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傾いた樽と真珠 ~転生先は酒場兼娼館だった。武器は、前世の知識だけ~  作者: 華雪β
第6章 声と喪失

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第26話 距離と来訪

フィナがいなくなって、数日が経った。


新しい女中が二人、入った。イルゼが手配した人間だ。一人は寡黙な中年女性で、もう一人はまだ若い。


若い方が、広間の端のテーブルを拭いていた。フィナがよく立っていた場所だ。


仕込みの時間、一緒に動いた。テーブルを動かそうとしたとき、向こうが先に端を持ち上げていた。


「こちらでいいですか」


「そこでいいです」


置いてから、若い女中が少し間を置いて言った。「あの——名前、まだ伺っていなかったので」


「マーケタです」


「はい。……マーケタさん」


また動き始めた。こちらが言えば動く。止まれと言えば止まる。間違えない。


何も聞かなかった。


静かすぎる、と思った。


窓辺の鉢植えが、頭の中にある。あの朝、初めて気づいた。ずっとそこにあったはずなのに、一度も見ていなかった。


---


仕込みがひと段落したころ、イルゼが声をかけてきた。


「ブリッタは黒熊亭に行くそうだ」


書き付けを確認しながら、イルゼが言った。「こっちから紹介した。あっちも忙しいからな、話は早かった」


「そう……ですか」


よかった、と思った。


俺の言葉で動いた話ではなかった。イルゼが動いてくれた。店は動いている。


---


ここ数日、客の顔が変わってきていた。荒い声はもうしない。長居する商人が増え、客の入りも上々だ。


夜、商人が二人、声を潜めて笑っていた。以前の夜とは、違う空気だった。


一人が、連れの耳に何かを言った。声を落として、でも顔は笑っていた。こういう夜を、作りたかった。


「フィナ、」と言いかけた。


飲み込んだ。


杯を持ち直して、別の卓に向かった。


これが、目指していたものだ。


そのはずだった。


広間の端に戻って、少しの間、眺めていた。


---


翌朝、イルゼに部屋に呼ばれた。


「フィナの部屋、新しい子に使わせていいか」


書き付けではなく、こちらを見て言った。


「なんで私に聞くの。あなたが決めればいい」


目は、合わせなかった。


イルゼが何か言いかけて、やめた。少し間があってから、「……そうかい」と言った。


書き付けに目を落として、また手を動かし始めた。


---


昼を少し過ぎたころ、扉が開いた。


見慣れない顔だった。年は四十を過ぎているだろう。商人風の身なりだが、立ち居振る舞いが違った。供を一人連れている。扉のところで少し立ち止まって、広間を見回した。


銀がかった髪が、窓からの光を受けていた。


何かを確かめるような目だった。


「何か御用でしょうか」


声をかけると、その人が俺の方を向いた。一瞬——何かがあった気がした。


「吟遊詩人から、評判を聞いて」その人が言った。広間をもう一度、ゆっくりと見回した。


「少し商売のご相談がしたくて。店主の方はいらっしゃるかしら」


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