第14話 向こう側の机
漫画家志望の青年・加藤アツは、羽田で起きた事故の中、誰の目にも映らない白い線と、眼鏡の少女を目撃する。その出会いをきっかけに、アツは現実の裏側にある“見えない世界”へ足を踏み入れていく。
旧編三部作として完結した『描線眼鏡』の世界観を引き継ぎつつ、物語の入口から新たに描き直す新編です。
短期連載の最終回を入稿して数日後、A stationに珍しい客が来た。
「週刊文潮の野田です。今日はよろしく」
髭面の男が名刺を差し出す。
アツは机越しにその姿を見ながら、少しだけ身構えた。
やはり、忘れようも無い。羽田で声をかけられたあの男だった。向こうが覚えているかは定かでないが、記者という肩書きも、どうにも落ち着かない。
「戸隠キズナ先生。十六歳で新人賞、それで短期とはいえ『週刊コスモス』での連載とは。なかなか派手なデビューですよねえ」
「ありがとうございます」
キズナはいつもの眼鏡で、いつものように答えた。
机には原稿。壁際には資料の棚。サチハはトーンを整理し、ケンはパソコンに向かっている。
野田は作り笑いを浮かべながら手帳を開く。
「高校は通信制だとか?」
「はい」
「連載しながら?」
「今のところは」
「若いってすごいねえ。俺なんか締切が一個あるだけで学校休みたいよ」
「学校行ってるんですか?」
聞き耳を立てていたアツが、思わず口を挟んでしまった。
「失礼だな君」
一度振り向いた野田は、それ以上アツに興味を示さず、キズナへ視線を戻した。
写真で見た時より、実際に動いている方が近い。
あの日、羽田で。
人の流れから外れ、滑走路の方を見ていた少女。
「そういえば戸隠先生」
野田は何でもないように尋ねた。
「羽田って、よく使います?」
「羽田?」
キズナの手が一瞬だけ止まった。
「取材や旅行なら、たまに」
「へえ」
それだけだった。
アツが再び顔を上げる。
ケンも一度だけ野田を見た。
野田は何も気づかないふりをして、手帳へ線を一本引いた。
答えは出ていない。
でも、《羽田――確認》の文字を消す理由も、まだなかった。
*
「戸隠先生、独立する前は星野トシロウ先生のところに?」
野田が手帳をめくった。
「はい。星野スタジオにいました」
「大先生のところから十六歳で独立。思い切ったねえ」
「新人賞を取ったので、ちょうどいいかなって」
「ちょうどいいで、その年でスタジオ作ります?」
「作っちゃったので」
「答えになってないですよ」
野田が笑いながら、またペンを走らせる。
星野トシロウ。著名な漫画家。日本科学漫画協会の理事。そこから独立した若い漫画家が、集談館の科学漫画大賞新人賞を受賞した。
「新人賞の副賞って、『週刊コスモス』の短期連載の他にも、賞金もずいぶん良かったとか」
キズナが金額を口にすると、野田の眉が上がった。
「……新人賞で?」
「そうです」
「俺も漫画描こうかな」
「たぶん賞金目当てだと無理です」
「手厳しいねえ」
さらに受賞者には、協会から継続的な創作支援が付くという。
制作環境の相談。資料や研究者への橋渡し。必要に応じた活動支援。
野田はそこで一度、ペンを止めた。
「連載権に賞金、その後の支援まで?」
「新人を育てるためだって聞いてます」
「いや、立派な話なんだけどね」
立派すぎる。
野田は笑顔のまま、手帳の端に小さな丸を付けた。
「科学漫画協会って、そこまで新人の面倒を見る団体なんですか?」
「ワタシが知ってるのは、受賞してから受けた支援くらいです」
キズナは素直に首を傾げる。
「協会そのものなら、協会に聞いた方がいいと思います」
「ごもっとも」
影響を受けた漫画や、プライベートの過ごし方など、ありきたりな質問の後に、取材を終えた野田はメモを閉じる。
外へ出る前に一度だけ振り返った。
机とモニターと原稿用紙。
普通の漫画スタジオにしか見えない。
だから余計に気になった。
手帳の《戸隠キズナ》の下へ、二つ書き足す。
《星野トシロウ》 《日本科学漫画協会》
*
翌日、野田の姿は国立国会図書館の閲覧席にあった。
ちょいと可愛い高校生漫画家の取材だけのはずだった。
最初に出てきたのは星野トシロウだ。
若くして成功した漫画家としての受賞歴。連載歴。インタビュー。スタジオの沿革。それに、日本科学漫画協会理事という肩書き。
「まあ、ここまでは普通か」
野田は小さく呟き、次の資料を開いた。
協会の事業報告。役員名簿。公開されている収支資料。関連事業。過去の人事。
漫画家。編集者。研究者。
そこまでは分かる。
ところが、ページを進めると少しずつ色が変わった。
行政。
防災。
インフラ。
さらに、防衛関係の研究機関にいた人物までいる。
野田の指が止まった。
「……漫画の団体に、なんでこんな天下り?」
別の年度を見る。
顔ぶれは変わっている。
だが、似た経歴の人間がまたいる。
その前の年度にも。
野田は資料を横に並べた。
会社や組織は、案外こういうところで嘘をつけない。
立派な理念より、人事と金の流れの方が、その組織が誰と話しているのかを教えてくれる。
文化振興。
科学教育。
若手育成。
どれも書いてあること自体はおかしくない。
ただ、それだけの団体なら必要のない顔が、何年も途切れず混じっている。
「……思ってたより、ずいぶんデカいな」
野田は取材ノートを開いた。
《戸隠キズナ》
その下へ線を引く。
《星野トシロウ》
さらにもう一本。
《日本科学漫画協会》
少し考えて、横へ書き足した。
《行政》 《防災》 《防衛》
最後に一つだけ、大きく囲む。
《何をしている?》
答えはまだない。
だが、調べる相手は、もう十六歳の漫画家一人ではなくなっていた。
*
日本科学漫画協会本部ビルは東京タワーのお膝元、赤羽橋にある。
窓の向こうには、今ではテレビ電波を送り出さなくなった紅白の鉄塔が見えていた。
一見ただのオフィスビルに見えるその一室で、星野トシロウは壁一面のモニターを見上げていた。
【LOG】
《A station》
《仮ライセンス運用記録》
《USER:KATO ATSU》
《承認者:星野トシロウ》
《現場監督:戸隠キズナ》
《監督下描線武器使用》
《理事会審査:継続》
「いやあ、星野くん。相変わらず仕事が早いねえ」
背後から、妙に明るい声がした。
派手な柄のジャケット。年齢の割に軽い足取り。日月武蔵は星野の隣まで来ると、眼鏡越しにログを眺めた。
大御所漫画家であり、星野と同じ協会理事の一人だ。
「もう仮ライセンスまで出しちゃったんだ」
「査定は済ませています」
「そういう話じゃないんだよ」
日月は笑ったままだった。
「新人の戸隠くん。ちょいと例外が多くないかい? 弟子だからって甘くしてない?」
「師弟かどうかは関係ありません。必要な対応です」
「羽田じゃ一般客のいる場での作法で、守秘規定で問題になった。でも、被害を減らしたから不問」
日月は指を一本立てる。
「それから緊急描線。一時登録。仮ライセンス」
一本ずつ、指が増えた。
「便利な例外が、ずいぶん重なったねえ」
「必要だから制度にあるんでしょう」
「必要なら、何でも認める?」
星野が日月を見る。
「認めるべき範囲だから、僕が承認しました」
「ああ、そこ」
日月が笑みを深くした。
「その“範囲”を決めるのは、現場じゃないよ」
室内の空気が、一段だけ冷えた。
星野はログへ視線を戻す。
「現場を見ないで決めるものでもありません」
「まだ若い子一人の話ならね」
日月が《A station》の文字を指で示した。
「あの子は優秀だと思うよ。羽田の案件にしてもね。だから困るんだ」
「羽田では、人命を優先した結果です」
「そう。いつも結果はいいんだよ」
「どういう意味です?」
「結果を出すたびに、例外が正しかったことになっていく」
「結果を出さなければ、もっと問題にするでしょう」
「それはそうだ」
日月はあっさり答えた。
「管理って、そういう仕事だから」
星野の眉がわずかに動く。
「現場の師匠は、管理されるためにいるわけじゃありません」
「でも協会の装備を使う。協会の資格で動く。なら、協会の線の中だ」
軽い口調のまま、声だけが低くなった。
「そこを忘れないでくれよ。星野くん」
モニターには、まだ《A station》の文字が残っていた。
星野は返事をしなかった。
*
星野が何も返さないまま、部屋のドアが開いた。
「失礼します」
協会職員がタブレットを手に入ってくる。
「戸隠キズナ師匠への外部取材について、一件報告です」
日月が振り返った。
「外部?」
「『週刊文潮』の契約記者、野田市雄。A stationで戸隠先生への取材を行っています」
「へえ」
さっきまでと同じ、軽い声だった。
「戸隠くんは話題が尽きないねえ。それで、そいつは何を知ってる?」
「現時点では、公開情報の範囲と思われます」
星野が答える。
日月は眼鏡の位置を直した。
「“現時点では”、ねえ」
「通常の人物取材です」
「通常ならいいんだけどね」
日月はタブレットを一瞥し、すぐ興味を失ったように背を向けた。
「戸隠には余計なことを喋らせないでよ」
「キズナは守秘義務を理解しています」
「そういうところだよ、星野くん」
日月は笑う。
「人を信用するのと、管理するのは別の話だ」
そのまま片手を上げ、部屋を出ていった。
ドアが閉まる。
星野はしばらく何も言わなかった。
壁のモニターには、まだ《A station》のログが残っている。
昔の日月なら、最初に見るのは「範囲」ではなく、現場と作品だったと思う。
いつから変わったのか。
星野は考えかけて、やめた。
*
同じ頃、野田は机いっぱいに広げた資料の前にいた。
取材ノートを開く。
《羽田――確認》
その下に、
《戸隠キズナ》 《星野トシロウ》 《日本科学漫画協会》
さらに少し迷ってから、新しい丸を描く。
《行政》 《防災》 《防衛》
線が増えた。
まだ、どこにも答えはない。
野田は最後に一行だけ書き足した。
《科学漫画協会――調べる》
ペン先が止まる。
自分の名前が、もう向こう側の机にも載っているとは知らずに。
前回までの戦闘から少し視点を移して、今回は記者・野田の取材から始まります。
キズナへの問いかけをきっかけに、その視線は星野へ、さらに日本科学漫画協会へ。
これまで『描線眼鏡』の世界では、ライセンスや漫画スタジオ、描線眼鏡・描線ペンの管理などを通して「協会」の断片を描いてきましたが、現場に立つ側と組織を管理する側との考え方の違いなど、巨大な組織の内側にも少しずつ踏み込んでいきます。
なお、来週の新編更新はお休みします。
私事による制作環境の変化に加え、ここまで公開してきた新編について、タイトル・紹介文・広報導線なども含めて一度整理する時間を取りたいと考えています。
連載を止めるというより、今後をより良い形で続けるための調整期間です。
ここまで読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。 少し間をいただきますが、その先も『描線眼鏡』をよろしくお願いします。




