第29話 潜入
階段を登っていく足音が遠のいていく。俺は耳を澄ませて最適なタイミングを見計らった。
足音が完全に消え去った。奴らは本格的に三階の捜索を始めただろう。
「フードってのは暑いな。すんごい汗だ」
俺はボリュームを抑えつつコートを脱ぎ捨てると、額に浮かぶ汗を拭った。仲間も同じようにコートを脱ぐ。
「こんなすんなり行くとは思わなかったすね」
「ラッキーだったと思おうぜ。さ、時間がない。娘さん……ベロベロスだっけ? 探して連れてくぞ」
「ベルベティーですけどね」
「あえて間違えたんだよ。お前がちゃんとわかってるか確かめたのさ」
「カマかける場所もっと他にあるでしょうに……」
俺たちがブランドン家にきた理由は、他でもない娘のベルベティーを救出するためである。ちなみに夫人はメイドのアリアと、もう一人の仲間で保護している。
大声を出して探すわけにもいかないため、俺は静かに扉の開閉を繰り返した。どこかに囚われているであろうベルベティーを想像しながら思い出すのは、先の光景である。それはコートの男の必殺の魔法を前に、一歩も引かなかったアリアの勇姿だった。
「あのアリアとかいうメイド、すごい覚悟だったな」
「あー確かに。なんかブランドン家のためなら何でもするって感じだったすね」
お互いがお互いを慕っていたのだろうと俺は思う。人格者と名高い夫人と、多くの時間をともに過ごしてきたメイドの絆である。それはブランドン家を心の底から愛していなければできない行動だ。
あの姿を見せられて、何も感じないほど俺は腐ってはいない。オルテン姉さんの手足として生きていくのであれば、持つ必要のない感情である。それでも、そう思ってしまったのだから仕方がない。
ドアノブを握る手が少しだけ軽くなった気がした。
「必ず見つけて夫人とメイドの所に連れて行こう」
「……そうっすね」
リビングをくまなく探し、一階の残る部屋も確認したため、これで残る部屋はひとつとなった。
俺はためらう事なく最後の扉を押し開ける。
彼女はそこにいた。
「この子で間違いないよな」
「ですね。事前に共有してもらった写真の女の子だと思います」
ベルベティーはイスに座らされ、ぐったりとしていた。手足を縛りつけられており、意識はないようである。俺は大股で近づいて首筋に指をあてた。
「……よかった、息はある。急いで解くぞ」
俺たちは頷き合い、二人がかりで拘束を解いていく。ひとまず生きていてくれたのが幸いだ。これで夫人もメイドも安堵してくれるに違いない。
あとは脱出するだけである。一秒でも早くブランドン家を抜け出し、夫人たちの元へ送り届けよう。
俺はベルベティーを背負うべく、彼女に背を向けてしゃがみ込んだ。
「じゃあダリウスさん、乗せますよ」
「頼む」
仲間がベルベティーの身体を動かそうと動いた。
それはほぼ同時だった。部屋の入り口から氷のように冷たい声が降ってきた。
「ほらやっぱり。なーんかおかしいと思ったのよねぇ」
濃緑のコートの女が腕組みをしてこちらを見下ろしていた。その後ろでは、男が壁にもたれかかって黙っている。
ち、バレたか。こんな所で見つかるのはついてないな。
「雰囲気が変わったなーとは思ってたけど、人が入れ替わってるんだもん。そりゃ変わるわよね。まんまと騙されちゃったなー」
女が鷹揚に振り返ると、もたれかかっている男が目を伏せた。
「わたしたちのメンバーは?」
「倒した。こっちも命の危機だったからな」
「あ、そ」
負けちゃったんだーと、女は人差し指を髪に巻きつけた。
「……仲間が死んでも何も思わないのか。娘や夫人に手を出そうとしてるのも頷ける」
「仲間じゃなくて同業ね。冒険者だって顔も名前も知らない同業者が死んでも、別になにも思わないでしょ? それと一緒」
なんだろうか、この胸の奥で沸き立つモヤモヤは。それを一つずつ解釈・咀嚼している時間はないが、一つだけ結論が出ている。
「これが理事会か」
「ちゃんと割れちゃってるのね。じゃああなた達の口も閉じなきゃね」
何の予備動作もなく、女は魔法を展開した。青空よりも澄んだ青色が爆散する。その暴風に乗って、氷の槍が四方八方へ射出された。
俺はとっさに体の向きを変え、ベルベティーを覆うように抱きしめる。鈍い痛みが背中を駆け巡った。あちこちに刺さりやがったな。
「おい、大丈夫か‼」
「こっちは平気っす。すみません、《防御網》遅れちゃって」
顔を上げると、魔力の盾を解除する仲間の姿があった。
「被害は最小限だ。ありがとう」
「おれはそういう役割ですからね。感謝される事じゃないっすよ」
コートの女は「お~」なんてわざとらしい態度で手を叩いていた。
「すごい反応速度だね。大抵の人は今ので全身穴だらけになって死んじゃうんだけど」
「伊達に訓練を積んでないからな、うちの『仲間』は」
女の顔が露骨に歪んだ。
「……なんかムカつく。調子に乗られるのあんま好きじゃないんだよね」
口ではそう言うが、本当は違うだろう。
「利用しあう人間の繋がりだもんな。そりゃ羨ましくてムカつくだろうよ」
「ッ……‼」
もはや言葉はなかった。女が怒りを発露させた結果の魔法が打ち出される。
俺の足元から突如として現れた氷柱。俺は回避する余裕すら与えられず、そのまま天井まで突き飛ばされた。と思いきや、天井には氷塊が待ち構えており、強烈に背中を叩きつけられる。
重力も加味した力で全身を床に打ちつけられた。肺がしめつけられるような錯覚に陥る。うまく呼吸できない。
仲間の《防御網》の展開も間に合わなかった。氷塊が俺の心臓を止めるべく圧迫を続けてくる。
「ほんっと偉そうよね。やってる事はわたしもあなたも変わらないのに。何が仲間よ、何が利用しあう人間の繋がりよ。結局自分の利益しか考えてないくせに」
「……そうやって……他人を値踏みして自分を殺し続けて……あんたは何がしたいんだ」
背中の圧が強まっていく。肺が膨らまない。呼吸とはこんなに難しいものだっただろうか。
「ダリウスさん耐えててください! すぐにこれ退かしますから‼」
「させるかよ」
女の後ろで黙っていた男がゆらりと手を振り上げる。たったそれだけの挙動で衝撃波が現れた。《防御網》で氷を退けようとしている仲間に対応する術はもちろんない。
仲間は衝撃波を体側にダイレクトにくらい、部屋の片隅まで転がった。
「シールズ! おい!」
敵前で名前は呼ばないようにしていたが、なりふり構っていられなかった。返事がない。意識を飛ばされてしまったようだ。
「『他人』の心配をしている場合? 早くどうにかしないと死んじゃうよ」
悔しいが事実である。全身を圧迫してくる大質量の氷塊をどうにかしない限り、俺たちの未来はない。せめて『断魔の大剣』を手にしていればと思うものの、ないものねだりだ。
まずいな。視界がぼやけ始めてきた。
俺の状態を感じ取ったのか、女はコツコツとヒールを鳴らして俺の前にしゃがみこむ。そして俺の髪を握りしめ、顔を掴みあげてきた。痛い。
「死ぬ前に聞かせてもらおうかな。まずあなた達は誰? なぜここに来たの?」
「……、」
バカな質問だ。たかだか死ぬくらいで、俺が旦那やオルテン姉さんを裏切ると思っているらしい。俺があの人達にどれだけ感謝していると思っているんだ。
「ぐ……‼」
神経を圧迫する痛みに嗚咽がこぼれた。氷塊の質量が一段と積み上げられたようだ。
「喋らなくてもいいけど、どの道わたし達は辿り着くわよ。違いは惨い死に方をするか楽に死ねるかの違いだけ。わかる?」
「はっ、辿り着くだ? ハッタリだな。死人に口はないぞ」
「この世界はあなたごときの想像がつくほど薄い闇色をしてないんだよ。魔法はなんだってできるんだから。その気になれば死者蘇生だって――」
「おい、喋りすぎだぞ」
男が女の話をさえぎった。女は不服そうに黙るが、気持ちを切り替えて顔を近づけてくる。
「ダリウスって言ったっけ。名前も割れてるんだから早くゲロっちゃいな」
女の口から飛び出した言葉が脳裏にこびりついていた。死者蘇生。魔法はなんだってできる。
その主張に魅了されない人間はおそらくいない。だから世界には魔法使いがたくさんいるのだ。
「……死者の蘇生ができるのか」
「さぁ、どうでしょう?」
「生き返らせてほしい人間がいる。そいつを叶えてくれると約束するなら喋る」
「はー、わかってないなぁ」
朦朧としかける意識を呼び起こすように頬に痛みが走った。ビンタされたのだと気がつく。
「あたしに交渉できる立場だと思ってるの? どこまで甘ちゃんなんだか」
「頼む。俺が裏で働いているのはそのためだ。俺の命なんかどうだっていい」
女が男と顔を合わせる。もう俺の命が長くない事も予想しているだろう。であれば、引き出せる情報は引き出しておいた方がいいと考えるのが自然だ。
旦那やオルテン姉さんなら、もっとうまく立ち回れるのだろう。
男が女に指示を出した。
「好きにしろ。俺は処理班を要請する」
「りょーかい。――って事で話聞いてあげるから、まずはあなたの事から教えてもらう」
席を外す男の足音が遠のいていく。そのわずかな振動さえ体に響くようだった。
旦那、オルテン姉さん。最後の最後ですまない。それでも俺は、どうしてもアイツが帰ってくる事を願ってしまうのだ。
俺は罪悪感に押し潰されそうになる心に蓋をし、口を開いた。
「俺はダリウス。元冒険者で、今は傭兵として裏稼業に専念している」
「組織の名前は? 統率しているのはどこの誰?」
「――」
答えたつもりだが、それが女の耳に届く事はなかった。処理班を要請しにいったはずの男の口から大声が飛び出したからである。
「おい応答は⁉ ちくしょう何が起きてやがる‼」
男が足早に部屋に戻って来て女に報告した。
「マズい、支部が襲撃された!」
「大丈夫でしょ、あの守衛と警備を突破できる人間なんてこの時代に存在しないんだし」
「……『コアシステム』の護衛に連絡がつかなくても同じ事が言えるか?」
空気が変わった。
支部の襲撃? コアシステム?
何が何だかわかっていない俺はそこで気がついた。女の顔からあらゆる余裕が消えている事である。
「……どうする? 逃げる? 今トンズラすれば何とかならないかな」
「無理だろ。『上』の力はお前が一番よくわかってるはずだ」
困惑と焦燥。明らかに変化した空気の中で、男女の言葉だけが静かな部屋に反響した。
いよいよ俺の気力も限界を迎えそうである。
薄れゆく意識の中で、俺は妙な安堵を覚えた。結果的にだが、旦那とオルテン姉さんの事を喋らずに済んだ。そもそも死者の蘇生なんて信ぴょう性の低い話だ。こんなことで迷惑をかけようとしていたなんて、俺はどこまでいってもバカだった。
裏切ろうとしてごめん、旦那、オルテン姉さん。不甲斐ない俺をどうか許してくれ。
息を吹いたら消えそうな命の灯。その小さな火種を優しく包み込む声がどこかで聞こえたような気がした。
「オレから逃げられると思ってるのか」
どこかで、ではない。ここだ。
俺が薄目を開けて確認しようとすると、直後に轟音が炸裂した。
あれやこれやと話していた男女の姿がない。視線で周囲を探すと、二人ともが壁面に叩きつけられていた。
「ひとりでよく耐えたな、ダリウス」
相変わらず何を考えているかの読めない、無感情な顔があった。
「……来てくれたのか、旦、那……」
緩んでしまった気がもたらしたのは、強烈な眠気であった。




