④ なぜ私は過去を振り返るのか
二十八歳になろうとしている今、私は初めて自分の人生を振り返るようになった。
十五歳の頃の私は、振り返ることよりも前を見ることに必死だった。
高校へ進学できるのか。
将来はどうなるのか。
目の前の不安を乗り越えることで精一杯だった。
大学時代もそうだった。
社会へ出てからもしばらくは同じだったように思う。
その時々の課題や悩みに向き合うことに必死で、自分の人生全体を見渡す余裕はなかった。
しかし二十八歳になろうとしている今、私は初めて立ち止まって後ろを振り返るようになった。
それは三十歳という節目が少しずつ近づいてきたからかもしれない。
二十歳の頃には遠い未来だった三十歳が、今では現実のものとして見え始めている。
だからこそ私は、自分がどこから来たのかを考えるようになった。
また、『家庭教師の一年間』と『九年差の同じ別れ』を書いたことも大きかった。
私は文章を書きながら、自分でも忘れていた記憶を何度も思い出した。
これまでの出来事を振り返る中で、私は一つのことに気づいた。
人は出来事だけで生きているのではない。
その出来事をどのように受け止め、何を学び、どのように変わったのかによって形作られているのだということである。
私は単に思い出を記録したかったのではない。
なぜその出来事が今も心に残っているのか。
なぜその人との出会いが人生に影響を与えたのか。
なぜ九年差で起きた二つの別れを、今でも忘れられないのか。
その意味を知りたかったのである。
そして振り返れば、私は多くの人との出会いによって今の自分になっていた。
家庭教師との出会い。
彼との出会い。
彼女との出会い。
その一つ一つが、今の私を形作っている。
もし彼らと出会わなかったなら、今の私は少し違う人間になっていたかもしれない。
だから私は、自分の人生を振り返っている。
過去を懐かしむためではない。
自分がどのような道を歩き、どのような人との出会いによって今ここにいるのかを知るためである。
二十八歳になろうとしている今も、私はまだ答えを探している途中である。
しかし一つだけ分かることがある。
十五歳の頃には見えていなかった自分の人生の流れを、今は少しだけ見渡せるようになったということである。
そして、自分は誰と出会い、何を学び、どのような人間になったのかを考えられるようになったということである。
それもまた、この十一年間で得た成長なのかもしれない。




