第11話 新しい居場所
店を出ると、少し離れたところでヴァルハイドとレティシアが待っていた。
美桜とは仕事が終わってからまた会う約束をした。話したいことも聞きたいことも山ほどあったが、美桜には美桜の生活があり、僕も二人をいつまでも待たせるわけにはいかなかった。
僕に気づいたレティシアが、ニヤリと口元を緩める。
「ソウター。誰? あの可愛い子」
「日本の……」
口にしてから、慌てて言い直す。
「いや、故郷の友人です」
「へぇー」
レティシアが店へ興味深そうに目を向ける。その横で、ヴァルハイドが低く鼻を鳴らした。
「いい身分だな。俺達にお前の受け入れ先を探させておいて、女と会っているとは」
「ヴァル! 言い方!」
胸がキュッと詰まった。二人は僕のために、この広い街を回ってくれていたのだ。
「……ヴァルハイドさんの言う通りです。本当にすみませんでした」
深く頭を下げる。
少しの静寂のあと、レティシアが困ったように笑った。
「まあまあ。ソウタのこと、受け入れてもいいって場所が見つかったよ」
弾かれたように顔を上げた。
「本当ですか! ありがとうございます!」
「ふん」
ヴァルハイドはそれだけ言って、そっぽを向いた。
「住み込みで働ける建設屋ね。若い手が欲しいって。ソウタは仕事が真面目だからきっと大丈夫だよって、向こうにも伝えてあるから」
レティシアが折り畳まれた羊皮紙のような紙を差し出してくる。
「これ、街の地図ね」
受け取って広げると、線や記号がいくつも書かれていた。当然、文字は読めない。
「あ……」
「大丈夫。ここが今いる場所」
レティシアの指先が紙の上を滑る。
「それで、働く場所がここ。大通りを真っ直ぐ行って、二つ目の広場を右。分からなくなったら地図を見せて人に聞けばいいから」
「はい」
教えられた道を何度か指でなぞって頭に叩き込む。
レティシアが僕の顔を見つめ、満足そうに小さく頷いた。
「じゃあ、ここからは一人で行けるね」
「……はい」
地図をギュッと握り直す。
「本当に、ありがとうございました!」
二人に向かって、もう一度深々と頭を下げた。
顔を上げた時には、ヴァルハイドの黒い背中がすでに歩き出していた。レティシアもその後を追い、途中で一度だけ振り返って大きく手を振る。
「頑張ってね、ソウタ!」
「はい!」
二人の背中が、賑やかな人混みの中へあっという間に遠ざかっていく。
恐ろしい人たちだった。何度も、本気で死ぬかと思うほど怖かった。
でも――。
(……優しかったな)
レティシアに教えられた道を、地図を片手に慎重に歩く。
大通りは人や荷車が行き交い、道の両側には活気ある店舗がぎっしりと並んでいた。
二つ目の広場を右。
何度も地図と周囲の風景を見比べながら進んでいくと、やがて建物の間から木材を激しく打ちつけるカンカンという高い音が聞こえてきた。
(この辺り、だよな……?)
足を止めて地図を覗き込んだ、その瞬間だった。
「バッカヤロォォォ!!」
「っ!?」
地響きのような怒鳴り声に、肩が大きく跳ね上がった。
声がしたのは目と鼻の先にある建設中の大きな建物だった。
「そんな甘い仕事しかできねぇから、おめーはいつまで経ってもハンパもんなんだぁぁ!!」
(……本当にここ?)
入口の向こうでは、何人もの男たちが木材や工具を運んでいた。
おそるおそる中へ足を踏み入れる。
「あ、あの……」
「ん?」
さっきの怒鳴り声の主が振り返った。
大柄な男だった。僕の姿を捉えた瞬間、眉間に寄っていた深い皺が嘘のように消える。
「ああ! さっき話のあった、働きたいって言ってた小僧かぁ!」
「は、はい。蒼汰です」
「そうかぁ!」
耳がキーンとするほど声がデカい。近くにいるだけで身体が小さくなりそうだ。
男は僕を頭から足元まで眺めると、太い腕を組んだ。
「ウチは生半可じゃ務まらんぞ! やれるかっ!」
「は、はい! 頑張ります!」
圧倒されて考えるより先に声が出ていた。
男が満足そうに大きく頷く。
「良い返事だぁ! がんばれよぉ!」
「はい!」
また耳元で怒鳴られた。
けれど今度は、さっきとは少しだけ違って聞こえた。
それから三日が経った。
現場の仕事は、思っていたよりもずっときつかった。
重い木材や石材を運び、指示された場所を片付けていく。分からないことばかりで、その度に現場に豪快な怒鳴り声が飛んできた。
それでも、やるべきことを一つずつ身体で覚えていく作業は嫌いじゃなかった。
昼休みになると、僕は美桜の働いている食堂へ向かった。
店に入ると、給仕中の美桜がすぐに僕に気づいた。
「蒼汰、建設の仕事なんて大丈夫なの? 怪我とかしてない?」
「う、うん。身体はキツいけど……今はこうして動かしている方が楽なんだ」
「……そっか」
美桜が少しだけ心配そうに僕の顔を覗き込む。
「あまり無理はしないでね」
「分かってるって」
そう答えた直後、店の外から慌ただしい足音が近づいてきた。
「ソウタ!」
聞き覚えのある声に振り向く。建設屋の先輩が、息を切らしながら店へ飛び込んできた。
「パイセン!?」
「親方が大変だ! 現場でデカい資材が崩れて、大怪我しちまったんだ!」
「えっ……!?」
さっきまで柔らかかった美桜の表情が一変した。
「大怪我……」
美桜が何かを思い出したように、僕の袖を掴んだ。
「蒼汰……教会に行けば治してくれるって、店のお客さんが話してるのを聞いたことがあるよ」
「本当!?」
美桜が強く頷く。
僕は考えるより先に立ち上がっていた。
「パイセン、僕、今すぐ教会に行ってきます!」
「お、おう! 頼んだぞ!」
食堂を勢いよく飛び出す。
三日前にレティシアからもらった地図を取り出し、教会の場所を探した。
教会は、大通りから一本入った場所にあった。
高い建物を見上げてから、開け放たれていた扉をくぐる。
中は静かだった。
「あの……ここって教会ですよね?」
近くにいた白い服の男が僕に気づき、静かに振り返って穏やかに微笑んだ。
「ええ、そうですよ。何かご用でしょうか?」
「あの、親方が現場で大ケガをしたんです! 教会なら奇跡で治せるって聞いたので……!」
「なるほど……」
男は少し思案するように頷いた。
「治せないことはありませんが……その、大丈夫ですか?」
「え?」
何を聞かれているのか、とっさに理解できなかった。
「何が、ですか?」
「寄付金ですよ」
「……寄付金?」
「ええ。怪我の程度にもよりますが、神の奇跡による治療となると、それなりの額をご寄進いただくことになります」
そんな話、美桜からも誰からも聞いていなかった。
「……いくら、必要なんですか?」
「そうですね……」
男は少し困ったような顔をした。
「だいたい、小さな家一軒分といったところでしょうか」
「そんな……っ」
言葉が詰まった。働き始めて、まだたったの三日だ。僕が持っている金なんて、わずかなものしかない。
頭の中に、あの豪快に怒鳴っていた親方の顔が浮かんだ。
身元も分からず、文字も読めない僕を現場に入れてくれた人だ。
どうしても助けたい。
けれど、家一軒分なんて大金を払えるはずが――。
「……ただ」
顔を上げる。
男が僕をじっと見ていた。
「どうしても、とのことでしたら――できなくもありませんが?」
End_is_Zéro_Project




