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二十八歳の私  作者: マック アダソン
プロローグ
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プロローグ 

これは、ADHDとASDの発達障害を抱えながら生きてきた、30歳を目前に控えるある一人の成人女性が、自らの人生を振り返り、「私は何者なのか」を問い続けた記録である。


 この話を始める前に、少しだけ説明しておく必要がある。

私は横山葉月。

生まれつきADHDとASDの発達障害がある。

二〇二六年現在、私は一九九八年に生まれ、八月十二日に二十八歳を迎えようとしている独身女性である。

社会人となり、成人期と呼ばれる時期を過ごしている。

二十歳になった頃には遠い未来だと思っていた三十歳も、今では少しずつ現実味を帯びてきた。

そんな年齢になったからだろうか。近頃は自分の人生を振り返ることが増えた。

三十歳という節目が近づく中で、私は初めて自分自身を振り返らなければならないと感じるようになった。

私はこれまでどのような人生を歩いてきたのだろうか。

誰と出会い、何を学び、どのような人間になったのだろうか。

そしてこれから、どのように生きていくのだろうか。

本書は、その問いに向き合うための記録である。


 私はこれまで二つの私小説を書いてきた。

その背景には、記録として残さなければならない理由があった。

人は時間が経つと記憶を失っていく。

当たり前だった日々も、いつの間にか曖昧になってしまう。

私もまた、思春期に出会った「彼」と交わした当時の手紙のやり取りや、成人期に出会った「彼女」と過ごした当時の時間の感覚を少しずつ思い出せなくなっていた。

彼の当時の手紙は今も全て3年分当時のまま残っている。

彼女から購入した当時の化粧品の一部も残っている。

しかし物は残っていても、その当時の感情や空気までは薄れてきた。

記憶は少しずつ薄れていく。

だから私は記録しようと思った。

忘れてしまう前に、自分がどのような人と出会い、どのような時間を生きてきたのかを書き残そうと思ったのである。

そのきっかけになったのは、二〇二五年一月十八日に知った彼女の転勤だった。

彼女の転勤を知った時、私はなぜか九年前の彼との別れを思い出した。

そしてその二つの別れを振り返るうちに、さらに家庭教師との一年間へと遡っていった。

こうして生まれたのが『家庭教師の一年間』と『九年差の同じ別れ』である。

前者は中学三年の一年間を支えてくれた家庭教師との記録だった。

後者は思春期に出会った「彼」と、成人期に出会った「彼女」との十一年間の記録だった。

しかし二つの作品を書き終えた時、私の中には新たな問いが残っていた。

家庭教師との一年間を書いた。

彼と彼女との十一年間も書いた。

それでは、その経験を経た私は今どのような人間になっているのだろうか。

私は何を学び、どのような大人になったのだろうか。

これまでの二作品は、過去の出来事や出会った人々を中心にした物語だった。

しかし本作は違う。

本作で見つめようとしているのは、二十八歳になろうとしている今の私自身である。

発達障害と向き合いながら生きてきたこと。

社会人として働くこと。

人間関係のこと。

成人女性としての身体のこと。

そして三十歳という節目を前にして抱える不安や希望のこと。

私は誰なのだろうか。

どのような人間になったのだろうか。

そしてこれからどのように生きていくのだろうか。

『家庭教師の一年間』が始まりの記録ならば、

『九年差の同じ別れ』は出会いと別れの記録だった。

そして『28歳の私』は、そのすべてを経た現在の私自身を見つめ直すための記録である。

これは過去を懐かしむための作品ではない。

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