第15話 あの日、言えなかったこと
翌朝。
約束の時間より少し早く、僕はカラネコ食堂の前に立っていた。
さっきから、アンネさんが妙にニヤニヤしながら僕を眺めている。
「……なんですか?」
「ソウタ」
「どうしました?」
アンネさんは僕の肩を軽く叩くと、意味ありげに笑った。
「ちゃんと、しっかりエスコートするんだよ」
「はい?」
エスコート?
いったい何の話だ?
「蒼汰ー! お待たせ!」
振り向くと、美桜が満面の笑みを浮かべて駆けてくる。軽い足取りのまま僕の前まで来ると、そのまま嬉しそうに僕を見上げた。
「じゃ、行こ!」
「あ、うん」
背後からアンネさんの含み笑いが聞こえ、追い払うように手を振られた。
美桜と並んで歩き出す。
大通りへ出ると、朝からたくさんの人が行き交っていた。
荷物を抱えて走る男。
露店で値段を交渉する女。
どこかで聞こえる子供たちの笑い声。
この街だって、けっして安全な場所じゃない。
それでも、笑っている人がいる。
働いて、食べて、誰かと話して、この世界で生きている。
――僕も今は、その中にいる。
金田にも、この景色を見せてやりたいな。あいつ、絶対好きそうだし。
「蒼汰ぁ! これ見て!」
不意に弾んだ声が飛んできて、顔を上げる。
いつの間に先へ行ったのか、美桜はアクセサリーを並べた露店の前にいた。僕が追いつくのも待たず、並んだ品を楽しそうに見比べている。
「これ、似合うかなぁ?」
やがて小さな飾りをひとつ手に取ると、嬉しそうに胸元へ添えて僕を見た。
僕も露店に並ぶ品へ目をやり、別のひとつを指さした。
「こっちの方じゃない?」
「えー?」
美桜は僕の選んだものを手に取り、しばらく眺める。
「蒼汰は分かってないなぁ」
「じゃあ聞くなよ」
「意見を聞いただけ。採用するとは言ってませーん」
「意味わかんねーし」
美桜は楽しそうに笑いながら、また露店へ目を戻した。
それからも僕たちは、気になる店を覗きながら街を歩いた。
◆
昼時になり、通り沿いの店へ入る。
「あー! また野菜残してる!」
僕の皿を見るなり、美桜が声を上げた。
「美桜だって残してるだろ」
「あたしは少食派です」
「なにそれ? 美桜ってそういうキャラ設定にしてるの?」
「蒼汰にだけは言われたくありませーん」
「おっ、ソウタァ!」
聞き慣れた声に振り返ると、通りを歩いていたゴーノさんが手を上げていた。
「今日はお嬢ちゃんとお出かけかぁ?」
僕は反射的に立ち上がる。
「はい! 今日はお休み頂いてます、社長!」
「だからゴーノだって言ってるだろぉ!」
ゴーノさんは大声で豪快に笑った。
「ちゃんとお嬢ちゃんは送ってやりなよぉ!」
大きく手を振り、そのまま人混みの中へ消えていく。
「…………」
「…………」
立ち上がったまま、美桜と目が合う。
「なんで立ったの?」
「いや……なんとなく」
「今日、仕事じゃないじゃん」
「分かってるよ」
一瞬の間を置いて、美桜がこらえきれずに小さく吹き出した。
「すっかり仕事人だね、蒼汰だってキャラ設定してるじゃん」
「うるせーし」
美桜に笑われながら席へ座り直し、そのまま食事を済ませた。店を出ると、僕たちは大通りを並んで歩いていく。
しばらくすると、美桜がふいに足を止めた。
「蒼汰、今からさ?」
「ん?」
「来てほしいところがあるんだ」
さっきまでとは違う、少し真剣な声だった。
「どこ?」
美桜は少しだけ黙ってから答えた。
「……あたしが、この世界に来た場所」
街を出て一時間ほど歩くと、建物は少なくなり、人の気配も遠のいていった。
代わりに響き始めたのは、川のせせらぎだった。
「ここなんだ」
美桜がふと足を止める。
目の前には、向こう岸まで十数メートルほどの川が流れていた。水面は陽の光を細かく弾きながら、緩やかに下流へと続いている。
「…………」
「あたしさ、この世界に来て……怖かった」
美桜は川を見つめたまま呟く。
「何も分かんなくて、知らない場所で……知ってる人も誰もいなくて」
「…………」
「でも、アンネさんも受け入れてくれて……」
美桜が少しだけ笑った。
「蒼汰とも会えて……」
笑っていたはずの美桜の顔が、ゆっくりと俯いていく。唇をきゅっと結んで、それでも次の言葉を探そうとしていた。
「美桜?」
「あたし……」
顔を上げた美桜の目から、堪えていた涙がひとつ、頬を伝った。
「あたし、この世界に来る前に……言いたいことあるって言ってたじゃん?」
「……うん」
忘れるはずがない。
あの日、美桜は僕にそう言った。
だけど、その続きを聞く前に――僕は橋から落ちた。
「あたし、蒼汰のことが好き」
「…………」
「蒼汰が橋から落ちて、この世界に来て……それから、もっと好きになった」
「……美桜」
美桜は涙を拭おうともせず、僕を見つめていた。
「もし……元の世界に戻れたら」
震える声が途中で掠れる。それでも美桜は言葉を止めず、涙で濡れた目を僕に向け続けていた。
「もう一度、告白していい?」
そう言った途端、美桜は泣き崩れた。
「…………」
僕は、何も言えなかった。
何を言えばいいのかも、分からなかった。
ただ、美桜の肩にそっと手を置く。
それしかできなかった。
川の流れる音だけが、僕たちの間を通り過ぎていく。
美桜の肩は小さく震え続けていた。
僕は肩に置いた手を離すこともできず、ただ隣に立ち尽くしていた。
◆
その頃――街の近くでは。
「ヴァル! しっかりしてよ! もう少しで街なんだから!」
レティシアの声が響く。
「……うるさい」
「うるさいじゃないでしょ!」
ヴァルハイドはレティシアに肩を支えられ、重い足取りで歩いていた。
黒い重甲冑はところどころ砕け、全身に無数の傷が刻まれている。
レティシア自身も傷だらけだった。
それでも、ヴァルハイドの身体を支え続けている。
「もう少しだから……!」
「分かっている……」
ヴァルハイドが顔を上げる。
視線の先には、見慣れた関所都市の城壁があった。
「まったく……世話が焼けるんだから」
「……余計なお世話だ」
「はいはい」
傷だらけの二人が――
二か月ぶりに、街へと帰ってきた。
End_is_Zéro_Project




