第23話 わかってない
カルロが来た夜から、数日が経った。
来る客が変わっていた。以前と同じ卓に、以前と違う顔がある。声が変わった。笑い声の質が変わった。
イルゼが、何かを決めた顔をしていた。
その夜、客が引けてから声をかけてきた。「今日、みんなを集める」
(俺が動かしたわけじゃない。イルゼが、自分で判断した)
---
広間に女中たちが並んだ。
「酒と料理の値段を上げる。明日から」
イルゼが言った。誰も声を上げなかった。
「上の部屋を、使うのをやめる。その代わり、給金を一割上げる」
地味な印象の女中と若い女中が、顔を見合わせた。目をしばたたかせていた。どうやら、喜んでいる。
赤毛の女中は腕を組んだままだった。
「非常識だよ」低い声だった。「うまくいくわけがない。やってられない」
気づいたら、口から出ていた。
「変わっていくんです、この店は。嫌なら、やめるしかない」
赤毛の女中がこちらを一瞥した。それから、イルゼを見た。
イルゼが、苦い顔でうなずいた。「このあと、部屋に来てくれ」
静かな声だった。突き放す感じではなかった。
赤毛の女中は何も言わなかった。憮然とした顔で、奥へ消えた。
その場が、散っていった。
---
「マーケタさん」
振り返ると、フィナが立っていた。「少し——いいですか」
---
フィナの部屋に、蝋燭が一本あった。
向かいに座った。フィナはすぐに話し始めなかった。
「どういうこと」フィナが言った。「どういうことなんですか」
(やっと、この日が来た)
「これで——フィナが意に沿わない夜を迎えることはなくなる。ずっと、そのために動いてきた」
「そうじゃなくて」
少し間があった。
「今日、イルゼさんが説明したとき——みんなの顔を、見ていましたか」
「見ていた」
「……そうですか」
フィナが目を落とした。膝の上の手が、静かだった。
「ずっと——思っていたことがあります」
「前から、気づいていた。——でも、言えなかった。マーケタさんが、私のために、やってくれているのがわかっていたから」
「マーケタさんはこの店のことを考えている。変えようとしている。でも——変わっていく中で、そこにいる人のことが、見えているのかどうか。ずっと、わからなかった」
「見えている」
「見えていない!」
声が重なった。
「マーケタさんには、見えていないものがある」
フィナの声に、怒りはなかった。ただ、静かだった。
「ブリッタさんも——」
フィナが続けた。「ブリッタさんは、私がこの店に来た時に、最初に仕事を教えてくれた人です。ミスをしたとき、フォローしてくれたのも、ブリッタさんで」
「……ブリッタ?」
「——ブリッタさんです。赤毛の——」
口が、開きかけた。
フィナが、顔を上げた。
「……そうですか」
目に、何かがなくなった。
しばらく、何も言わなかった。
「もういいです。出て行ってください」
悲しそうな声だった。
---
廊下に出た。
扉が閉まった。
暗かった。自分の足音が木の床に落ちた。
扉の向こうは静かだった。
——思い出したのは、ずっと前の夜のことだった。
まだ俺が、別の体で生きていた頃の話だ。
言い合いの終わりに、あの人が言った。
「あなたは人の心がわかってない」
声のトーンは、覚えていない。言葉だけが、鮮明だった。




