第12話 追いつめる線
漫画家志望の青年・加藤アツは、羽田で起きた事故の中、誰の目にも映らない白い線と、眼鏡の少女を目撃する。その出会いをきっかけに、アツは現実の裏側にある“見えない世界”へ足を踏み入れていく。
旧編三部作として完結した『描線眼鏡』の世界観を引き継ぎつつ、物語の入口から新たに描き直す新編です。
「各員、展開」
キズナの声に呼応するように、白い線が雨の中へ走った。
最初に形を取ったのは、マナセの斧だった。太い輪郭が空中で折れ、重なる。幅広い刃と長い柄が閉じると、白い線画なのに妙な重さまで伝わってくる。
ランの前では細い曲線が弧を描いた。もう一本の線が両端を結び、ぴん、と張る。
「弓まで線なんだ」
「そこ気にするとこ?」
ランが笑い、弦へ指をかける。
アツも習ったとおりに、武器のデータを転送する。
描線ペンが震えると、短い白線が柄になり、左右へ真っ直ぐ刃が伸びた。
両刃の長剣。欠けも揺らぎもない。整っていて借り物のようだ。
「……ちゃんとしてる」
「それはストック武器。個人に最適化されませんが、汎用性はあります」
サキの声がリンク越しに返る。
最後にキズナがペンを振った。
一本の細い線が、雨粒を裂くように前へ伸びる。 細身の柄。針のような刀身。レイピアだった。
「それで行くんですか?」
「十分です」
黒い獣が低く身を沈める。
《TARGET:捕捉》
「ラン、牽制。マナセ、左から。加藤さんは右を抜かせないで」
「了解!」
白い矢が雨を切った。
同時にマナセが踏み込み、アツも長剣を構える。誰がどこにいる。次に誰が動く。それが視界の上で重なっていた。
矢が届く。
その直前だった。
獣の背を白紫の光が走る。
「え――」
輪郭が崩れた。
ランの矢が空を抜ける。
十数メートル先の鉄骨が火花を散らし、その下へ黒い獣が滑り出した。
《POSITION:ERROR》
「座標、ずれました!」
マナセの斧も遅れて空を切る。
アツが反射的に前へ出かける。
「追わない」
キズナの声が止めた。
「位置を見て」
長剣を握ったまま、アツは足を止めた。
黒い獣は、もう次の場所へ動こうとしていた。
*
黒い獣が鉄骨の陰へ沈む。
消えたわけではない。
眼鏡の中には反応が残っている。それなのに、輪郭とマーカーが同じ場所にいなかった。
《POSITION:ERROR》
「右、十五メートル」
サキが修正する。
視線を向けた時には、もう白紫の光が別の鉄柵へ走っていた。
「また動いた」
「撃たないで」
キズナがランを止める。
「当たる気しないんだけど」
「だからです」
魔は水溜まりの縁へ輪郭を移し、次の瞬間には濡れた支柱のそばへ現れた。
マナセが斧を手元へ戻す。
「走るっていうより、飛び移ってる?」
「でも途中はあります」
アツは魔ではなく、その手前を見る。
水溜まりから鉄柵へ、細い光が走った。黒い輪郭が現れたのは、その後だ。
「……先に光ってる」
サキが端末を操作する。
「反応位置の変化より、放電の方が早いです」
「じゃあ、電気が伝わりそうな所を追えばいい?」
「まだ決めつけないでください」
すぐ釘を刺された。
「はい」
アツは長剣を下げた。
鉄柵から水溜まり。濡れた支柱にまた鉄骨。
魔だけを目で追うのをやめると、少しだけ順番が見えた。
白紫の光が走る。
そこへ黒いものが寄る。
輪郭が閉じる。
そして、また次の場所へ。
「サチハ、何か見える?」
キズナが後ろへ声を飛ばす。
「いえ……よく分かりませんが、重いのが動いてる感じはします」
「じゃあ、方向だけ分かったら教えてください」
「はい」
ランが弓を構えたまま、少し困った顔をした。
「撃たない戦闘って暇だね」
「当てられないよりマシでしょ」
マナセが返す。
「それ言われると何も言えないなあ」
また雷光。
今度は誰も動かなかった。
全員の視線だけが、魔の行き先を追う。
アツはHUDのずれたマーカーから目を外した。
どこにいるかを追っても遅い。
なら――。
「次に電気が伝わりそうな場所を見ればいい?」
キズナがわずかにうなずいた。
「そうです」
雨の向こうで、ケンのドローンが高度を上げていく。
「じゃあ、上から全部見てみるか」
ケンの声が飛んだ。
*
ドローンの映像が、System Linkの端に小さく開いた。
上から見ると、地上で追っていた景色はずいぶん単純だった。
倉庫。鉄骨。フェンス。
黒く濡れた舗装のあちこちに、水溜まりが光っている。
「現在地ここ。で、右奥――」
ケンが画面を拡大した。
「こっち系統はまだ生きてる」
古びた電気設備の向こうに、別の区画が見えた。
変圧器に配電盤と新しいケーブル。
「そっちは現役?」
「たぶんな」
答えを待つように、右奥の照明が一度だけ暗くなった。
「たぶん取れました」
サキが淡々と言う。
「嬉しくない答え!」
ランの声が飛ぶ。
魔がまた鉄骨へ移る。
その先で白紫の光が右へ枝分かれした。
「右、つながってる」
マナセが周囲を見回す。
「雨水も鉄も。あっちの方が走りやすい」
「左は?」
「途中で切れてる。舗装も乾いてるとこがある」
サキがドローン映像へ線を重ねた。
ずれていたマーカーの下に、フェンスと水溜まりの位置が固定されていく。
「現実側を基準にします。反応そのものは追わない」
アツの視界で、ばらばらだったものが少しずつ同じ地図になった。
右へ行けば、現役設備。
左へ行けば、使われていない古いヤード。
「サチハ?」
キズナが呼ぶ。
少し間があった。
「……右です」
「見えてます?」
「見えてません。でも、右が重いです」
その直後だった。
鉄柵の根元で火花が散る。
魔の輪郭が、右へ半歩ずれた。
「合ってる」
アツが言う。
次の光も右へ走った。
マナセが斧を持ち直す。
「今度はオレも右だと思う」
ケンの映像。サキの座標。マナセの読み。そしてサチハの感覚。
違うものが、同じ方向を指していた。
キズナがレイピアを上げる。
「右へ逃がしたら、ずっと先まで繋がってしまう」
細い切っ先が、左の旧ヤードを示した。
「左へ追い込みます」
アツは長剣を握り直した。
*
黒い獣が左の旧ヤードへ滑り込む。
キズナが一歩前へ出た。
レイピアの輪郭がほどけ、ペンへ戻る。
雨の中へ短い白線が二本走る。
右へ戻ろうとした黒い輪郭が、その手前でぶれた。
「止まった?」
「まだです」
サキが即答する。
「十分です」
キズナが言う。
「ラン、奥」
「はいよ」
白い矢が旧ヤードの外れへ刺さる。
魔がそちらへ向きかけ、また進路を変えた。
「マナセ、手前を塞いで」
「了解!」
斧が鉄骨の脇へ振り下ろされる。
黒い獣が身をひねった。
右は白線。
奥はラン。
左からマナセ。
残った一本へ、白紫の光が走る。
「加藤さん」
キズナの声が飛んだ。
「本体じゃない。その先」
アツにも見えていた。
濡れたフェンスから水溜まりへ伸びる、細い黒い筋。
すぐ横には魔の胴体がある。
長剣なら届く。
一瞬だけ、そちらへ目が行った。
違う。
アツは踏み込み、剣を横へ振った。
白い両刃が黒い筋を断つ。
手応えは軽かった。
斬ったというより、線を一本消しただけだった。
それでも魔の輪郭が大きく揺れる。
《POSITION:LOCK》
「固定しました!」
サキの声が少しだけ高かった。
逃げ道を失った輪郭が一か所へ重なる。その中央だけ、黒い線がわずかに閉じきらない。
「そこです!」
キズナが走った。
アツは長剣を構えたまま、前には出なかった。
ペンから再び細い白線が伸び、レイピアの形を閉じる。
獣が前脚を上げる。
その隙間へ、白い切っ先が真っ直ぐ入った。
一点。
黒い身体に白い亀裂が走る。
雷光が弾け――消えた。
獣の輪郭が二重にずれ、ほどけていく。太い線が細くなり、細い線が切れ、雨の中へ溶けていった。
しばらく誰も動かなかった。
聞こえるのは、鉄骨を打つ雨だけだった。
「……終わり?」
アツが聞く。
サキが画面を見る。
「反応、消失しました」
ランが弓を消して、ペンを下ろした。
「今度は当たった」
「そこ?」
マナセが笑う。
アツも息を吐いて、長剣を下げた。
自分が倒したわけではない。
けれども、さっき断った一本がなければ、キズナの切っ先も届かなかったことはわかった。
こういう戦いもあるらしい。
*
雨は、まだ降っていた。
魔がいた場所には何も残っていない。水溜まりに落ちる雨粒と、濡れた鉄骨だけが、さっきまでと同じ音を立てていた。
「設備、大丈夫そうだ」
ドローンを戻しながら、ケンが言う。
「じゃあ撤収します」
キズナのレイピアが白い線へほどける。
アツも長剣を下ろすと、白い輪郭がほどけ、描線ペンへ戻っていく。
*
『週刊文潮』編集部。
野田は、次の取材相手の資料を画面に並べていた。
『漫画家・戸隠キズナ』
「十六歳で漫画家ねえ……」
受賞時の写真。眼鏡をかけた、小柄な少女。
そこで指が止まった。
「……ん?」
妙な既視感が引っかかった。
眼鏡の白い反射を見た瞬間、赤い光と煙が頭に浮かんだ。野田は少し考えてから、取材フォルダを開いた。
羽田。
事故当日に撮った元データを呼び出し、映像を送っていく。
赤い光。煙。走る人影。
画面の端に白い反射が一度だけ走る。
人なのか、ノイズなのかも分からない。
ただ、その直前。そこにいた誰かが、炎上する機体とは別の方向を向いていたようにも見える。
野田は映像を止め、隣にキズナの写真を置いた。
「……まさかな」
断言するには荒すぎる。
だからこそ、会って確かめればいい。
野田は取材メモの一番上に、一行だけ書き足した。
《羽田――確認》
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
新編『描線眼鏡』、第12話「追いつめる線」を公開しました。
前回それぞれ違う見え方を重ねながら、まだ見えない異常を追い、魔を追ったスタジオA stationのメンバー達。
今回は現出した嵐魔との戦闘に入り、濡れた鉄骨やフェンス、水溜まりを伝う魔の逃げ道を少しずつ絞っていきます。
追跡と戦闘《サーチ&デストロイ》を、それぞれの役割をはたして見えない相手を「追いつめる」
魔に対する典型的な戦闘を描きました。
また、終盤では別の場所から、羽田での出来事へもう一度視線が向けられます。
現在、小説版新編『描線眼鏡』は第1話「羽田の白い線」から第12話「追いつめる線」まで公開中です。
引き続き、新編『描線眼鏡』をよろしくお願いいたします。




