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傾いた樽と真珠 ~おっさんマーケターが美少女に転生、気がついたらそこは場末の酒場兼娼館だった~  作者: 華雪β
第9章 捨てる、場を変える、場が動く

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第44話 昼営業、動く

昼前に、扉を開けた。


静かだった。


薬草茶を煮出した鍋を火にかけたまま、テクラとフィナと三人で入り口近くに立っていた。テクラが少し身を乗り出して、通りを見ていた。


「誰も来ないかもしれないですね」


「まだわからない」


「でも昨日声かけた方、来てくれるかな……」


少し間を置いて、俺は言った。


「テクラは顔を知っている客を頼む。フィナは旅の商人を。私は茶を出す」


二人がうなずいた。


---


香りが通りに出始めた。


薬草の匂いが、扉の隙間から外へ漏れていく。


最初の十数分は、誰も来なかった。


通りを人が行き来する音だけがした。荷車。子供の声。遠くで誰かが呼んでいる。


(早かったか)


いや——まだだ。


---


最初に来たのは、地元の商人だった。たまに夜のうちの店に来る客だ。いつもは開いていない時間なのにどうしたんだろう、と思って寄ってくれたそうだ。


テクラが近づいて席に案内した。俺が薬草茶を一つ持っていった。男が物珍しそうに一口飲んで、端の席に静かに落ち着いた。


しばらくして、また扉が開いた。


男が一人、入ってきた。旅装のまま、少し疲れた顔をしていた。入り口で少し立ち止まって、鼻を動かした。


「……あの匂いだ」


フィナが近づいた。「いらっしゃいませ。昨日、包みをお渡ししませんでしたか」


「ああ、宿の子に」男が部屋を見回した。「試したら良かったもので、もっと欲しくなって」


「ぜひ座ってください」フィナが、地元の商人の隣の席へ案内した。「今日は飲んでいただけますよ」


男が席につくと、俺が茶を持っていった。


薬草の湯気が上がった。男が両手で器を包んで、目を閉じた。


「……いいな」


少し間があった。


「どちらから来られたんですか」フィナが聞いた。


男がゆっくり目を開けた。「東から。三つ街を跨いできた」


「三つも」


「最後に寄った街で、妙に布が不足していてな。仕入れに来ている商人が多かった」


「布が、ですか」フィナが少し身を乗り出した。


---


男の声が少し大きくなった。


隣の席で一人で薬草茶を飲んでいた地元の男が、顔を上げた。


「……布の不足、ですか?」


旅の男が少し驚いた顔をした。「ええ。荷の量が去年の半分くらいで」


「それは——うちが布を扱っていて。あの辺りには秋に送っているんですが」


「秋前に行くんですか。それは早い。どのくらいの量を」


二人が話し始めた。


俺は、その話を聞いていた。


夜の社交場には入らない話だった。酒があっても、賑わいがあっても——仕事の話は出てこない。昼だから、この話が生まれた。


胸の奥が、静かに熱くなった。


---


イルゼが、カウンターの端から同じ場面を見ていた。


俺と目が合った。


何も言わなかった。でも——同じものを見た、ということは、わかった。


テクラが旅商人に追加のお茶を勧めていた。地元の男も、もう一杯頼んでいた。


---


閉めてから、四人で座った。


「二人だったが」イルゼが言った。


「動きました」テクラが言った。「あんな話、夜には出てこないですよ」


「王都でもそうでした」フィナが続けた。「旅商人が動く前の時間が、一番情報が速い」


テクラが少し伸びをした。「またやりたいです。明日も開けますか」


少し間があった。


「開ける」


イルゼが言った。


---


まだ始まったばかりだった。


続くかどうか、まだわからない。


でも——何かが、動いた。


---


> "You cannot solve a problem from the same consciousness that created it."

> 「同じ意識のままでは、その意識が生み出した問題は解けない。」

> ― Albert Einstein



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