推しの、素の顔
るなと関わるようになって、三週間が経った。
勘違いは、解けていなかった。
というより、悪化していた。
るなは毎日私のそばにいた。朝来たら真っ先に私のところに来て、昼は一緒に食べて、放課後は一緒に帰る。それだけならまだよかった。
問題は、るなの行動が日に日に距離を詰めてくることだった。
廊下を歩くとき腕を組んでくる。ノートを覗き込むとき肩が触れる距離に来る。何か面白いことがある
たびに「ねえこはる見て」と呼んでくる。
全部、普通のことだと言えば普通だ。仲のいい友達同士ならある話だ。
でも私には全然普通じゃなかった。
推しが腕を組んでくる。推しが肩に触れてくる。推しが私を呼ぶ。
心臓に悪すぎる。
今日の昼休みも、るなが向かいに座った。
「こはる、昨日ちゃんと寝た?」
「寝ました、なんで」
「目の下が少し暗い気がして」
「え、そんなに目立ってますか」
「私には目立ってる。こはるの顔、見慣れてきたから」
見慣れてきた、という言葉が少し引っかかった。
「見慣れてきた、って」
「毎日見てるから。変化に気づく」
「そんなに見てるんですか」
「見てるよ、好きな人のことは」
また言った。好きな人。
「るな、その、好きな人っていうのは」
「こはるのこと」
「それは、その」
「勘違いって言いたいんでしょ」
「言いたいです」
「でも否定できないんでしょ」
「そ、それは」
「正体、何か隠してるの?」
心臓が跳ねた。
「隠してないです、何も」
「ほんとに?」
「ほんとです」
るなが少し私を見てから、弁当のおかずを口に入れた。
「まあ、いいや。今日話したいことがあって」
「なんですか」
「土曜日、時間ある?」
「あります、たぶん」
「一緒に出かけない?」
出かける。
推しと、二人で。
「え、どこに」
「駅前のゲームセンターとか、カフェとか。特に決めてないけど」
「るな、他の子を誘えばいいんじゃないですか。クラスの子とも仲良くなってるし」
「こはると行きたいから誘ってる」
「なんで私に限定するんですか」
「こはるといると落ち着くから」
また落ち着く、という言葉を言った。
「るなは、私といると落ち着くんですか」
「うん。なんかね、こはるって裏表ない感じがするから」
「裏表ない」
「うん。計算して話しかけてくる感じがしないというか。私のことをちゃんと見てくれてる感じがする」
私はるなの正体を知っている。古参リスナーだということを隠している。それは裏表あることじゃないのか。
「私、隠してることありますよ」
「え、何を」
「言えないから隠してるんですけど」
「気になる」
「言えないです」
るなが少し考えた。
「まあ、誰でも言えないことくらいあるか」
「そうです」
「それが私への気持ちに関係あること?」
「え、なんで気持ちに結びつけるんですか」
「なんとなく」
勘のいい人だな、と思った。
配信でもそうだった。視聴者のコメントの裏を読むのが得意で、「今日元気ない人いそう」とか「これ心配事ある人が書いたやつだ」とかを言い当てることがある。
「るな、勘が鋭いですね」
「そう?」
「はい。なんか、見透かされてる感じがします」
「こはるのことは見たいから、自然と見てるだけだよ」
また距離を詰めてくる。
「土曜日、来てくれる?」
るなが少し真剣な顔で聞いてきた。いつもの明るい顔より、少しだけ素に近い。
「来ます」
「よかった」
るなが笑った。
今日は素の顔に近かった。
土曜日になった。
駅前で待ち合わせたら、るなが先に来ていた。
私服だった。学校の制服と違う、シンプルな格好だった。でもやっぱりきれいだと思った。
「こはる、おはよ」
「おはようございます、るな」
「さん付けしなかった、えらい」
「練習しました」
「そこを練習するんだ」
るなが笑った。
ゲームセンターに入った。るながクレーンゲームに直行した。
「こはる、クレーンゲームやる?」
「あまり得意じゃないですけど」
「私も得意じゃない。でも好き」
るなが財布からコインを出した。
「あ、私も出します」
「いい、今日は私が誘ったから」
「でも」
「いいって言ったらいい」
るなが機械にコインを入れた。ぬいぐるみを狙い始めた。
配信でもクレーンゲームをやることがある。画面の向こうのルルナがアームを操作しながら一喜一憂しているのを何度も見た。
「取れそうで取れない」
るなが顔をしかめた。その顔が配信と同じで、少し笑ってしまった。
「何が面白いの」
「え、なんか、その顔が」
「変な顔してた?」
「変じゃないですけど、なんか面白くて」
「こはるって私が変な顔してるとき笑うよね」
「そうですか」
「そう。配信でもそういう視聴者いて、それが好きだったんだよね」
また配信の話が出た。
るなが少し手を止めた。
「あ、しまった」
「え?」
「なんでもない、続けよう」
るなが機械に向き直った。
何を言いかけたんだろう。
結局クレーンゲームはるなが四回やって一個取れた。小さなクマのぬいぐるみだった。
「こはるにあげる」
「え、るなが取ったのに」
「こはるのために取ったから」
「そんな」
「受け取って」
受け取った。
その後カフェに入った。窓際の席で、二人で向かい合った。
るながメニューを見ながら言った。
「こはる、何飲む?」
「カフェラテにします」
「私もそうしよ。甘いの好き?」
「好きです」
「何かお菓子もとる?」
「るなが食べたいなら」
「じゃあケーキ一個頼んで分けよっか」
「いいですね」
注文してから、るなが窓の外を見た。
土曜日の駅前は人が多かった。
るなの顔が、少しだけ遠くなった気がした。さっきまでの明るい顔より、何かを考えている顔になって
いた。
「るな、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫。ちょっとぼーっとしてた」
「疲れてます?」
「疲れてる、かな」
「どうしたんですか」
るなが少し間を置いた。
「最近、ちょっとしんどくて」
「何がしんどいんですか」
「うまく言えないんだけどね」
るながカップを両手で持った。
「学校でさ、るなとして振る舞うじゃん。明るくて、誰とでも話せる感じの。それはそれで本当なんだけど」
「うん」
「それを続けてると、どこが本当の自分かわからなくなることがあって」
私は少し静かに聞いていた。
「配信でも同じで。ルルナとして明るくしてると、配信してないときの自分の方が本当じゃない気がしてくるというか」
「それって、しんどいですね」
「うん。最近特にそれが強くて」
るなが私を見た。
「こはるといるとさ、そういうの薄くなるんだよね」
「え?」
「こはると話してると、るなとかルルナとかじゃなくて、ただの自分でいられる気がして」
それは、どういう意味だろう。
「私がるなのことをよく知らないから、ということですか」
「違う。こはるが、私を見てくれてるから」
「見てる、というのは」
「るなでもルルナでも、そういうラベルじゃなくて。ここにいる私を見てくれてる感じがする」
胸が少しざわついた。
私はるなの正体を知っている。ルルナだと知っている。古参リスナーとして、ずっと画面の向こうで見
ていた。
でも、学校でのるなと接してきた三週間は、本当にそのままのるなを見ていた気がする。配信のルルナじゃなくて、隣にいるるなを。
「るな、少し聞いていいですか」
「なに」
「配信が、本当の自分じゃない感じがするって言いましたよね」
「うん」
「それは、配信が嘘ってことじゃないですよね」
「嘘じゃない。あの明るさも本物だと思う」
「でも全部じゃない」
「全部じゃない、うん」
「全部を見せなくていいと思います」
るなが少し私を見た。
「どういう意味?」
「配信で全部出さなくていい。配信のるなは配信のるなで本物で、ここにいるるなも本物で、全部同じじゃなくていいと思うから」
「でもどっちが本当かわからなくなるの」
「どっちも本当じゃないですか」
るなが少し黙った。
「私が今こはるに話してること、配信では言えないことだよ」
「そうですね」
「こはるにだけ話せる感じがする」
「それは」
「こはるが、私のことをちゃんと見てるから」
またその言葉だった。
私はるなのことをちゃんと見ているのか。画面の向こうで二年半見てきた。学校でも毎日見てきた。で
も、正体を隠しながら見てきた。
それはちゃんと見ていることになるのか。
「るな、一つ言っていいですか」
「なに」
「私も、隠してることがあります」
「さっき言ってたやつ?」
「はい。今すぐは言えないんですけど、そのうちちゃんと言います」
「怖いことじゃないよね」
「怖くないです、たぶん。ただ、言ったらるなが驚くと思って」
「驚いても平気だよ」
「そうですか」
「こはるのことだから」
その一言が、少し重かった。
ケーキが来た。チョコレートのやつで、るなが半分に切って皿に移してくれた。
「はい、こはる分」
「ありがとうございます」
「食べて」
食べた。
おいしかった。
るなも食べながら、少し表情が戻ってきた。
「こはる、甘いもの食べると表情が変わるよね」
「変わりますか」
「口角が上がる。かわいい」
「やめてください」
「やめない、本当のことだから」
この子は本当に、こういうことをさらっと言う。
配信のルルナもそうだった。視聴者を褒めることが自然で、でもその言葉に計算がない感じがした。
「るな、配信でも視聴者のこと褒めるじゃないですか」
「うん」
「それも自然な感じがしますよ」
「見てたの? ルルナの配信」
「古参なので」
「そっか」
るなが少し笑った。
「じゃあ知ってると思うけど、最近の配信、ちょっと元気ないって言われてるんだよね」
「え、そうですか」
「うん。コメントにちょこちょこ書かれてて。いつもより元気ないって」
知っていた。
最近のアーカイブを見て、確かに少し疲れた感じがすると思っていた。でも言葉にできなかった。
「見てみますね、帰ったら」
「うん。こはるのコメント、たまに見るから」
心臓が跳ねた。
「え、私のコメント?」
「古参の人たち、なんとなく顔覚えてるんだよね。コメント見てて、この人またいる、みたいな」
「そうなんですか」
「こはるのハンドルネームってなんていうの」
「え、それは」
「言わなくていいか、プライベートだし」
言えなかった。
言ったらバレる。
「言えないです、すみません」
「いいよ。でも、古参の中に、何回かコメントがすごく刺さった人がいて」
「どういうコメントが」
「しんどいときに配信見ると落ち着きます、って言ってくれた人」
覚えていた。
二年前に私が送ったコメントだ。るなが落ち込んでいるように見えた配信の日に、思わず送った。
「それが、なんか、ずっと残ってるんだよね。自分の配信が誰かの落ち着く場所になってるって、それだけで頑張れた気がして」
私のコメントが、るなの頑張る理由になっていた。
知らなかった。
アーカイブでるなが読み上げてくれたのは知っていた。でも、こんなに覚えていてくれているとは思っていなかった。
「るな」
「なに」
「その人、きっとるなの配信が好きだと思います」
「そうかな」
「そうですよ。しんどいときに見て落ち着くって、それだけるなの配信が大事だってことだから」
るなが少し目を細めた。
「こはる、なんかその人のことよく言うね」
「え、そうですか」
「自分のことみたいに言う」
黙った。
「こはる」
「なんですか」
「もしかして」
「なんですか」
「その人、こはる?」
心臓が止まった。
否定しようとした。でも顔が動いていた。
「違います」
「嘘だ」
「違いますってば」
「顔が全部言ってる」
るなが少し前に乗り出した。
「正体ってそれ? 古参リスナーだってこと?」
「ち、違います」
「違わないよね。二年半見てるって言ってたし、コメントのことにすぐ反応したし」
全部バレた。
「るな、あの」
「びっくりした」
るなが少し笑った。
「でも、なんかわかった気がする」
「何がわかったんですか」
「こはるがずっと否定できなかった理由。推しだから緊張してたんじゃん」
「そうです、ガチ恋勢じゃないんです、推しとして好きなんです」
「推しとして好きでも、好きなんじゃない」
「そうですけど、そういう意味じゃないってことが言いたくて」
「こはる」
「なんですか」
「怒ってないよ」
るなが静かに言った。
「驚いたけど、怒ってない。むしろ」
少し間があった。
「なんかうれしかった。あのコメントを送ってた人が、今ここにいるって」
私は何も言えなかった。
「ずっと支えてくれてたんだね」
「そんな大げさなことじゃないです、コメントしてただけで」
「コメントでも、ちゃんと届いてたから」
るなが私を見た。
配信のルルナでも、学校のるなでもない、もう一段階素に近い顔だった。
「隠してたのは、言ったら引くかなって思ったから?」
「それもあります。あと、言ったら普通に話せなくなるかなって」
「普通に話せてるじゃん、今」
「今は、でも」
「これからも普通に話せるよ」
るなが言った。
「こはるがるなとして見てくれてたのと同じように、私もこはるとして見てるから」
その言葉が、少し胸に刺さった。
カフェを出て、帰り道を歩いた。
るなが黙って隣を歩いていた。
しばらくして言った。
「こはる、一個だけ聞いていい?」
「なんですか」
「私のこと、配信者のルルナとして好きなの。それとも、るなとして好きなの」
難しい質問だった。
「両方、です」
「両方?」
「ルルナが好きで、でも今はるなのことも好きで。切り離せないというか」
「それでいいよ」
「え」
「両方が私だから。どっちかだけじゃなくて、両方好きでいてくれていい」
るなが少し笑った。
「私もさ、こはるのことが好きだよ」
「それは、その」
「勘違いじゃなくて」
「え」
「最初は勘違いかなと思ってたけど、今日話して、違う気がしてきた」
るなが私を見た。
「こはるが、私を見てくれてるのが嬉しいから。ルルナもるなも、全部含めて」
全部含めて、か。
私は返事ができなかった。
るなが少し笑って、また前を向いた。
「急がなくていいよ、答えは」
「急がなくていい」
「うん。こはるのペースでいい」
その言葉が、なんか、あたたかかった。




