第10話 リーナ救出
「リーナ! 聞こえてたら返事をしてくれ!」
ぼくは『正義の天秤』と挑んだダンジョンの中で走り回っていた。
あたりにはぼくたちが倒した魔物の死骸が転がっている。
この光景だけを見れば、ダンジョン攻略は完了しているように見えるだろう。だがダンジョンは閉じていない。つまり、ダンジョンの発生要因であるボス級の魔物はまだ生きていることになる。
リーナは強い子だ。
『正義の天秤』のメンバーが言っていたように、確かに能力は高くない。それでも、自分から命を捨てに行くようなマネをする子じゃない。逆に言えば、なんとしても生きて帰ろうと決意しているはず。
そんなあの子が取る行動が、もし帰還ではなく攻略だったら。背筋に冷たいものが走る。
自分の実力がわからないほど頭が悪いわけではない、と信じたい。けれどもし、万が一にもリーナがそう判断し、ダンジョン最奥へ向かっているのだとしたら。
「事態は一刻を争う……!」
腰にぶらさがる鞘がカチャカチャと音を立てる。それだけの事にイラだっているぼくがいる。これでリーナの声を聞きそびれたらどうする。
……いや、本当はそんな事に腹を立てているのではない。
『正義の天秤』のメンバーがリーナを置き去りにしようとしていた事に気づけなかったこと。そして帰還魔法陣で転送される前、彼女の手を掴んで走れなかった自分自身。
後悔という言葉が頭に浮かんだ。
考えていても仕方がない。今やるべきことは、一刻も早くリーナを見つけ、ダンジョンから連れて帰る事だ。死骸を踏み越えてぼくはダンジョンの奥へと突き進む。
「リーナ! リーナいるかい⁉」
返事はない。ただぼくの声が薄暗闇の中に反響する。
手に汗がにじんでくる。叫び続けているから喉が渇いてくる。関係あるか。ぼくがもっと早く気がついていたら、こんな事にはなっていなかったんだ。
考えないと決めた思考がループするように戻ってくる。すると必然、紐づいて考えてしまう。
あの男は、一体何者なんだろうか。
一見すると普通の冒険者だった。軽装ではあったものの、魔法系統の職種であれば珍しくもない。何より、ぼくの渾身の一太刀を指先だけで止めたあの男。
とてもじゃないが、ただの冒険者で片づけるにはイレギュラーすぎる。
ぼくの剣が、通用しなかった。剣技を見せればすごい、天才だとしか評されないぼくの剣が。
今になって気がつく。後悔だけじゃなかった。ショックでもあったんだ。そしてぼくは自惚れていたと気づかされたんだ。
剣術において、自分以上の力を持った人がいるはずがない、という行き過ぎた傲りに目を背けるわけにはいかなかった。ただただ自分を恥じるばかりだ。
ダンジョン内を走り回って10分以上が経過する。
既に地上7階。ボスがいるのは8階だったから、もしもこの階にリーナがいなければ……。頭を横に振って嫌な想像を振り切る。
しかしこれといった収穫はなく8階へと続く階段へ到着してしまった。
いよいよリーナの身の安全が危ぶまれる領域。
どうかそれだけは避けていてくれ。そう願うぼくの耳が、うめき声のような弱々しい音をキャッチした。
「リーナ!」
呼びかけながら階段を駆け上がる。そして、まさに8階が見えてきたまさにその時。
「……! リーナ!」
探していた幼い少女の姿を発見した。
階段の隅っこにちょこんと座り、体を壁に預けている。
ぼくはリーナに駆けよると、肩に手をおいて何度か揺さぶった。
「ぼくだ! カーネルだ! 起きろリーナ!」
「っ‼」
勢いよく飛び起きたリーナは、ぼくの顔を認めた瞬間に大きく目を見開く。恐怖に怯えていたのか、あるいは絶望していたのか、彼女の瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「カーネル……さん? どうして……みんな、わたしを置いていったんじゃ……」
「ごめん、ぼくが止められていればこんな事にはならなかった。君をひとりにするつもりなんて本当になかったんだ。……ケガはないか?」
「大丈夫。でもみんなが帰還魔法で消えちゃったあと、大きな魔物が追いかけてきて。わたし、怖くて必死に逃げて……気がついたら8階に戻ってきちゃったの。もうお母さんのところには帰れないんだって思ったら怖くて悲しくて……」
リーナは激しくせき込んだ。一気にしゃべってむせてしまったらしい。
ぼくは彼女の背中をさする。服は土ぼこりで汚れ、膝には小さな擦り傷があった。転びながらも必死に生きようとしていたリーナの姿が目に浮かび、ぼくはそのまま彼女を抱きしめる。
「ひとりにしてごめん。ぼくにもっと力があれば……」
リーナは胸の中で首を横に振る。
「ううん、こうして戻って来てくれたんだもん。すごく嬉しいし安心した。……でもどうして? わたしなんか、みんなに見捨てられて当たり前なのに――」
その時、リーナの声をさえぎるようにダンジョンの奥から地響きがあった。連続する轟音は、だんだんと大きくなっていく。
ぼくはリーナを優しく引き剥がし、暗闇の先をにらみつけた。
「……主が動き出したみたいだ。ぼくらの気配を察知したのかもしれない」
ぼくの予想が的中したとすぐにわかる。
猛々《たけだけ》しい呼気を撒き散らしながら、暗闇の奥から巨大な影が迫ってくるのが見えた。
「リーナ、すぐそこの階段を下りて待っててくれ。走れるなら先に脱出してもいい。とにかくここを離れるんだ」
「で、でもまだ魔物がいるかもしれないよ」
「階下にいる魔物はぜんぶ死骸だったから大丈夫。さぁ早く」
「カーネルさん、絶対生きて帰ってきて……!」
そう言い残したリーナの足音が遠ざかっていくのを背後で感じる。
庇いながらの戦闘は苦戦を強いられる。これでぼくも全力を出す事ができる。
リーナと入れ替わるように、ぼくの前には魔物が立ちはだかっていた。
ガーゴイル。
石造りの翼が空気を切り裂き、歩を進めるたびに鋭利な爪が地面をえぐっていく。ぼくの数倍もの体躯を持つ魔物。
柄に手をかける。指間に汗が滲んでいくのが鮮明にわかる。こんな魔物に、ぼくが勝てるのか……?
その迷いを突くようにガーゴイルが動いた。
はためかせた石の翼から吹き荒れる突風。ただの風ではない。斬撃の魔法が付与された暴風が駆け抜ける。ノーモーションによる攻撃に抜剣がわずかに遅れた。
「ぐっ……‼」
いつもであれば裁けた斬撃は、容赦なくぼくの身体に叩き込まれる。
左肩口、胸部、右の太腿。まるで灼熱の鉄棒を内側に放り込まれたような熱が体内で爆発する。視界が定まらない。傷口から溢れる鮮血に目がくらむ。
だが……負けるわけにはいかない。ここで死んでしまえばリーナに罪悪感を背負わせてしまうから。
「ぼくの本気を受け止める覚悟があるってことだよな」
傷の痛みを押し殺し、ぼくは地面を蹴り上げる。抜いた剣を構え、トップスピードで距離を詰めていく。
ガーゴイルの翼がまたもはためく。しかし準備に抜かりはない。生み出された斬撃のすべてを剣で薙ぎ払い無力化する。
続いて襲来するのは鋭利な爪。
ガーゴイルが前足を振り回した直後、地面や壁がバラバラに刻まれていく。被弾すればぼくも間違いなくバラバラだ。
刻まれた地面や壁を足場にして跳ねつつ――剣を握りしめる。
「まずはその爪からいただこうか」
一閃。
剣術の天才と呼ばれるぼくの一太刀は、誰が相手であろうとも同じ結果を突きつける。たとえ相手が、石造りの翼を持つガーゴイルであっても。
ガーゴイルが悲鳴をあげた。当然だろう。まさか爪と一緒に翼の片方まで持っていかれてしまったのだから。
「この程度で痛がってちゃ話にならないぞ!」
ぼくは剣を振るう手を止めない。硬質な肌に幾度となく叩き込む。致命的な一撃とまではいかないが、ガーゴイルの体力を確実に削っていく。
ぼくの胸には熱い感情が溢れていた。高揚感。
やっぱりぼくは強かった。『正義の天秤』では太刀打ちもできない相手をひとりで討伐しようとしている。あの男だけが例外だったんだ。どんな理屈で剣を防がれたのかはわからないけれど、そのことでぼくが自信を失う必要はまったくない。
だって、こうしてガーゴイルとの戦闘を渡り合っているんだから。
「そろそろその首、いただこうか」
体に無数の斬撃痕を作ったガーゴイルは虫の息。猛々しさの面影もない弱った魔物の懐へぼくは直線的に踏み込んでいく。
ひねりも工夫もない、勝敗を決する最高の一撃。それを魔物の首に落とすために。
剣を振り上げた。次の瞬間、ぼくは全身にすさまじい衝撃を感じていた。
「がはッ……⁉」
意識が飛びそうになるほどのインパクト。今の一瞬で一体何が起きたのか。白飛びする意識の中で記憶を手繰り寄せる。
ガーゴイルが回転し、丸太の数倍もありそうな尻尾をぼくに叩きつけてきたのだと理解する。
壁に叩きつけられたぼくは受け身をとることもできず、そのまま床に倒れこんだ。
脳を揺さぶる跫音。ぼやける視界の中でガーゴイルが近づいてくるのがわかる。弱者を始末する事になんの躊躇いも抵抗もない野獣の瞳で見下ろされている。
なんとか立ち上がろうと手足に力を込めるが、思うように動いてくれない。剣も手から離れてしまっている。
ああ、このまま踏み潰されておしまいかな。
そんな思考がよぎって、リーナに罪悪感を背負わせてしまう事への申し訳なさが溢れてきて、だけどどうしようもないんだよ、という言い訳がこぼれてきて。
ついにぼくは、目を閉じた。
「よくひとりでここまでやったな。さすがだ、剣術の天才」
どこかで聞き覚えのある、冷静な声が響く。
うっすらと目を開くと同時、轟音が炸裂した。
は。
声にもならない驚きが感情を埋め尽くす。先ほどまでぼくを踏み潰そうとしていたガーゴイルがそこにいない。まるで目に見えない巨大な槌で打たれたかのように真横に吹き飛ばされている。
粉塵が舞う中、ぼくは確かに見た。無造作に歩くあの男の姿を。




