第8話 先手を打つ夜
あの冒険者が来る日を、俺はずっと頭の片隅に置いていた。
また来る。来なければそれでいいが、来る前提で動く方が安全だ。一週間以上、毎晩そのことを考えながら仕事をしていた。
だから、準備した。
「先に埋めておく」という発想だった。あの男が来たとき、俺がすでに今夜の相手を決めていれば——割り込んでくる隙がない。完璧ではないが、何もしないよりずっとましだ。
問題は、相手が必要だということだった。
---
その商人と話すようになったのは五日前だった。
最初に声をかけてきたのは向こうだった。布を扱う問屋を探していると言っていた。あの夜は答えられなかった。でも翌晩、別の旅の客との話の中で東の通りの問屋の話が出た。二軒あること、片方は品揃えが多く、もう一方は値の交渉ができると聞いた。
それを次の日、その商人に伝えた。
「ずいぶん詳しいじゃないか」
「たまたま聞いた話ですよ」
嘘じゃない。ただ、耳に残しておいたのはたまたまじゃなかった。
それから男は毎晩来るようになった。話し相手を求めているのがわかった。商談の整理、行き先の計算、あとは誰かに聞いてほしいだけの愚痴。俺が相槌を打っているだけで、男は満足そうだった。
旅先で話し相手を見つけるのは難しい。同業者に話せば情報が漏れる。宿の者に話しても、どこかで誰かの耳に入る。ただ聞いてくれる相手——それが今この男に必要なものだと、俺には見えていた。
計算して始めたことだった。でも三日が経つうちに、俺の方もこの関係に頼り始めていることに気づいた。
三日目の夜、男が今夜のことを聞いてきた。
聞いてくるのを、待っていた。正確には——聞いてくるように、話を運んでいた。今夜も来たい、また話したい、そういう空気を三日かけて少しずつ作っていた。男が自分から切り出す形にしたかった。そうでなければ、盾にならない。
俺は答えた。
---
その夜の開店から、俺はずっと扉を意識していた。
客が入るたびに目が向く。違う、と確かめてから次の仕事に戻る——それを何度も繰り返した。
商人は今夜も来た。いつもの時間に。俺はすぐに声をかけた。今夜の段取りを短く確認して、男を奥の席へ案内した。
しばらくして、扉が開いた。
(来た)
声に出さなかった。体も動かさなかった。ただ、膝の上に置いていた手が少し固くなった。
あの冒険者だった。体格がいい。入ってきた瞬間に、周りの声が一拍だけ小さくなった——そういう男だった。目が慣れるまでの一瞬、入り口で立ち止まって、部屋を見回した。
男の目がこちらへ流れた。止まった。
気配が近づいてくる。
「おい」
声がした。低い声だった。
俺は振り返った。
「今夜はこちらのお客様のご相手をしておりますので」
声が震えないか心配だったが、震えなかった。
男の目が細くなった。口の端が少し動いた。何かを言おうとして——止まった。奥の席の商人がこちらを見ていた。ここで場の空気を壊すと、この男にとっても面倒なことになる。そう判断したのかもしれない。
男は低く舌打ちをして、別の席へ向かった。
---
商人が去った後、扉を閉めた。
しばらく、その扉を見ていた。
体が少し震えていた。ずっと何かを抑えながら動いていた。それが、今になって出てきた。
(うまくいった)
しばらくそのまま立っていた。
また来るかもしれない。あの商人の滞在が終われば、次の旅人との関係を一から作り直さなければならない夜が来る。毎回うまく間に合うとは限らない——そういう現実はある。
でも今夜は、うまくいった。
それだけで、今夜はよかった。
ぬいぐるみたちが、暗がりの中でぼんやりと並んでいた。
この子が帰ってくる場所を作ると、誓った。今夜は、その一歩だった。
(悪くない一日だった)
眠れそうだった。目を閉じた。




