後編
秋の乾いた風が吹き付ける。
学院祭最終日の昼下がり。
教育特区共同演習場は、最高潮に盛り上がっていた。
模擬戦大会決勝戦。
総勢五百を超える参加チームの頂点を決める一戦を前に、観客席は熱気に包まれている。
その中の一角。
最前列付近に陣取った数人の男達が、異様な熱量で議論を交わしていた。
「俺は最初から推していた」
「嘘つけ」
「初めて見た時から応援しているのだ」
「知ったの昨日だろ」
「そうかもしれん、しかしそんな事は問題では無い」
「小さな体に透き通るような銀髪、整った顔立ち……まさに天使だ」
「そこかよ」
カードらしきものをスッと出す。
「それを……どこで?」
「昨日、彼女のマネージャーを名乗る人物が配ってたんだ」
アルマリア様公式ファンクラブ会員証。
会員ナンバー43。
「今日の試合でさらにファンが増えることは必至。これは彼女のファンが増えた未来に保証してくれる物のさ……この俺が最古参のファンだってことをな」
「少なくとも43人か……たった数日で……」
「ああ、もうそんなに」
「俺は一回戦から見てきた。理論学部首席と聞いて興味本位だったがな……二回戦の術式解析を見て確信したよ、間違いなく天才だ」
「そして天使だ。間違い無い」
そして、懐からカードを取り出し見せつける。
「おお、同志達よ」
男達は会員証を取り出し、固い握手を交わした。
それぞれの会員証には、
ナンバー43。
ナンバー17。
ナンバー15。
そして――
ナンバー3と記されていた。
◇
「盛り上がってるな」
少し離れた観客席で、男が苦笑する。
視線の先では、何やら会員証らしきものを掲げた集団が盛り上がっていた。
「理論学部首席のファンらしい」
「まだ大会終わってないんだがな」
「若いってのはいいもんだ」
肩を竦める。
だが、別の男が首を振った。
「いや、実際強いぞ」
「あの銀髪の嬢ちゃんか?」
「ああ」
「二回戦も見たが、ありゃ本物だ」
周囲も頷く。
術式解析。
術式改変。
常識外れの発想。
どれも学生離れしていた。
「だが――」
年配の男が腕を組む。
「決勝は別だ」
視線が演習場の反対側へ向く。
そこには既に選手用通路付近へ集まり始めた人影。
「エルヴィン・アーチバルド」
誰かがその名を口にした。
「実践魔法学部首席。今年の優勝候補筆頭だ」
「去年の準優勝チームを実質一人で崩したって話もある」
「模擬戦成績なら学院歴代でも上位だろうな」
自然と空気が引き締まる。
アルマリアが異端なら。
エルヴィンは王道だった。
高い魔力量。
安定した魔法技術。
優れた判断力。
そして実戦経験。
全てを兼ね備えた優等生。
「正直なところ」
男が呟く。
「理論学部首席がどれだけ天才でも、まともにやればエルヴィン有利だと思う」
「俺もそう思う」
「というか普通はそうなる」
観客達が頷く。
だからこそ。
「だが、期待しちまうのも事実よな」
「あの銀髪の嬢ちゃんは普通じゃない」
「そうなんだよな……」
誰かが苦笑した。
「何してくるか全く予想できん」
「おっ、いよいよ始まるぞ――」
選手入場のアナウンスが告げられた。
◇
ざわめきが広がる。
演習場中央、審判が前へ出た。
「これより、模擬戦大会決勝戦を開始する!」
歓声。
拍手。
地鳴りのような熱気が会場を揺らした。
「まずは東側選手入場口より――」
「実践魔法学部首席、エルヴィン・アーチバルド率いるチーム!」
歓声が爆発した。
入場口から現れたのは、一人の青年。
金色の短髪。
学院の制服である濃紺のローブ。
その上からでも分かる鍛えられた体格。
堂々とした足取りで歩み出る。
その後ろには騎士学院生と補助魔法学科生。
三人とも落ち着いた表情だった。
「エルヴィンー!」
「優勝だ!」
「決めてくれ!」
観客席から声が飛ぶ。
だが、エルヴィン本人は手を振ることもなく。
ただ静かに対戦ステージへ向かう。
「相変わらずだな」
「まあ、アイツらしい」
「強者の余裕ってやつか」
観客達が口々に語る。
エルヴィンは視線だけを動かした。
向かい側の入場口を見る。
そして。
「続いて西側選手入場口より!」
再び歓声。
「魔術理論学部首席、アルマリア・ファウスト率いるチーム!」
一瞬。
会場が静かになった。
次の瞬間。
「アルマリア様ぁぁぁ!!」
最前列から野太い絶叫が響いた。
「勝ってください!」
「応援しています!」
「今日もお美しい!」
「天使様ぁぁぁ!」
「同志、旗を上げろ!」
「おお!」
どこから持ち込んだのか。
数人の男達が布を掲げる。
そこには大きく。
――アルマリア様親衛隊。
と書かれていた。
「何やってんだアイツら」
「知らん」
「なんか怖い」
周囲が距離を取る。
一方。
当のアルマリアは。
「何あれ」
眠そうな目でミネルヴァに問う。
「さ、さあ……」
ミネルヴァの目が泳ぐ。
「すでに、お姉様の偉大さが広まっているという事では?」
「……早く帰りたい」
アルマリアは深々とため息を吐いた。
決勝戦の幕が、今まさに上がろうとしていた。
◇
エルヴィンは相手を観察する。
アルマリア・ファウスト。
稀代の天才と評される理論学部首席。
今大会話題の人物だ。
観客の歓声。
親衛隊の叫び。
(実践形式の大会でここまで勝ち上がってきた実力は認めよう)
(だが——)
(最後に勝つのはこの私だ)
試合が始まる。
「相手は前衛一、後衛ニの編成だ」
「ジーク、相手前衛はスピード型だ。冷静にやれば問題ない」
「はいよ」
「ルーカスはいつも通り補助に徹してくれ」
「了解」
そして、
視線はアルマリアへ向く。
(魔術理論学部首席)
(術式解析と魔法制御に長けているらしい)
(だが結局は後衛、接近戦になればこちらの勝ちだ——準決勝では自爆するしかなかったようにな)
「これが最後の試合だ」
エルヴィンが杖を構える。
「出し惜しみはするな」
「「おう!」」
ジークと呼ばれた騎士学院生が剣を構え前に出る。
相手前衛も真っ直ぐに向かって来る。
(何者かはわからんが、ジークが遅れをとる事は無いはずだ)
意識を後衛二人に戻す。
瞬間。
相手前衛が大きく跳躍した。
その後ろから火球が飛び出して来る。
「マジックシェル!」
ルーカスが落ち着いて対応。
魔法の壁が火球を防いだ。
爆風。
ジークの頭上を飛び越え——
(そういう作戦か。だが、無防備だな)
「アイスニードル」
着地点。
地面から氷の棘が飛び出す。
ゼノンは咄嗟に身体を捻った。
一発目を躱す。
二発目を剣で弾く。
だが。
「っ!」
三発目。
予測していた回避先へ氷棘が突き刺さる。
保護結界が砕け散った。
「やられたね」
アルマリアが呟く。
「お見事です」
ミネルヴァが感心したように言う。
「うん、思ったより面白い……」
「——さて」
空気が変わる。
「そろそろ終わらせようか」
アルマリアの魔力が溢れ出す。
ローブが揺れ、プラチナブロンドの髪がなびいている。
詠唱。
「ヤツを止めろ!」
「アイシクルランス」
氷の槍が飛び出した。
「お姉様の邪魔はさせません」
アルマリアの手前で氷の槍が砕け散る。
ジークが間合いに入り、剣を振りかぶる。
しかし、術式はすでに完成していた。
ジークの攻撃を後ろに大きく飛んでかわす。
アルマリアはそのまま空中で静止した。
「……なに?」
エルヴィンが目を細める。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
アルマリアの足元に魔法陣が浮かぶ。
ふわりと、
後ろに跳んだかと思えば。
頭上に滞空している。
「は?」
誰かが呟いた。
観客席だったか。
味方だったか。
あるいは自分自身だったか。
分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
人は空を飛ぶことはできない。
少なくとも近代の歴史においては。
「お、おい……」
「浮いてるぞ……」
観客席がざわめく。
ざわめきは瞬く間に波となって演習場全体へ広がった。
「飛翔魔法……?」
「馬鹿な」
「理論上の存在じゃないのか!?」
アルマリアはそんな反応に興味も無さそうだった。
退屈そうな顔のまま、ただ空に立っている。
まるで最初からそこが定位置であるかのように。
エルヴィンの背筋を冷たいものが走った。
(飛んでいる?)
(いや違う)
(……空中に足場を形成?)
(重力干渉?)
(いや、風魔法による揚力?)
(どうやって――)
思考が追いつかない。
理解より先に本能が告げる。
危険だ、と。
長身の女が感嘆の声をあげている。
「ああ、お姉様の魔法理論はいつ見ても美しい」
(このままではまずい……)
「呑まれるな!」
味方を鼓舞しながら魔法を紡ぐ。
「アイシクルランス」
氷の槍が一直線にアルマリアに突き進む。
◇
アルマリアは空中で静止していた。
地上から二メートルほど。
ただそれだけ。
それだけのはずなのに。
会場が静まり返っていた。
「浮いてる……」
「嘘だろ……」
誰かが呟く。
アルマリアは首を傾げた。
「ん?浮くだけなら既存の理論の延長——」
次の瞬間。
氷槍が迫る。
アルマリアは軽く視線を向けた。
「危ないな」
ふわりと。
さらに上へ回避する。
その時、背中から魔力の残滓が煌いた。
「動いた!?」
その煌めきは次第に形を成していく。
黒翼。
ゆらめく漆黒の翼が、アルマリアの背に現れた。
弧を描きながら、さらに上空へ。
十メートル。
二十メートル。
そして、再び止まる。
「なっ――」
エルヴィンが言葉を失う。
アルマリアは上空から周りの景色を見渡した。
「良い眺め」
◇
「見たか!?」
「見た!」
「アルマリア様が飛んだぞ!」
観客席の最前列。
会員番号三番が立ち上がる。
「違う」
「何がだよ!?」
「正確には、浮遊から飛翔への移行」
「全然わからん!」
「いいか、これは歴史的瞬間なんだ」
「そこまでか、我らの天使様……」
「ああ、なんだか誇らしいな同志諸君」
「今はこの偉業を讃えよう!」
親衛隊の拍手と共に絶叫が響く。
一方で。
それ以外の観客達は言葉を失っていた。
「飛んでる……」
「あり得ない……」
「なんだあの魔法は」
ざわめきが収まらない。
王都の空。
そこにアルマリアはいた。
黒翼を揺らしながら。
(化け物か)
エルヴィンは奥歯を噛み締める。
だが、まだだ。
飛ぶだけなら勝負はわからない。
「ルーカス!」
「任せろ!」
「マジックブースト」
「フィジカルブースト」
青白い光がエルヴィンを包んだ。
身体が軽くなる。
思考が研ぎ澄まされ、魔力の流れが鮮明になる。
「行くぞ」
杖を掲げる。
「アイシクルランス」
空中に巨大な氷槍がいくつも現れる。
先程までのものとは比較にならない程の数と大きさ。
鋭利な氷が並ぶ様は圧巻だ。
「撃ち落とせ!」
発射。
氷槍が横一列に空を裂く。
だが、当たらない。
自由に空を移動するアルマリアに攻撃を当てる事は至難の業だった。
黒翼を煌めかせ縦横無尽に空を飛ぶ。
「まだだ!」
連続詠唱。
補助魔法によって強化された氷槍が次々と襲い掛かる。
しかし。
当たらない。
翼が一度羽ばたく。
それだけで軌道から外れる。
そして、エルヴィンは気付いていなかった。
アルマリアが飛ぶたびに、空中へ淡い光の紋様が刻まれていることに。
「一発も当たらない……嘘だろ……」
観客席から声が漏れる。
ただ飛ぶだけではない。
方向やスピードまで、完全に制御されている。
アルマリアは欠伸でもしそうな顔で呟く。
「遅いな」
その一言がエルヴィンの胸を刺した。
(遅いだと……?)
これでも学院最高峰の氷魔法だ。
補助まで受けている。
それを……
遅い。
そのたった一言で片付けた。
エルヴィンは空を見上げる。
黒翼。
蒼天。
そして、
アルマリアの周囲で膨れ上がる魔力。
「まずい!」
叫んだのはルーカスだった。
「エルヴィン!」
その瞬間エルヴィンは理解した。
あれは攻撃魔法だ。
しかも、今まで見たどの魔法よりも巨大な。
反射的に氷槍を一本放つ。
狙い澄ました一撃。
紫の瞳が細められた。
首を傾ける最小限の動作で避ける。
氷槍が頬を掠め、黒翼を貫いて後方に飛ぶ。
黒い羽が舞って落ちた。
空に吸収されるように消えていく。
アルマリアが片手を空へ掲げる。
「もういい?」
退屈そうに。
「次はこっちの番だ」
「――サンダーレイン」
ステージを見下ろしながら、アルマリアが呟く。
空が光る。
アルマリアの足元に巨大な魔法陣が現れた。
魔法陣自体が帯電するかのように雷光が弾け漏れている。
エルヴィンの背筋を冷たいものが駆け抜けた。
(雷――?)
なぜか目を離せなかった。
恐怖よりも先に。
美しいと思ってしまった。
この世界全てを支配するような。
圧倒的な魔法だった。
次の瞬間。
ステージを覆うように魔法陣が投影される。
そして……天が落ちた。
魔法陣の上から下。
無数の稲妻が降り注ぐ。
激しい雷光の明滅と衝撃が繰り返され、破壊の限りが尽くされた。
やがて、光が収まる。
立ち込める白煙。
焦げた石の匂い。
誰も声を出せなかった。
先ほどまで歓声に包まれていた演習場は、水を打ったような静寂に支配されている。
砕けた石畳。
黒く焼け焦げたステージ。
至る所から白煙が立ち上っていた。
「……」
その中で、エルヴィンはまだ立っていた。
身体中が痺れていた。
杖を支えにしなければ立つことすら難しい。
視界の端ではルーカスが倒れている。
ジークも動かない。
そして。
敵味方の区別なく雷に巻き込まれたミネルヴァもまた、地面に伏していた。
戦闘不能。
完全に。
敗北だった。
しかし、立ち続けた。
「耐えて見せたぞ」
アルマリアは少しだけ目を見開いた。
「へぇ」
感心したように呟く。
そして、指を軽く弾いた。
「エアシュート」
その刹那、見えない衝撃がエルヴィンを襲う。
「――っ!」
上から巨大な槌で叩きつけられたかのような衝撃。
身体が石畳へ沈む。
保護結界が砕け散った。
そこでようやく。
エルヴィンの意識は途切れた。




