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第16話 拍手の理由

漫画家志望の青年・加藤アツは、羽田で起きた事故の中、誰の目にも映らない白い線と、眼鏡の少女を目撃する。


少女の名は、戸隠キズナ。

十代の新人にして、自ら漫画スタジオ「A station」を構える天才少女漫画家。


原稿を描き、締切を追い、仲間と働く。

そして眼鏡越しに現れる“魔”へ線を引く。


漫画と科学、想像力と観測。

異なる“見え方”を持つ仲間たちが、それぞれの線を重ねながら、世界の見えない側へ踏み込んでいくSF群像劇。

 スマートフォンが震えた。


 キズナは、ネームの上で止めていたペンを置く。


 ――フクハラさん?


 画面を見る。


 違った。


【日本科学漫画協会】


「……そっちですか」


 小さく呟いてから通知を開く。


 正式連載の返事は、まだ来ていない。


 短期連載の最終回が載って数日。アンケートの集計も、編集会議もこれからだと分かっている。それでも通知が来るたび、先に名前を探してしまう。


 届いていたのは、協会本部で行われる年度活動報告・功労表彰会への出席要請だった。


 若手科学漫画家としての活動実績。

 育成・支援事業への協力。

 科学文化普及への貢献。


 文字だけなら、ご立派だ。


 キズナは少し考えてから、記載された番号へ電話をかける。


「戸隠です。ご案内、拝見しました」


『戸隠先生。ご出席ということでよろしいですか』


「……それはいいんですけど」


 一拍置く。


「羽田の件、ですよね」


 今度は向こうに間があった。


『……表彰理由は、通知書に記載の通りです』


「そうですか」


 否定はされていない。


 それで十分だった。


 電話を切ると、向かいに居たマナセが顔を上げる。


「何かあった?」


「協会の式典です。ちょっと表彰されてきます」


「またですか」


「また、って何ですか」


 ランが笑い、サキは日程を確認し始める。


 いつもの机にいつもの音。


 キズナはスマートフォンを伏せた。


 漫画の返事より先に、こっちが来た。


 それがもどかしく、引っかかっていた。


*


 赤羽橋の協会本部には、何度も来ている。


 それでも今日は少し勝手が違った。


 普段なら通り過ぎる一階横のホールに椅子が並び、行政関係者や研究者、出版社の人間まで座っている。壁際には報道用のカメラもあった。


 今日は、協会が一年の活動を報告し、支援や連携に関わった人間を表彰する日だった。


 キズナは受付でもらった名札を胸につける。


【漫画家 戸隠キズナ】


 肩書きとしては合っている。今日は、そっちの顔で来たことにもなっている。


 壇上へ上がった笹崎会長は、いつも通り穏やかな声で話し始めた。


「科学を伝える方法は、一つではありません。研究、教育、報道。そして漫画もまた、その一つです」


 出版社への謝意。若手作家への支援。研究機関や行政との連携。防災教育への活用。


「本日は、その一年の成果をご報告するとともに、支えてくださった皆さまへ感謝をお伝えしたいと思います」


 聞くほどに普通の文化団体の挨拶だった。


 何ひとつ間違いはない。


 だから余計に、キズナは背筋を伸ばす。


 やがて名前を呼ばれた。


「科学漫画大賞新人賞受賞後も精力的な活動を続け、若手育成支援事業における成果の一つとして――」


 成果。


 その一語だけが、少し耳に残った。


 壇上へ上がる。


 拍手が来た。


 キズナは頭を下げる。


 漫画なら、まだ正式連載は決まっていない。


 羽田なら、助けられなかった人がいる。


 では、この拍手は何に向けられているのだろう。


 考えている間にも、マイクが渡された。


「ありがとうございます」


 そこで一度、会場を見た。


「ワタシ一人で描いたものでもないし、一人でここまで来たわけでもありません」


 少しだけ息を置く。


「なので、これをゴールにはしません。次も、今より面白い漫画を描きます」


 会場からまた拍手が起きる。


 キズナは今度こそ少し笑って頭を下げた。


 それも、嘘ではない。


 壇上を降りると、笹崎が小さく会釈した。


 キズナも返す。


 胸の名札には、まだ、


【漫画家 戸隠キズナ】


 とだけ書かれていた。


*


 式典が終わると、キズナは名札を外した。


 ホールを出て、関係者用の通路を一本曲がる。さっきまでの拍手はもう聞こえない。


「戸隠さん、ちょうどよかった」


 呼び止めたのは、いつも濃いめのサングラスをしている見知った技術担当だった。端末を手にしながら声をかける。


「定期確認、今日やっていきます?」


「お願いします」


 キズナは眼鏡を外して渡す。


 担当者はフレームを固定し、レンズの表面へ光を当てた。


「……少し出てますね」


「何が?」


「表層。右側、ほんの少し浮いてます。補正もずれてる」


 キズナが覗き込む。


 見た目には、いつもの眼鏡と変わったようにみられない。


「レンズじゃなくて?」


「レンズは大丈夫です。上の層ですね」


「同じもの、すぐには作れないんですよね?」


 担当者が苦笑した。


「戸隠さんのは無理ですよ。レンズから合わせ直しです」


「ですよね」


 キズナも、それ以上は聞かなかった。


 誰か一人の眼に合わせたものは、壊れたからといって棚から同じものを持ってくれば済むわけではない。


「鯖江に回すほどですか?」


「そこまでは。今なら調整で済みます」


 眼鏡が戻ってくる。


「まだ使えますよ」


 キズナは掛け直した。


 視界がいつもの位置へ戻る。


「ありがとうございます」


 担当者は何も言わず、点検記録に何かを書き足した。


 キズナは眼鏡の位置を指で直す。


 ほんの少しだけ、いつもより慎重に。


*


 点検を終えて廊下へ出ると、星野が壁際のベンチに座っていた。


「眼鏡の調整かい?」


「はい。まだ使えるそうです」


「それは何より。今どき、その作りの眼鏡を使っているのは君くらいだ」


 キズナは隣へ座った。


 さっきまで手にしていた表彰状は、細長いケースに収まっている。


 しばらく眺めてから、口を開いた。


「……ワタシ、何を表彰されたんでしょうね」


 星野はすぐには答えなかった。


「何を、だと思うかい?」


「それ、師匠《マスター》が聞き返すやつですか」


「元だよ」


「そこ訂正します?」


 少しだけ笑って、それからキズナは前を向いた。


「漫画なら、まだ結果出てないし」


「うん」


「羽田なら……」


 そこで言葉が止まった。


 星野は続きを促さなかった。


「難しい顔をしているよ」


 別の声がした。


 日月《たちもり》武蔵が、書類を片手に立っていた。


「表彰された日にする顔じゃないな、戸隠君」


「日月先生」


「受賞おめでとう」


「……ありがとうございます」


 キズナが頭を下げると、日月も軽く会釈した。


 それから表彰状のケースへ目を落とす。


「会長も話していただろう。若手を育てる。科学を社会へ伝える。研究や教育につなげる。それも協会の仕事だ」


「それでワタシが成果になるんですか」


 日月は平然としていた。


「そうだ。そして、その仕事を続けるには、やったと言うだけでは足りない。何が育ち、何につながったのかを見せる必要がある」


 星野が横目を向ける。


「つまり、その見本として今日の表彰があると?」


「成功例といってよいだろう」


 日月は言い直しもしなかった。


「戸隠君が壇上に立つ。若手支援の結果が見える。行政にも説明がつく。予算も取りやすくなる。その予算で、次の若手を支えられる」


「本人まで成果物みたいに扱う必要はないでしょう」


「扱っていないよ」


 日月は即答した。


「人として評価することと、制度として成果を記録することは両立する」


 正しい。


 少なくとも、間違いとは言い切れないだろう。


 装備には金がかかる。人を育てるにも場所がいる。A stationだって、善意だけでは動いているわけではない。


「君を祝いたい人だけで、あの場ができているわけではない」


 日月は淡々と続けた。


「ですが、君が評価されたことを協会が次へつなげる。それ自体が協会の仕事でもある」


 キズナは表彰状のケースを指でなぞった。


「じゃあ」


 声が少し低くなる。


「羽田で、助けられなかった人もいます」


 日月の目が止まった。


「それも、今日の成果に入るんですか」


 ほんの一拍だった。


 けれど、普段なら迷わない人が黙った。


 星野だけが、日月の横顔を見る。


 日月はすぐに表情を戻した。


「……救えなかった人間がいる。それと、救えた結果を記録することは別だ」


 声は平らだった。


「だからこそ、記録は残していく」


 キズナは答えなかった。


 星野も何も言わない。


 三人の間を、廊下の空調音だけが通り抜けた。


*


 赤羽橋を出るころには、外はもう薄暗くなっていた。


 キズナは表彰状の入ったケースを抱えたまま、電車に乗った。


 窓に映る自分の顔は、いつもと同じ眼鏡を掛けている。


 まだ使える。


 その言葉だけが、妙に耳に残っていた。


 A stationへ戻ると、ドアの向こうからキーボードの音がしていた。


 開ける。


 この前片付けたはずの机には、もう資料が少し積まれている。

 ランは画材を広げ、マナセは何かの本を読み、サキは端末に向かっていた。ケンは紙袋をまとめている。


 アツが顔を上げた。


「遅かったですね」


「ただいま」


 それだけ言うと、少し肩の力が抜けた。


「お、もらってきたんだ」


 ランが表彰状のケースを見る。


「一応」


「おめでと」


「ありがとう」


 会話はそこで終わった。


 誰も立ち上がらない。

 拍手もしない。


 サキは画面へ戻り、マナセは本へ戻り、ケンはまた袋を畳み始める。


 キズナも自分の席へ座った。


 表彰状のケースを机の端へ置く。


 それから眼鏡を外し、いつもの専用ケースへ収めた。


 出かける前と変わらない、紙をめくる音とペン先の音が続いている。


 キズナは息を吐いて、机の上のネームへ手を伸ばした。


 そのとき、スマートフォンが震えた。


 反射的に画面を見る。


 表示された名前は、


《フクハラ》


 指が止まる。


 今度こそ。


 キズナは、着信を見つめた。




いつも新編『描線眼鏡』をお読みいただき、ありがとうございます。


現在、Xへのログインができない状態のため、通常のX告知はできていませんが、作品本編の更新は予定通り行っています。


前回は短期連載の最終回が掲載され、A stationの面々がそれぞれの形で反応を受け止める回になりました。

今回は、その先にある評価と場の空気を描いています。


漫画家として評価されること。

羽田での出来事に関わった者として見られること。

表に見えている拍手と、裏側にある意味が、必ずしも同じではないこと。


キズナにとって、その拍手は何に向けられているのか。

アツたちにとって、その場はどう見えるのか。


新編『描線眼鏡』は、ここから少しずつ、A stationの外側にある協会、出版、社会的な評価へと視界を広げていきます。


また、先日より本作はサブタイトル、ジャンル、コピーを見直しました。


――漫画スタジオの仲間たちは、見えない世界に線を引く――


第1話から第16話まで公開中です。

初めての方は第1話「羽田の白い線」から、追いかけてくださっている方は今回の第16話「拍手の理由」から、引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。


今後も木曜・日曜更新を基本に、新編『描線眼鏡』を進めていきます。


引き続き、よろしくお願いいたします。


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