十六 折れた!? の事
あれから、あの、親父の事で笑った日から、たぶん、数日が過ぎていた。なぜ、たぶんなのかというと、日の出や日の入りを数えていれば、正確な日数が分かるのだろうが、私は、いい加減な男なので、というか、こんな状況なので、正直、そういう事まで気が回っていなかった。
それに。
釣具だから。岩や木の幹などに、傷を入れて、数を記す事もできないんだから。
それで、あれから、色々、と言っても、できる事は、周囲を見たり、ステータスオープンをする事くらいしかないんだけれども、自分なりに、思い付いたできる事をして、なんとか、この状況の打開、改善を試みていたのだけれど……。
嗚呼。虚しい。
ここで突然、釣具として、目が覚め時と、何も変わってはいない。
あはははっははは。
乾いた笑い声が出ちゃう。実際には、出てもいないけど。
種族や、職業、ヒットポイント、マジックポイント、スキル、猫ちゃんポイント、クロダイポイント、釣りポイント。
ハリス直結道糸
激安ナイロン一号
玉ウキ、六号
割ビシ中
針金袖六号
そんなふうに書いてあるステータスの項目には変化ない。
おっと。でも、変化している物もあった。猫ちゃんポイントだ。
これは、私が意図的に上げたのもあったのだが、これだけ早く、恐らく表示上の最大値であろう、無限になってしまうとは思わなかった。
どうやって意図的に上げたのかというと、あれやこれやとできる事をやっている間に、猫ちゃんポイントだけが、上がっている、加算されて行っている事に、気が付いたのだ。
それから、どうして、加算されるようになっているのかを、あれやこれやと、試行錯誤して、検証していると、どうやら、私が、チコの事を考えると、それだけで、猫ちゃんポイントが、加算されているという事が分かった。
こんな物、そうと分かってしまえば、上げない手はないだろう?
私はチコの事を考えた。
考えまくった。
出会いから、別れまでの、一連の大まかな出来事。
それが終わったら、次は、それらを年表ふうにしてみたり。
他にも、毛並みや毛の模様、かわいい表情の数々。肉球の感触。最初は触らせてくれなかったけど、初めて肉球を触らせてくれた時の、あの得も言われぬ感動と、あのちょっと困ったような、チコの表情。
もう。それこそ、無限、ではないけれども、いくらでも、チコの事は、考えたり思い出す事ができていた。
そして。
そんな事をしているうちに、表示が、もう、このたった数日の間に、無限だと思われる、あの八の字を横にしたような、表示になっていたのだった。
無限になってから、表示に変化がないので、恐らく、これで最大値、カンストだと思うが、ここまで上げても、何も起こらない。
大した労力もなく、むしろ、ただ、チコとの日々や、あのかわいさを思ったり考えたりしているだけで、上がった数値なので、それもしょうがないのかも知れないが。
ううん? 何やら、周囲が、騒がしい。あれは、何か、獣の鳴き声か? 何かが、距離があるようなので、他には何も聞こえないが、何かが、この森の中のどこかで起こっているらしい。
まあ、でも、私には関係のない事だろう。
だって。
私は、何もできない、しがない釣具だもの。
最近は、こういう気持ちになった時は、瞑想? のような物を、するようにしていたりする。こういう時は、何も考えないに限る。何も考えないというのも、どうしてなかなか難しい物なのだが、あれやこれやと考えて、悩んで、何かが変わるのなら、大いにやりたいが、実際にはそんな事はまったくないのだから。
考えても悩んでも、何も変わらないのなら、そんな事をしても、ただの、労力の無駄。不安になったり、がっかりしたりするだけ損なのだ。
そんな事を思ったら、釣具屋時代に、勤めていた店舗の、店長の言った言葉を思い出した。
「どんなに悩んでも考えても、何も解決しない時は、そんな事はしない方が良い」
私は、この言葉を店長の名言だと思っている。ただ単に、いい加減な人間だったのかも知れないという思いも、あの、釣りキチの鏡のような、自由人だった店長の事なので、拭えないが、私はこの言葉に、何度も助けられていた。
不意に、足音が聞こえて来た。
それも。
物凄い勢い。
誰か来たみたいだ。
頼む。気付いてくれ。私はここにいる。私は、元々は人間だ。貴方と言葉を交わす事はできないが、なんとか、私を、意思のある、意識のある、釣具だと認識してくれ。
私は、請い、願い、祈った。
けれど、そんなすべての行動も虚しく、速過ぎて影しか見えなかった、何者かは、私に気が付く事なく通り過ぎて行ってしまった。
ふっ。ふふふふ。
そうだよな。そういう事じゃないかと思った。
私は強がって、そんなふうに思いつつ泣いた。涙は出ないけど。
「これです。これ。ほら。やっぱりあった。これは何ですかね? こんなの、私、今までに見た事がないです。チコ様は、見た事がありますか?」
戻って来たのか? し、し、し、しかも。人だ。人!!!
とても柔らかい、女性の手が、私を、そっと、その嫋やかな指と、ふんわりと優しい掌で持った。
「見た事ないんだニャン。確かに? この辺に? ある木の枝じゃなそうなんだニャン。けど、これ、捨てて? 行ったんじゃないのかニャン? だって、こんなの何の役にも立たなそうなんだニャン」
ちょっと待った。この話し方。語尾のニャン。それに、さっき、チコ様とかって? チコって、まさか、あのチコか?
ううん? これは、獣人? なんだ……。別人、あ、別猫か。
違う。違うぞ。そうじゃない。今は、そんな事はどうでもよろしい。
頼む。私の言う事を、何も言えてないけど、なんとか、聞いてくれ。
私は、実は、元々は人間なんだ。意思や意識があるんだ。
「何ですか? これ? スカートの裾に、何かが引っかかって。それに、良く見ると、透明な糸? ですかね? それに、この、色が付いている小さな玉みたいな物は何でしょうか?」
「やっぱり、そんな変な物、捨てて行ったんだニャン。そんな事より、チコは、聖を探しに行きたいんだニャン」
おいおいおい。誰も捨ててないってば。おおおう? 聖? 今、この、猫獣人様、聖を探すとかって言ったか?
まさか、本当に、チコなのか? あの、チコが、もう、こっちに来ていたのか? これは、あれか? 猫ちゃんポイント無限大の恩恵が、早速現れたのか?
「私もなんだか、そんな気がして来てしまいました。何に使うのか、ちょっと、興味も湧いてますけど、さっきから、もう。何なんですか、これ? こんなに小さいのに、凄く尖っていて、それに、先の所に、小さなでっぱりみたいなのがあって、それが邪魔をして、引っ張っても抜けません」
良いぞぉ!! 金袖よ。抜けるな。絶対に抜けるなぁぁぁぁぁ。
私は、釣りで、大物をかけた時のように祈った。
「もう良いニャン。チコが取るニャン。今のチコなら、きっと、なんでも壊せる? と思う? んだニャン」
チコォォォォォ!! チコちゃん。チコ様。そんな事言っちゃいや。私はここだよ。君の、愛する愛しい聖おじさんは、ここだよ? ここにいるよ?
「でも、壊してしまったら、持ち主さんが取りに来た時に、困ると思います」
ナイスお嬢様。
「じゃあ、お嬢様は、そのまま、その変なのをくっ付けたまま? 帰れば良いニャン。それで良いのかニャン?」
チコォォォォォ。そんなに嫌そうにぃぃぃぃ。気付いてくれぇぇぇ。
それから、暫くして、セバソティアンなる人物が現れたけど、まだ、誰も、私の事には気が付いてはくれない。
そして、袖針は、がっちりとお嬢様のスカートの裾に刺さっていて取れない。グッジョブ袖針。どうかそのまま取れないで、仕方がないからこの棒を持って帰りましょうという展開になってくれ。
「チコ様。チコ様はとてもお強いお方です。この、小さな、金属でしょうか。この部分を折る事は、できないでしょうか?」
セバソ~。お前ぇぇぇぇぇ。
「たぶん? できるニャン。でも、お嬢様が、壊すのは駄目だって言ってたニャン」
お嬢様。もう、貴方だけです。どうか、そのまま、お優しいままでいて下さい。お願いします。
「だって。壊してしまったら、持ち主さんが取りに来た時に、困ると思って」
「お嬢様。これが何に使う物かは分かりませんが、この森の近くにはエルフや妖精などが住む場所があると聞いた事があります。ひょっとすると、これは、そういう者達の持ち物なのかも知れません。そうなると、ただの道具ではなく、魔法道具か何かなのではないでしょうか。そうなると、壊しても、すぐに直ったり、もしくは、壊せない、という事もあり得ます。壊せない場合は、このまま持ち帰るしかないという事に、なってしまいますが」
セバソ~。余計な事を言うんじゃない。エルフとか妖精とか関係ないから。
「エルフや妖精ですか。妖精の事は良く分かりませんが、エルフだと、狩りに使う道具か何かかも知れません。この、引っかかる部分で、何かをひっかけて取るとかでしょうか」
「この森で、そんな小さな物で引っかけられるのは、葉っぱくらいなもんなんだニャン。そんなに壊すのが嫌なら、スカートの方を切ってしまえば良いニャン」
ヂゴォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙ォ゙!!!
実にチコらしい、そうじゃない。なんかあるだろう? 本能とか、運命的な~とかさ。気付いてくれぇぇぇぇ。頼むぅぅぅぅ。
そして。
事態は、実に劇的な、急展開を向かえた。
犬のような、狼のような、大きな四つ足の獣達が、突然、チコ達に向かって襲いかかって来たのだ。
助けてあげたいが、今の私には何もできない。
どうか、皆を、チコを、誰か、助けて下さい。お願いします。私はどうなっても良い。私のこの命を犠牲にしても良い。どうかどうか、皆を助けて下さい。
無力な私は、神に仏にあらゆる何かに願い祈った。
だが。
そんな私の心配をよそに。
チコは強かった。
チコ。君は、実に立派だ。私は、とても嬉しい。あんなに優しかった君だ。その力は、君自身の為や、他にも、今こうして、君に助けられているお嬢さまやセバソのような、人達を助ける事に役立つのだろう。
「お嬢様。危ない」
「セバソティアン」
なんて事だ。獣の一匹がお嬢様に。チコからは距離がある。このままだと、間に合わない。
そんな事を思った私の体が、不意に浮かんで、思いっ切り、振り回された。
と。
思ったら、ボキっという音がした。
あれれ? なんだろう? 私の体、なんだか、軽くなったような?
嗚呼。チコの、姿が、すすす~と、右から左へと流れて行っているような?
私、飛んでいるの? 何? 私、翼でも生えたの?
嗚呼。これで、私はどこへでも自由に、移動できる釣具になれたの?
うん? けど、なんだろう?
あの嫌な音、私の体の竹竿部分からしたような?
ぬううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅ!?
私の釣竿ボディががががががががが!!!
折れてるりゅああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!




