第1話 初めて色を視た日
その日、初めて僕は色を視た。
白河 勇樹は、学校帰りの電車に揺られ、窓の外の流れゆく景色を眺めていた。
遠くに見える青く霞んだ山々。夕暮れに染まりつつある空。様々な色彩が電車の窓から一望できた。
しかし、勇樹にはそれら全てが灰色に見えていた。水墨画のように、濃淡はあれど全てが灰色の世界。それが勇樹に視える世界の全てだった。
勇樹は生まれつき色が認識できない。幼い頃から何度も目の検査を受けた。しかし、眼球に異常は無かった。
色というのは、要は光の反射だ。光の反射を目で捉えて脳で認識する。
勇樹の場合は、目に異常は無いが、脳に何らかの原因があって色を認識できないのだろうという結論になった。その原因は不明だが。
幼い頃は、他人との違いに戸惑う日々もあったが。慣れればどうということはなかった。
目が見えない訳ではないのだ。白黒写真のように色が見えないだけで。信号の色は分からないが、どの場所が点灯しているかは分かる。
日常生活で困ることは意外に少なかった。
しかし、勇樹はいつも思うことがある。
青い空、青い海、この地球も青いのだとか。その青い色を一度でいいから見てみたい。そんな純粋な思いが胸にこみ上げてくる時が多々ある。
今のいつもと変わらない学生生活が味気なくて何か物足りないと感じるのも、自分が色を見えないせいだからと考える時もあった。
「次はー、式部ー、お出口は左側です」
車掌のアナウンスが車内に響く。次は降りる駅だ。勇樹は車内のドア付近に移動する。
勇樹は、高校2年生だ。式部町にある自宅から電車通学している。高校では剣道部に所属しており、今日も部活を終えて帰宅するところだ。
剣道において、色が認識できない勇樹は一見ハンデを負っているように思われたが。勇樹の場合は逆だった。
全てが灰色の静寂な世界の中で、勇樹はこれから人間が動き始める前の揺らぎのようなものが見えた。いわば、殺気を感じとれると言うべきか。
色が見えないからこそ、色に惑わされることなく。人間の動作の機微を感じとることができたのだ。
それは、剣道の世界でハンデどころか強力なアドバンテージとなり、勇樹は地区大会で優勝する腕前となっていた。
駅に着くと改札を抜けて道路に出る。自宅までは徒歩20分くらいの距離だ。
勇樹の住んでいる式部町は主に住宅街で、駅前にも大した店は無い。あるのはコンビニと数件の飲食店くらいだ。
代わり映えしない灰色の景色を眺めながら歩くと、いつもの児童公園の前に出る。まだ遊んでいる子供たちはいるだろうか。
なんとなく公園を覗きこんだ時、勇樹の体に電撃のようなものが走った。とんでもないものを目撃したからだ。
それは、勇樹が初めて見た色というものだった。公園の景色は、いつもと同じ灰色だ。すべり台もブランコもいつもと同じ灰色。
しかし、公園の中央に立っている女性だけ色彩が輝くように勇樹の目に映った。
赤い色の着物。背中には青い薔薇の絵が大きく描かれている。一般的に見れば、あまり趣味が良いとは言えない着物だが。初めて色を認識した勇樹にとっては、その赤と青は強烈な印象だった。
勇樹は、驚いてその場に立ち尽くした。今まで生きてきた灰色の世界で、初めて見た色は、まるで生まれて初めて光を見たに等しい。
着物の女性は、木刀で素振りをしているようだ。勇樹に背中を向けて懸命に木刀を降っている。
勇樹は、ただ黙って突っ立ったまま、その女性の姿を見ていた。生まれ初めて見た色だ。見ていて飽きることがない。
やがて、どれだけ時間が経ったのだろうか。女性は素振りをやめてこちらを振り向いた。
二十代くらいだろうか、勇樹よりは年上に感じられるが、目鼻がくっきりとした美しい顔だちだ。長い髪はひとつに束ねられている。
その女性と目と目が合った。ポカンとしていた勇樹だったが、本能的に女性をジロジロ見るのはよくないと思い、慌てて目を逸らす。
すると女性は、訝しげな表情で勇樹の方に近づいてきた。
「まさかとは思うが、お主。我の姿が見えるのか?」
凛とした通る声だった。若いのに年寄りのような語調。
「す、すみません! ジロジロ見るつもりはなかったんです。ただ初めて……」
勇樹は言葉に詰まった。女性を不快な気分にさせたかと思い、慌てて謝った。
しかし、初めて色を見たので、つい見とれてしまったというのは言い訳として苦しい。
どう説明したものかと考えていた勇樹だったが、女性の反応は怒りではなく驚き、そして感激というものだった。
「マジか! お主、我の姿が見えるのじゃな!? 我の声が聞こえるのじゃな!? 本当の本当に見えるのじゃな!?」
「はあ……」
あまりの女性の興奮ぶりに、勇樹は一歩たじろいだ。この女性は何を驚いているのだろう。驚きなのは生まれ初めて色を見たこっちの方なのに。
「3年ぶりの我を見れる人間じゃ! 我は…… 我は、ずっと寂しかったのじゃ!」
女性は、そう言うと木刀を放り捨て、勇樹に抱きついてきた。温かな体温が伝わってくる。




