は、自分の線が他の線とつながり、一枚の漫画になっている。


 白い線の説明は、まだ分からない。


 それでも、完成原稿から目を離すのが、昨日より少し惜しかった。



いつもお読みいただき、ありがとうございます。


新編『描線眼鏡』、お盆ウィーク連続投稿5日目、第5話「一枚の原稿」を公開しました。


前話では、A stationでの初日と、日常のすぐ隣におきた小さな異変。

今回は漫画スタジオとしての日常が描かれ、スタジオメンバーも揃ってきます。


第1話「羽田の白い線」から第5話まで公開中。

新編の入口となる流れがかなり見えてきたところですので、今からでも第1話から追っていただければ嬉しいです。

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