第25話 ベルベティーの襲来者
静かな湖畔のほとりに立つログハウス。
金をつぎ込まれた建造物だとわかるのに、同時に質素で洗練された暮らしをイメージさせる上品さを兼ね備えた家の中で、わたしは鼻歌を口ずさむ。
「~♪」
キッチンで夕食の準備をしながら自分の口角があがっている事を自覚する。今日は久しぶりに父が帰ってくる日だからだ。
母もブランドンの帰りを心待ちにしていたようで、張り切ってお買い物に出て行った。
……わたしも相当うれしいんだろうな。
「うーん、いい香り! お父さんもお母さんもビックリしちゃうんじゃないかなこれはっ」
誰も聞いていないのをいい事に、ついつい大きな声でひとりごとを言ってしまう。わたしの料理を美味しいと言ってくれるふたりの顔が思い浮かんでしまうのだからしょうがない。
ああ、なんて幸せな毎日なのだろう。
お父さんはグレイシャルのギルドマスター。ギルドでは威厳高い立ち振る舞いをしているみたいだけど、家ではわたしとお母さん想いなお父さん。友達の話を聞いたりするけれど、お父さんほど家庭に愛情深く向き合っている人はそんなに多くないと思う。
お母さんはギルドマスターの夫人を立派に担っている。人の価値はお金や地位では決まらないと口癖のように言っている。
最初はわたしも疑っていた。口先だけ立派な事を言って、結局あとはお金で人を動かすんでしょ? と軽蔑に近い気持ちも持っていた。けれど、それも今は無意味な疑いだったと知っている。
毎日メイドさんと一緒にお買い物に出かけるお母さんを見ていれば、あの口癖がどれだけ本心で言われたものかは何となくわかってきたから。
まあ、本音を言うともっとわたしとお買い物に行ってほしいけれど……。
あとお父さんは仕事しすぎ! できる事なら毎日家に帰ってきて、一緒にご飯を食べたいんだけどなぁ……ま、こればっかりは仕方ないか。お仕事忙しいもんね。
セットしていたタイマーが鳴る。鍋の底から救い上げるようにかき混ぜる。空腹を誘発する良い香り。
ちょこっとだけ味見をしてみる。……パーフェクトじゃん!
わたしは壁かけの時計を見た。
5時15分を回った所。そろそろお母さんとメイドさんが帰ってくる頃かな。
――コンコン。
予想した矢先、ノックの音が聞こえた。さてはお母さん、食材を買い込みすぎたな?
わたしはスキップしそうになる気持ちを抑えて小走りで玄関に向かう。
「いまあけるね~」
いつもなら何も合図を出さずに入ってくるお母さんがノックをする時は、お母さんとメイドさんの両手が袋でいっぱいになっている時だ。
一番ひどい時はアゴでノックしていた時もあったっけ。音が小さすぎてわたしもお父さんもまったく気づかなくてしかられたなぁ。
わたしは玄関の鍵をあけ、お母さんたちを迎え入れる。
――――はずだったのに。
間抜けな表情が一瞬で硬直したのが自分でもよくわかった。
「え、と。どちら様ですか?」
玄関先に立っていたのはふたりの男女。どちらも深緑をベースにした機動性に優れた身なりをしている。まるで冒険者のような格好だ。
男はぶっきらぼうに質問だけを投げてきた。
「ブランドンはいるか」
「たぶん、まだ仕事中ですけど……あの、どちら様で」
「失礼する」
男は玄関にぐいと足を踏み込んできた。体でわたしを押しのけ、土足のまま家の中をどかどかと進んでいく。
「ちょ、ちょっと待ってください! 勝手に入らないで!」
尻もちをついてしまった私に、後続の女が手を差し出してくる。
「ごめんねお嬢ちゃん。あたしたち、あなたのお父さんに大事なものを預けているの。それだけ回収したらすぐに殺してあげるから、少しだけ大人しくしててちょうだいね?」
舌の奥が凍りつく感覚に襲われた。殺してあげる?
日常会話では絶対に、少なくともこの家の中では一度たりとも耳にした事のない物騒な言葉が当然のように口にされる。
今になって胸に押し寄せるのは後悔。
なんで扉を開ける前に確認しなかったんだろう。なんでお母さんとメイドさんが帰ってきたと決めつけていたんだろう。
取り返しのつかない事態が進んでいくのだけがわかる頭に、ごんと衝撃が走った。
痛い……。
うすれていく意識。ぼやけていく視界。
「指令書と関――書をすべて探――せ。俺は――ングから、お……三階から――」
段々と遠のいていく聴覚を取り戻す事ができず、わたしは眠ってしまった。




