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傾いた樽と真珠 ~おっさんマーケターが美少女に転生、気がついたらそこは場末の酒場兼娼館だった~  作者: 華雪β
第8章 差を知る、核が抜ける、強みを問う

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第38話 強みとは何か

翌朝、イルゼに話した。


カルロが琥珀館で弾くこと。テクラにも声がかかっていたこと。おそらく他にも、まだ気づいていないだけで声をかけられている人がいること。


イルゼは手を止めずに聞いていた。


「カルロは、しょうがないね」


少し間があった。


「テクラは」


「いったん断ったと言っていました。ただ——揺れてはいる」


「そうか」


また間があった。


それから、こちらを向いた。「どうにかしないといけないね」


---


考えてきたことを、話した。


客のことを記録に残したい。どんな商売をしているか、何を探しているか、どこへ向かうか。それを手がかりに、話せそうな客に声をかけていく——


「だが、読み書きできるのは私とお前くらいだぞ」


「そうです、だから私が書き留めます」


イルゼの顔を見た。


何か言いたそうだった。口元が、少し動いた。


だが、声にはしなかった。少し間を置いて、「やってみな」と言った。


それだけだった。


---


その夜から始めた。


閉店後、女中たちを集めた。今日来た客のこと——商売、行き先、話していたこと——を聞いて、書き付けにまとめた。


それぞれが答えた。テクラはよく覚えていた。


書き付けが、少しずつ埋まっていった。


---


三日ほどで、書き付けはそれなりに埋まっていた。


ある夜、片づけが終わる頃にテクラが言った。


「なんか最近……ぎこちなくない、なんか」


「そう、かな」


「うーん」布巾を折り畳む手が動いた。「前はもっと、なんか、自然だった気がして。私だけかな」


「……いや」


テクラが少し手を止めた。「じゃあ、何が変わったんだろ」


答えが、なかった。


テクラは布巾を畳み直して、作業に戻った。


テクラの言葉が、頭から離れなかった。


部屋に戻って、書き付けを読み返した。


「仕入れ商、東の街道へ、小麦」「旅の商人、北へ向かう、毛皮」情報は、ある。


情報を集めることはできた。だが、これを元に、何ができる。客に声をかけることが、本当にできるのか。


まず、誰の情報か、わからない。テクラたちが改まって客の名前を聞くことなんて、ほとんどない。それとなく確かめる方法を考えてみたが——この店で客に名前を聞く自然な口実が、思いつかなかった。仮に名前を知って、客を特定できても、その人の周りのことを俺たちは知らない。だから、せっかく情報を集めても、これを元に声を掛けることができない——


しばらく、書き付けを見つめた。


やめよう。そう決めた。


---


次の手が、浮かばなかった。


一度、宿の近くに出向いてみた。旅装の男に声をかけてみようとした。だが——女中が一人で宿まで行って、知らない商人に話しかけるのは、思いのほか難しかった。一言も声をかけずに戻った。


---


ある夜、年かさの女中が言いに来た。


「すみません——明日から来られなくなりました」


「どうして急に」


「……家庭の事情で……」


答えを濁された、と感じた。目が、少し横を向いた。


——向こうか。


引き止める言葉が、出てこなかった。


まずい。そう思った。でも、もう、出ていく背中だった。


翌日から、人が一人足りなかった。


---


客は、来てくれている。


だが、給仕が回らなかった。杯が空になっても、次が出るまでに間が空く。


自分も動いた。でも、足りなかった。


イルゼが厨房と広間を往復した。何も言わなかった。


売上が落ちた。入りは悪くない。人が足りなかった。


---


自分の部屋に戻った。ぬいぐるみたちが、いつも通りに並んでいた。


「やってみな」


イルゼの声が、頭に戻ってきた。


記録は、やめた。次の手が、ない。その間に、人が抜けた。


「何が変わったんだろ」


テクラの言葉が、また浮かんだ。前は、話していた。あの三日は、集めていた。それだけのことが、何かを変えていた。


この店を、何にしようとしていたのか。俺たちの強みは、何だったか。


---


> "The greatest danger in times of turbulence is not the turbulence; it is to act with yesterday's logic."

> 「激動の時代に最大の危険は、激動そのものではない。昨日の論理で行動することだ。」

> ― Peter Drucker


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