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傾いた樽と真珠 ~転生先は酒場兼娼館だった。武器は、前世の知識だけ~  作者: 華雪β
第7章 手紙と過去と、やってくる男

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第32話 クラーラのこと

「こんな話をするのは——初めてなんだが」


少し間があった。イルゼは机の端を、静かに見ていた。


---


王都で、教師をしていた。商人や騎士の家の子どもに、読み書きと計算を教えていた。


クラーラは一人娘で、父親はいなかった。


---


娘にも同じことを教えた。読み書きと計算を。でも、生徒に教えるようにはいかなかった。


危ないことをすれば止めた。よくない連中と遊べば止めた。やろうとすることに、反対ばかりした。


止めすぎた——それが今は、わかる。


わかるのが、遅すぎた。


---


十五のとき、クラーラは出ていった。扉が閉まった。


---


何年かが過ぎた。


教え子の商人が王都に立ち寄って、別れ際に言った。


「もしかしてイルゼ先生の……と思って声をかけたら、イルゼなんて人知りません、と言われました」


男は笑った。「でも似すぎていてびっくりしました。他人の空似というものはあるんですね」


エストハルトだと言っていた。聞いた瞬間には、もう立ち上がっていた。


---


荷物をまとめて、馬車に乗った。傾いた樽亭に入ると、イルゼという名前は知らないと言われた。女主人に話を聞いた。


若い女が一人いたが——風邪をこじらせ、栄養状態もよくなかった。持ちこたえられなかった。


女主人は、それだけ言った。


しばらく、立っていた。


---


部屋を見せてもらった。何もなかった。


棚の上に、布の人形が一つあった。手に取った。


(これは)


子供の頃に作ってやったものだった。ボタンを目にして縫い合わせた布の人形で、クラーラはどこへ行くにも持っていった。

片方のボタンが、取れかかっていて、布は、抱かれた跡のかたちに、すり切れていた。


---


これだけ、持ってきたのか。


娘は最後まで、「イルゼの娘」と名乗らなかった。


---


「——もう、十年以上前のことだ。それだけだ」


向かいで、マーケタは黙っていた。


「なぜここを買い取ったのか、自分でも言葉にできない。女主人が店を畳むと言ったとき、気づいたら名乗り出ていた」


少し、間を置いた。


「一つ、聞いてほしいことがある」


マーケタが顔を上げた。


「隣の部屋を、使う気はないか。仕事のパートナーとして、ここに住んでいい」


間があった。


「……ありがとうございます。でも、私は——今の部屋がいいんです。フィナとの思い出が残る今の部屋が——」


「そうか」


---


マーケタが立ち上がって、扉の前で止まった。


「イルゼさん」


「うん」


「話してくれて、ありがとうございます」


扉が閉まった。


---


部屋に一人になって、棚の人形をもう一度見た。


机の端に、封が置いてあった。フィナからの、自分宛の封。受け取ってから、ずっとそのままにしていた。


手を伸ばして封を開け、広げた。


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